長崎慰霊の日

いまから69年前の今日、長崎に原爆が投下され、今日現在までに16万5409人の方が亡くなった。

その前日から、中国満州(中国東北部)でも悲劇が進行しつつあった。ソ連に対日参戦による満州侵攻である。 葛根廟事件など想像を絶する悲惨な事件か満州各地で相次ぎ、多くの日本人が虐殺された。 もちろん多くの女性が暴行され、長期間にわたって、あたかも「性奴隷」のような状況に置かれた。

さらに終戦後も56万人以上の日本人男性がシベリアに抑留され(捕虜ではない)、いわゆる「強制連行」による「強制労働」で、最低でも6万人以上の方が亡くなった。

近年、あの戦争を「自衛戦争」であるとか、指導者たちの判断を「正当化」しようという意見がある。 むろん日本では言論の自由が保障されており、自分の意見を発露する権利を誰しもが有している。

だが、結果として自国民を310万殺し、国土を焦土と化し、日本の古き良き伝統文化を破却することが、どうして国民の生命・安全の保障という国家的な責任と並立できるのであろうか。

かつて山本七平氏は、マスコミをこう表現した。

「軍人以上に軍人らしい人たち」

また、前線で命を落とした兵士たちがもっとも憎んだものは、

「兵士たちに命を踏み台にする人々」

であると言った。 そういう人々が、政府にもマスコミにも学校にも企業にも近所にも大勢いた。

集団的自衛権の是非であるとか、徴兵制の復活を危惧するといった話ではない。

他国との比較でみれば、明日の食べものや住む場所に困る人はほとんどおらず、治安もよく、人々のマナーも素晴らしく、その親切さは世界から賞賛される現代の日本。

しかし69年前の日本はそうでなく、役場の係りの手によって自宅に届く召集令状によって簡単に人生が終わる国、強制連行などいうものが全国民の義務である時代があり、一日で10万に方が命を落とし、外国にいれば日本政府の保護などはなかった。

それは単に戦争や軍人の問題ばかりではなく、軍人以上に軍人らしい兵士たちの命を踏み台にする人々がいたことによる。 自らの思想的活動(場合によっては金銭的利益を伴う)のために、本職以上の過激さを有し、人々を利用しようとする人々、それは現代でも、たくさんいる。

本当の正義は、常に名もない「無言の多数」のなかにある。その人々の幸福のために、政府やマスコミが活動してくれることを心から願う。 間違っても「~以上に~らしく」「出世や自己の名誉のために人々を踏み台にする」ことなどが無いことを、長崎慰霊の日に心から願っている。

http://www.nagasaka-kk.com/

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