第8章 もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!

前話: 第9章 「娘が夜泣きすれば、抱っこしながらの勉強の日々」に苦笑

第8章 もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!


「自分の心の向くままに素直に行動すること」が認められたことで、自分はやはり「人のサポーター」として働くことにやりがいに感じる、のではないか、と考えるようになった。


当時付き合っていた彼が、関東から名古屋へ転職するのを機に、
私たちもそろそろ結婚を前提に一緒に住もうか、ということになり、
名古屋への異動を申し出ると、翌年の春には名古屋へ異動が決まった。
そしてそのタイミングでアシスタントマネージャーになった。

「閉鎖的な名古屋」と聞いていた街、私にとっては関西に次ぐ、第3の異国。

関西の頃とは変わらず、マネージャー以外が現地採用であったスタッフは、
本当にピュアで、控え目、関西のスタッフとはまた別の魅力があった。
またもや、居心地のいい環境に感謝しながら勤務していた2ヶ月後、マネージャーのご懐妊、そして、また現地で関東スタッフはわたしのみ、というどこかで聞いたような境遇になった。

そのタイミングで、アシスタントではなく、マネージャーに昇進した私には、
細かいことを気にする余裕はなかった。
とにかく、今ある現状を把握し、関東に比べると認知度の低いこの土地での集客、マーケティング、採用・・・これでもか、というくらい明らかに関東では経験できないであろう仕事が山積みの毎日。

そこでも、私を支えていたのは「クライアント」の方たちだった。
自分たちで「ファンクラブ」をつくるほどのフレンドリーな彼らは、
季節ごとのイベントにも本当に積極的で、こちらスタッフが行う仕事は毎回軽減した。
そんな、地元とのつながりを強化したおかげで、私も特に大きな身体的なストレス、病気もなく、
赴任した翌年には、長女を授かった。

春の出産を間近にして、実家へ里帰りしていた私は、改めて母の大きな存在を知り、
そして、親孝行ではないが実家の近くで子育てをしたい、と思うようになった。


運よく三軒茶屋時代にお世話になった私のメンターであるOさんが、
旦那さんの転勤で念願のニュージーランドにて生活することになったというニュースを聞いた。

彼女のお宅を賃貸として貸し出す、とのことで私はそのマンションに住む!と勝手に一人で決断した。
なぜなら、そのお宅に最初に訪れた時、一目で惚れてしまい、
あまりの居心地の良さに、

「この先、ないかもしれませんが、もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!」

と言っていたからだ。


宣言したまさに4年後、夢にも思わなかった「その日」は訪れた。

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