富士の樹海のその奥に・・・
富士の樹海のその奥に・・・・
中学生は高校受験に向けて勉強し、高校生は大学受験に向けて勉強する。その惰性で、私は
「大学生なら大学院か?」
くらいにしか考えていなかった。1科目jだけ「良」だったけど、他はすべて「優」だったので大学院受験も合格しそうだった。実際、筆記試験には合格した。面接で落とされた。
面接で、渾身の卒業論文を
「こんなもん、心理学の論文じゃない」
と言われて、悔しかった。「今に見ていろ!」
でも、しっくりこなかった。名古屋大学の大学院に合格したら研究者の道を進むような気がしたが、研究者になりたいわけではなかったし、四日市高校で出会った頭のいい奴らと学者の世界で勝てる気がしなかった。
念のために翌年、京都大学の大学院を受けた。まるで歯が立たなかった。それで、改めて
「自分は何になりたいんだ?」
と考えたが、結論は出ない。とりあえず、塾講師をし始めた。英語を教えていたのだが、教える自分が英語が使えない。とりあえず、英語をマスターしないと駄目だろうと思いお金をためて留学試験を受けまくった。
この頃、ある会社で社長に
「おまえの代わりなんぞ、いくらでもおるんや」
と言われて、「やっぱり、なくてはならない人材でないと使い捨て」と思った。
アメリカのユタ州、ローガン中学校で教師をして帰国したら、英語検定1級や通訳ガイドの国家試験を受けた。通訳ガイドの国家試験の二次試験は京都大学が会場だった。
全部終わったら39通の「不合格通知」と「合格通知」が残った。あんなものは英語力を測ってない。無能なモノが、上の地位についたらアカン。
合格したので、
「通訳の仕事をしようかな」
と思ったが、中京地区では仕事がなかった。学者も通訳もダメなので、結局、塾講師かと思いなおした。
それなら、それで
「一流の塾講師って、なんだ?」
と思った。とりあえず、名古屋の河合塾学園に履歴書を送った。昼間は名古屋の非常勤講師。夕方から、自分の塾で教える形を数年続けた。そして、京都大学を7回受けて成績開示した。英語は8割、数学は7割だった。
指導した生徒は、京医、阪医、名医、東京医科歯科大などに合格した。
「これで、一流の塾講師と言えるかなぁ」
と思ったが、塾生の子が「物理や化学も教えてほしい」と言う。それで、今は物理や化学の独学をしている。
この頃、中京銀行阿下喜支店に融資を申し込みに行ったら
「個人塾なんて負け組み。融資がとおるわけがない」
と言われた。いつか、必ず発言権か権力を手にして、中京銀行阿下喜支店は叩き潰してやると心に誓った。
私は、アメリカで洗礼を受けてクリスチャンとなった。日本の祭りは厳密に言うと、神道だから興味がない。戒律で、酒、タバコ、女遊びをしない。ゴルフより少林寺拳法が好き。そうこうしていたら、友達がいないことに気がついた。
女性から見たら、こんな生活は面白みがないのだろう。バツイチになってしまった。子どもたちも成人して巣立った。
地元の成績優秀な子たちからは支持される塾なので生きていける。しかし、平均以下の生徒たちからは蛇蝎のように嫌われていると自覚している。ヒマがあったら微積分やベクトルを研究しているオジサンなんて不気味なんだろう。
悪ガキには怒鳴りつけるし、ヌンチャクや棒術の動画をアップしているので、文句を言ったらパンチやキックの嵐になると勘違いされている人もいるようだ。確かに、人の敷地に入り込んで騒ぐような悪ガキにニッコリできるほど人間ができていない。
英語講師と思って、数学塾の先生から提携話がきたこともあるのだが、私が数学講師に転身したため苦々しく思ってみえるだろう。
この頃、結婚したが、義理の母親に
「なんで、名古屋大学を出て塾講師をしているんだ。ウソだろう!」
と言われた。私は、勉強しすぎて入院送りになったことがある。
「なんで、こんなバカにバカにされなくてはならないんだ」
と思ったが、言葉を飲み込んだ。
要するに、こんな生活をすると孤独な生活になるようだ。同情してくれる人もいるようだが、私はこの生活がお気に入り。
小さい頃から、学校では「愛」だ「絆」だと強調するし、テレビから聞こえる歌謡曲も「愛」や「恋」ばかりで、
「なんなんだ、コレは!」
と、違和感がアリアリだった。チームワークが嫌いだったので、体操や少林寺拳法など個人競技しかやらなかった。職業も、学者や通訳、講師という個人で出来ることしか視野になかった。
「木枯らし紋次郎」の
「あっしにゃ、かかわりのないこって」
という姿勢が好きだった
「贈る言葉」の「求めないで、優しさなんか、臆病者の言い訳だから」という歌詞が好きだった。オフコースの「眠れぬ夜」の
「あれが愛の日々なら もう いらない 。愛に縛られて うごけなくなる なにげない言葉は 傷つけてゆく」
に共感した。
私の指導させてもらっている生徒は、リアリストが多い。受験は、どんなに厳しい結果が出ても現実と向き合う必要がある。ところが、学校の教師は授業中に社会主義の理想を実現しようとする。ママゴトを実践されて迷惑しているのは、生徒なのに。
「教師なんて、世間知らずの集まりやと父ちゃんゆーとった」
とは、生徒の言葉。強制的に「班」を作らせて、助け合いが実現していると自己満足に浸っている。
私は、いろいろ失敗や挫折が多いので自分の道を探してもがく生徒の気持ちがよく分かる。多くのオジサンたちから距離を置いているし、名古屋やアメリカに住んでいたのでモノの見方が多数派と異なる。
学校や地域社会の視野の狭さに窮屈な思いをしている生徒たちは、勉強以外の進路を相談してくることがある。
「四日市高校って、どんな感じですか?」
「名古屋大学に合格するには、どれくらい勉強が必要ですか?」
「アメリカで生活するには、どれくらいの英語力が必要ですか?」
「英検1級に合格するには、何を勉強したの?」
「文系で、京大数学7割とるなんて、どうやったの?」
「京大医学部に合格した子って、何やってました?」
などなど。
学者くずれ、通訳くずれ、アクション俳優くずれ、7つの予備校や塾を転々として流れ着いた塾講師。そういう経験が、今となっては財産になっている。この世は、リハーサルのない本番の連続だ。
私もバツイチになり、夜逃げ寸前までいったこともある。自殺が年間3万人近いといはどういうことか想像できるか?20分。この文章を読んでいる間に、富士山の樹海の中でクビを吊った人もいるかもしれない。目もくらむような断崖から身を投げた人がいるかもしれない。最愛の子供を道連れにナイフで胸を刺した人がいるかもしれない。
人生は予測のつかない事態の連続だ。いつリストラされるか、倒産するか分からない。経営が順調でも、いつ病魔に襲われるか分からない。交通事故に会うか分からない。そういう不確実性の中で生きている。
受験で勝ち取った学歴は、そういう人生を生き抜く武器になるのだ。
教師が邪魔。
「なんで、勉強したいのに教師が強制クラブだって言うんだよ」
「なんで、班にさせられ教師の補助をしないとアカンのよ。金はらえ!」
「なんで、自分の校内順位を教師が隠蔽すんだよ。そんな権限あんのかよ」
生徒がチャレンジすることを、邪魔する教師なんて、いない方がマシだ。
God doesn’t require us to succeed; he only requires that you try.
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。(マザー・テレサ)
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