小さな命を失った日

1 / 2 ページ

 この物語は若くして命の決断をした心痛い物語です。

※今妊娠中という方は読まれない方が良いです。この物語はミクシィというソーシャル・ネットワーキング サービスの日記から引用しています。 




家族を持った

結婚したのは24歳。2008年に結婚しました。

そして翌年の1月1日に長男が誕生

妻は1つ年上なので若い家族という感じです。

共働きでしたが妻が妊娠し、出産と同時に産休へ

そのまま妻は退職

稼ぎは良いとはいえず(火星へ!の物語参照)

正直

子供一人でも家計的に余裕が無い感じです。


やっぱ子供は可愛い

子供の面倒を見るのは正直苦ではなく

私も料理好きな点から離乳食を如何に作るかを考え

平日の夜中に作ったりしてました。

夜泣きすれば散歩してみたり

おむつ変えたり

今思えば育メンですね

こうして子どもを育てていくと

「もう一人ほしい」

そんな気持ちになるには

妻も私も必然だったのかもしれません。


次男を妊娠

2人目の子供を妊娠した時

家計の計算が出来てませんでした

ただ

4人家族の方が楽しいかなと思ったし

兄弟だからこその家族での絆を考えました

私も妻も兄弟がいるので

こうした考えは賛同し

念願した妊娠になります


長男の成長と次男の成長

長男がつかみ立ちする頃

妊娠中の妻は家で留守番し

私が息子をおんぶ紐を使い

買い物に行くのは当たり前


夕食ですらおんぶ紐を使い料理するような感じです。(画像参照)

妻の体を気遣って無理をさせずにと気遣いは出来る限りしていました。

お腹が大きくなるにつれてですが

仕事に行っている時

心配になりました。

0歳の息子を連れて動けるわけもないので

妻や子供に何かあっても嫌だなと

すぐに行ってあげれない場合に頼れる人もいないしと

出産予定日にはまだ十分な時間があるので

何か方法を考えなければいけない

そう思っていました



実家へ

私の実家は徳島にあり

今ならお腹がそこまで大きくないので

飛行機で行けることが判明

出産を徳島で行う決心をしました。

病院も近いし近所には親戚がいるので

何かあってもすぐに対応できるという利点もあり

徳島での出産を決意

私の誕生日が12月1日だったので

祝いをした週の日曜日12月7日に出発を考え

航空券の予約も行った。


2009年12月7日(以下 当時の日記を引用します)

※妊娠中の方は閲覧をご遠慮くださいませ。

25歳の誕生日をすぎ

2児の父になる覚悟を胸に新しい生活を待っていた

そんな今日、12月7日 

妻は14時55分発 

羽田から、徳島に向かう予定だった 


しかし 

10時頃

出発の準備中 

突然陣痛が発生 

パニックになる自分

妻もどうしよう!?とパニックに。

息子が大泣きする中

救急車を呼び 救急隊の到着と同時に 


破水 


近くの病院に着き  

長男と共に待っていると

隣の部屋から 「ダメだ・・・」

と言う医師の小さな声が聞こえた 


長男をみて、涙が出た

ぎゅって抱き、歯を食いしばった・・

わかってたさ

この病院では未熟児を保育する設備がないのを

だから死産だって。 


医師のダメだって内容もすぐ理解できた

お腹に戻せないって事なんだって・・・ 


医師がその後来て別室で説明してくれた

『お腹の子供は心拍数50回/分で通常は100回 /分

弱っていますがまだ生きています。しかし既に足が片方出てしまっている

なので無理に戻せない状態です』


『現状では帝王切開でお腹を切って取り出せるけど

普通に生きてはいけない可能性が高く

心拍数は微弱です

正直いつまで続くかはわからない 

なによりも

母体の出血がひどく

これ以上時間が長引けば命の危険があります』 

と医師が話した


決断して下さいという意味だろう


唇が噛みしめた為に血が出て

著者のRyusuke Nishiさんに人生相談を申込む

著者のRyusuke Nishiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。