先生、あんたなんかに何が分かる?(3)

第二章
「得意なことを、徹底的にやり抜く」
 最初に
「何かおかしいぞ」
 と気づいたのは、1982年にアメリカのユタ州ローガン中学校で社会の授業をしている時。同席していたネイティブの教師が、しばしば私の授業を中断して生徒に向かって説明し始めた。
「ミスタータカギが今使った単語の意味はね、---」
 と解説を始めた。それで、一番仲のよかった理科教師のアランに
「なんで私の授業を中断するのかな?」
 と相談したら
「お前の英語は綺麗だけど、ビッグワードを使いすぎなんだ」
 とアドバイスをくれた。それで、注意して職員室の会話などを聞いていると、確かに中学レベルの英語を使っている。自分が受験勉強で習った難解な単語など全く出てこない。
 not more than と no more than の違いなど、使わないのだからどうでもよかった。私の塾生たちは、高校で与えられた「システム英単語」を使って単語をいっぱい覚えているが、多分ムダになる。
 アメリカから帰国した私は公的な資格を取ろうと思って、とりあえず英検1級の過去問を書店で入手した。そして、知らない単語や表現を見つけてウンザリした。
 もはや、高校生の時のように
「頑張って勉強しないと」
 と自分を責める気になれなかった。私はネイティブの助けを借りて問題を解き始めたが
「これは何だ?なんで、日本人のお前がこんなものを」
 と言う。それで、
「どういう意味?」
 と尋ねると
「こりゃ、シェークスピアの時代の英語だよ」
 と笑っていた。
 しかし、アメリカから名古屋にある7つの予備校、塾、専門学校に履歴書を送付しても全て無視されたので、私は日本の英語業界で認知されている資格を取らざるをえなかった。
 事実、英検1級を取ったらどの予備校、塾、専門学校も返事が来るようになった。結局、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、河合塾学園、名古屋外国語専門学校などで14年間非常勤講師をすることになった。
 その間に出会った英語講師の方たちの中に、英検1級を持っている人はいなかったし、旧帝卒の講師の方もいなかった。資格を持たないと雇ってもらえないという私の見方は誤っていた。
 私はその頃には受験英語を捨てていた。どの資格試験の英作文も面接試験も、すべてアメリカで使っていた英語で通した。つまり、中学生レベルの英語を使って難解な内容を表現する英語だった。

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