夫は死去。奥さんは頚椎損傷の上、29歳の若さで車椅子生活を余儀なくされた。そんな彼女のとった行動とは。

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ある日突然、

自分には全く、なんの落ち度がないにも関わらず、

自身の身体の自由を奪われたら。


あなたは一体どうしたいでしょうか。


今日は、ちょっとショッキングな話をします。

あるご当家、の話。

もう2年くらい程前の事です。

ネットビジネスというお金を稼ぐ手段を知った当初の話。


今でもですが僕はセレモニーホールの従業員をやっていて、

夜中に「亡くなりました」という連絡を受けたら、すぐさま駆けつける、

夜勤要員のようなこともやっています。


その時にあった電話は、息子が交通事故で亡くなった。という電話でした。


さっそくお迎えにいくと、親族の人が誰も居ない。


病院関係者に話を聞いたら、

「実は隣に乗っていたのは奥さんで、

奥さんも意識不明の重体。仮に回復しても、満足に歩くことは困難になるだろう」ということでした。


なるほど、了解しました。

と僕は言い、故人様のみを連れて式場の方へ搬送しました。


まだ30歳。僕の一個上の年齢で、去年籍を入れたばかりでした。

それから間もなく故人様の両親が到着。取り付く島がなく、泣いていました。


それから、10分もしないウチに、若めのシュッとした男性が到着。

事故をした相手側の、保険代行人と告げていました。事故を起こした相手は、顔を見せませんでした。

(この後、警察で取り調べを受けてると聞きました)


両親は、淡々とモノを言う代行人をキッと睨んでいました。

無論、その人は仕事上そういう場面に慣れているのか気にも留めてませんでしたが。

セレモニーホールの人間のサインが要るということで、サインをして代行人は去りました。


僕も「詳しい打ち合わせは明日、また来ますのでそこで致します。」

とだけ言って引き上げました。


葬儀自体は、トントンと進み、友人や知人。会社関係の人達、

全員を呼んで、お別れの儀式は2日間のウチに無事に終わらせることが出来ました。


重荷

それから1週間後、葬儀費用の支払いも兼ねて、故人様の両親が来店されました。

あの時の事故で自分達の息子は亡くなり、

その奥様は、つい2日ほど前にようやく目を覚ましたそうです。


ただし、頚椎損傷の上、29歳の若さで車椅子生活を余儀なくされて・・・。


両親いわく、奥さんの入院期間は今からおよそ344日に及ぶといいます。

その中でリハビリや日々の生活に馴染んでいくための、死ぬほどの努力をせねばなりません。


聞く限り、ご夫婦に落ち度はありません。

青信号を直進しようとしていたら、横から突っ込んできた加害者側のクルマから、

横殴りをくらってしまって。軽四だった夫婦のクルマは粉微塵なほどにぶっ飛んだのです。


そしてご両親は、こうも言ってました。

彼女の痛みや怒り、悔しさや、もどかしさ。後悔の念・怒り。

これらは、自分達にはどうやっても推し量ることも出来ない。息子を亡くした、

その念を引きずったまま、暮らし続けていくことになる。これほど辛いことがあるだろうか。


20代最後の年に押しつぶされんばかりの痛みを背負い、これからを生きていかなくてはなりません。


事故直後に聞いた、

ご主人の「死ねない・・」という叫びを、一体何回頭の中で繰り返していけばいいのか。


僕もバイク事故には何度か遭ったことはありますが、

ここまで壮絶なのはありませんから、正直想像もつきません・・。


そして例の保険の代行人が、彼女の元を訪ねて来たそうです。

戻らない。そんなのは分かってる。が、しかし。

故人様の両親の話を、続けて聞いていました。


淡々と話を進める保険代行人は、

病院のベッドの上の彼女の目の前でも、それは変わらなかったそうです。

書類にモノを書きながら話だけを進める代行人。

最後に「何か質問はありますか?」と代行人が聞いた一言に対し、彼女が言ったのは。


「あの頃に戻すことは出来ませんか?」


その場で彼女の両親も、ご主人の両親も聞いてましたので、

「あの頃=事故の前」というのは皆、察したはずです。


もちろん現実は、これからをその姿で生きる。ということのみ。

そんなことはそこに居た全員が全員、百も承知だったでしょう。


でも彼女のクチから出たその一言。

それは、誰にぶつけたった仕方がない、やり場のない怒りと悲しみの念、

それら蓄積したモノを溜めて捻りだした、怒涛の一言だったのではないかと、思うのです。


事故を恨む。相手を恨む。

人生を諦めて無気力に生きて、自暴自棄になろうとすることだって考えたハズです。

誰だってそれを責めることなんざ出来ないですよ。


でも、結果的に、彼女はそうしなかったそうです。


49日の法要の時、故人様の両親は

「進もうとすることを選んだ、強い嫁を持ったね。息子は」って言ってました。


もう主人は居ない。自分はこんな姿。

だからどうした。生き返ったと思って、精一杯生きてやりましょう!って。そう言ったそうです。


彼女を支えたのは、

ありのままで進む。これからの自分は、この姿が自分らしいということ。

と決心して生きることを決めた、彼女の意思です。


その選択をして、生きようと決めた人。

僕も話を聞いてて、「自分らしく・・か」と心に深く刻みこんだ、そんな話でした。


生きる。ということ。


人は死にます。呆気無いほど、カンタンに。


当然ですが死んだら人は蘇りません。

セレモニーホールの従業員として、僕はこのケースもそうですが、志半ばで自害してしまった人や、

3人の子どもを残して脳溢血でこの世を去ってしまったお父さんなど。

色んなご当家様と関わりを持ってきました。


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