世界中どこの国に行っても話す言葉に関係なく話し相手になってくれる「猫」という素晴らしい存在について


【注目】エストニアのブログ書いてるよ! http://selohan.com/


僕は猫派だ

日本に居た時から犬にはよく吠えられていた。知人の家に行けば飼っていた老犬に突然飛び乗られ小水を引っ掛けられるなどしていた。

犬は関係性を大事にする生き物だ。だけど往々にして犬の飼い主は自身と犬との間で長年構築してきた関係性が、あたかも今日突然現れた見知らぬ人物との間にも存在するかのように振る舞う。こういった犬の飼い主の態度は犬が苦手な僕としては、本当になんとかならないのかと思っていた。僕は犬をディスっている訳では無い。自分と客と犬との関係性の違いに想像力の働かないタイプの飼い主をディスっているのだ。

犬と自分の関係性に没入しすぎて現実を見失っているような飼い主はダメだ。そんな飼い主は飼い主界の風上にも置けないと思う。だから風下に居てほしい。などとは言ってみたものの、結局のところは僕が犬に慣れていないというだけの話だと思う。

実は犬の飼い主のせいではなく、僕のせいなのだ。


僕は猫派だ

それはさておき僕は猫派だ。日本に居た時からそうである。月並みだが、あの猫とのつかず離れずの距離感がちょうど良いと感じている。

外国に行くと人間と言葉が通じないことがある。おまけに初めて訪れた国だと友人や知り合いさえいない場合も多い。

そんな時に孤独におののき、海外で貴重な時間を無為に過ごして良いのか。

もちろん否である。

そしてそんな時のために僕が提示したいたった一つの解決策は 「猫 」をみつける ことである。


海外に行っても

言葉が通じなくても

あまつさえ知り合いや友達が居なくても

猫さえ見つけられれば大丈夫 だということを伝えたい。


エストニアの猫

エストニアの特にタリンでは、エストニア人は基本的に外国人には不干渉であることが多い。そのような性格の人が多いのは、隣国の人に長い間虐げられてきたという歴史もあるだろうが、基本的に外国人とのコミュニケーションに不慣れだからである。夜中フードを被って歩いていたら後ろから来たパトカーに職務質問を受けたが、フードを取った僕が外国人であるという事実は完全に想定外であったらしく、パスポートを確認する婦警は半ばパニックに陥っていたのが見て取れた。(「可愛い」と解釈することも出来る)

また大晦日に自由広場で行われていた年越しフェスにまたもやコートのフードを被って参加していたら、背後からエストニア人の青年が声をかけてきた。しかしやはり彼もフードを取った僕が外国人であるという事実は完全に想定外であったらしく、僕の顔を見るなり禁忌に触れたかのような顔をして固まってしまった。はっきり言って不慣れにも程があると思う。何も固まらなくてもいいじゃないか。でも仕方ない。そういう民族性なのだから。(もちろんこれを「可愛い性格」だと解釈しようと思えば解釈することも出来る)


もちろんフレンドリーなエストニア人も多々いるのであるが、概して外国人には不慣れというオーラを放つ人が多かった。(特にタリンでは)


タリン猫


そんな中、我らがの登場である。猫はエストニア語で "Kass" と言う。部分的に英語の"キャット" に近い。

しかしながら、実はそんなゴタクや言語上の発音の違いの話などはどうでもいい。

なぜなら人間と違って、猫には「言葉を介さずにコミュニケーションを取ることができる」という大きなアドバンテージがあるからだ。


「お前は何を言ってるんだ?」


いや、何もおかしなことは言っていない。

ヨーロッパの様々な国で滞在してみて判ったことは、猫はiPhoneやアマゾン、またはポケモンGoに匹敵するグローバルな存在なのだということだった。


ヘルシンキ猫



猫はワールドワイド

ポルトガルのリスボンに居た時、ホストもホストの母親も誰も英語が話せないという環境で暮らしていた。意思疎通にグーグル翻訳を使っていたが、英語などお互いに知っている言語で話す事と比べたら非常に骨が折れた。


その点、猫なら大丈夫である。そばにいるだけで意思疎通が出来るのだ!

人間の世界には「以心伝心」という言葉があるがあれは嘘であり、ファンタジーであり、オカルトである。言葉を介さずに思いを100%正確に伝えることなど実際には不可能であり、空虚な絵空事を語っているにすぎない。本当にそんなものが存在したらそれはテレパシーでありサイコキネシスである。以心伝心とか言っているがぶっちゃけ事前に会話していただけである。もしくは、十中八九判断や意見が別れることのないような状況が目の前にあるからに過ぎない。そんな当たり前のことををさも凄いことのように言い換えて価値をインフレさせているだけなのだ。同時に「空気を読む」という言葉も実はファンタジーでありぶっちゃけて言えば嘘である。文字は読めても空気なんて読めるはずがない。口で言ったほうが1000倍早い。そしてそんな悲しい妄想にしがみつかざるを得ない人間は空疎な生き物だと言える。

しかし翻って猫の世界を見てみれば、人間と猫の「以心伝心」は100%の確度で行うことが出来ていると言える。人間と人間どうしのコミュニケーションに比べると、人間と猫のほうがコミュニケーションでの正確な情報伝達率は遥かに高いのだ。


リスボン猫。常に光を超える速さで走り回っていたので、カメラで撮らえきれていない。




スカイフィッシュかな?


スカイフィッシュ(UMA)の後ろ姿をカメラは捉えた!ツチノコかもしれない。

ちなみにリスボンの彼女(猫)は僕が家を離れる日の前日にはなぜかずっと僕のそばを離れなかった。やっぱり意思伝達出来ていると言えるのだ。(?)


猫はインフラ

ここまで読んだ方にはわかると思うが、もはや猫は生活の一部であり、(僕の)海外生活にとって必要不可欠なものであるといえる。生活にとって必要不可欠なものと言えば水・電気・インターネットなどのインフラだ。そして「猫」も必要不可欠なインフラだと言える。水・電気・インターネット・猫!


ベルリン猫。ダンケシェーンも知らずにドイツに行ったにも関わらず、彼とのコミュニケーションには初めから何の支障も無かったのだから驚きである。人間が相手だとこうはいかない。


そう、実は猫はインフラなのだ。



ヘルシンキ猫の後ろ姿


メンチを切る(ガンを飛ばす)タリン猫

ちなみに「メンチを切る」は関西の言葉だが、「メンチカツ」は関東の言葉である


ヘルシンキ猫 目を合わせようとしない。



疲れ果てたタリン猫


雪の積もる闇夜を駆けるタリン猫



端っこに座るタリン猫



丸まるタリン猫


というわけで、猫がいかにグローバルな存在であり、言語に依存しない存在であり、日常生活にとって取って代わることが出来ない(irreplaceable ←英語を使いたくなっただけ)インフラであるかと言うことがお分かりいただけたと思う。


海外生活とは切っても切れない、不可分な存在である猫。今後その重要性は世界中でますます高まっていくに違いない。


ま、犬も好きなんですけどね!


ヘルシンキ犬



【注目】エストニアのブログ書いてるよ! http://selohan.com/

著者の加藤 伸弥さんに人生相談を申込む

著者の加藤 伸弥さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。