専門学校中退で仕事もろくに続けられなかった私が独学の勉強の英語とハッタリで得た仕事で海外に出る機会を得て人生が変わったこと

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報道番組に出ていたショーンKという人物が

まるで詐欺をしたような形で報道されTVから姿を消しましたが

私は彼の英語力の素晴らしさに感動した人間の一人です。


そして、あのような形で終わってしまったことを残念に思います。



私が英語を話せるようになりたかった理由


それは地方出身で言葉が訛っていたのが

東京で恥ずかしかったというだけにすぎません。


18歳で上京、どこかで誰かと話すと

お洒落な男性がクスッと笑いながら

どこから来たの?
えっ
まだほっぺが赤いね


そう言ってくるたびに絶望的な羞恥を感じていました。


その悔しさが原動力だったでしょうか。

英語を話せるようになりたい。

そうしたら誰も私を馬鹿にしなくなる

そういう気持ちが募ったのです。



ハッタリで言った「英語話せます」


その当時、親から勘当同然だった私は大変に貧乏で

どうにかその日を暮らしていくことで精一杯でしたから

英語学校に通う余裕はありません。


とにかくその当時の英語学習はお金がかかるものだったのです。


何十万とする英語教材を横目にしながら

ある日見つけたのがBBCのイギリス英語会話教材で

それでしたら書店でレベル別に購入できるものでした。


当時はイギリスのデュオ歌手『ワム』が売れていて

私はジョージマイケルに夢中でした。


ティーンエイジャーの感覚は可笑しなもので

私はロンドンにさえ行けば、偶然に彼と道端で出会い

もしかしたら恋愛が始まるかもしれないと

本気で夢見て英語を勉強する気にもなったのです。


貧乏で遊ぶお金もなく、当然そんな訳で友達もなく

毎晩仕事から帰ると部屋で英語学習をすることが

私の密かな楽しみになっていました。


まるでフィリピン人かのようなふりをして

ナンパの男性に英語で返したりした時もあります。


内気で忍耐のない私は仕事が長続きせず

当時はなかった言葉ですが『フリーター』でした。


英会話の勉強も英国にいきたいという夢はいつか忘れ

お金がある程度たまると仕事をしないでアパートで本ばかり読み

たまに喫茶店へ散歩に出かけるという

引きこもり生活をしていました。


ある日お金も底をつき仕事をしなければならない状態になりました。


忘れもしない1985年。


新聞でつくば万博の募集にしては

遅すぎるほどの募集広告が目に入ります。


『英会話できたら尚可』


その一行に背中を押され面接に出掛けました。


面接官
英語話せますか?
話せます


面接官にそう聞かれた時、私は躊躇せず応えました。


いわば、ハッタリというものでしたが

あの時少しでも言い訳がましいことを言っていたら

人生は変わっていたかもしれません。

面接官
そうですか

そう一言、面接官は言い

それだけで私はスイス人と日本人スタッフの通訳の仕事を

受け持たされたのです。


私が英語を流暢に喋れたか?と言ったら「ノー」です。


多分アメリカ人やイギリス人、オーストラリア人から

話しかけられたら、全く理解できなかったかもしれません。


ところが、相手も英語を外国語とする身

お互いブロークンな英語でどうにか通じてしまったのでした。


とにかく現場でぶっつけで英語を学ぶという感じでした。



群れなかった私


当時周りのコンパニオンは美しく着飾り

高額な給料もストレス発散で東京に出て

憂さ晴らしに浪費している人が多かったのですが

私は誰とも群れることなく遊ばず貯金し

スイス人スタッフと英語を話すことに夢中になっていました。


そして半年以上の辛い契約期間を終えたその足で日本を脱出。


やっと念願の英国語学留学を果たしたのです。


そして英国の後は仕事場で知り合った彼を追いかけ

スイスに飛んだのでしたが

そこでの彼は日本にいた時の性格とは違っていました。


全く自立していなかった私は彼と彼の家族に迷惑をかけ

おまけに妊娠中絶という惨めな経験さえして

負け犬のように日本に戻ってきました。


そんな自分自身が情けなく悔しく

そこからまたアルバイトでお金をため

今度はアメリカへの語学留学にトライしました。


初めてのアメリカ、それはサンフランシスコでした。


とても貧乏な生活をしていましたが幸福度はこの上ありません。


なぜならそこは、私が私自身でいて初めて

You are great!

と受け入れてくれた街だからです。



逆カルチャーショックと鬱


お金を使い果たして日本に帰国。


しかし逆カルチャーショックで日本社会に馴染めず鬱になり

どうにか手段を考えてまた海外に出るの繰り返しでした。


そんな期間に、バックパックで世界一周を果たしたり

その後はフランス資本のリゾート会社の施設の仕事で

南の島々を渡り歩き

いろんな人種のスタッフと仕事をするのも

良い経験となりました。


30歳になる時に

自分は世界のどこにででも暮らす自信はあるのに日本社会に生きる自信だけはない

ということに気づき日本に挑戦帰国

どんなに苦しくとも最低一年は勤めあげる目標で働きました。


その時にバブルが弾け、3年務めたところで自分に納得

生きる場所は英語圏の海外だとまた日本脱出を試みたのです。


それから20年以上の月日が経ち

生きにくいと思っていた日本社会も

少しずつ私にとって優しい国に変わってきました。


それは時代の変化もあるでしょうが

私自身がやっと大人になってきたという理由もあると思います。



オリジナルの自分はノマド


国際結婚の20年の間に私はオリジナルの自分を完全に失いました。


そして、本来の私自身に気づき始め

精神的独立を果たし離婚に踏み切ることができたのです。


歳をとってしまったものの

過去の自分を思い出しながら経験する海外のロングステイ。


羽が生えているような自由と冒険を満喫しています。


自分には日本とアメリカ以外でも住む場所の選択種があります。


それは異国のカルチャーに合わせられる柔軟性と

英語に不安がないという利点があるからなのです。


訛りを恥じるティーンエイジャーの私が

こんな人生の展開を得るとはなんとも面白いものですね。




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福永 眞子

20年の専業主婦の国際結婚後、一度の人生と思い切って離婚した50代です。 現在は老後をどの国で過ごそうかと場所を変えながらロングスティで各国を転々としております。 中年過ぎの恋愛をいま一度楽しみたい、素敵なシニアを目指したい、そんな希望をもって楽しく毎日を生きています。 ブログ tsuyas

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福永 眞子

20年の専業主婦の国際結婚後、一度の人生と思い切って離婚した50代です。 現在は老後をどの国で過ごそうかと場所を変えながらロングスティで各国を転々としております。 中年過ぎの恋愛をいま一度楽しみたい、素敵なシニアを目指したい、そんな希望をもって楽しく毎日を生きています。 ブログ tsuyas

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20年の専業主婦の国際結婚後、一度の人生と思い切って離婚した50代です。 現在は老後をどの国で過ごそうかと場所を変えながらロングスティで各国を転々としております。 中年過ぎの恋愛をいま一度楽しみたい、素敵なシニアを目指したい、そんな希望をもって楽しく毎日を生きています。 ブログ tsuyas

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