「京都大学の英語」で8割を越えるための一考察(続編)

  「京都大学の英語」で8割を越えるための一考察

       http://storys.jp/story/18159

 を投稿したところ

「でも、受験英語、資格英語、現代英語って何?」

 との質問を何通か頂いた。

 私は「受験英語」に恨みがある。やり過ぎたために、神経衰弱で病院送りになった。逆恨みでも何でも構わない。絶対に許せない。何が許せないかというと、

「使えない英語を教えるな!」

 ということ。私は、現役時代に no less than や not less than など沢山覚えさせられた。しかし、あれからアメリカに行ったらぞんな英語は使われていない。なんで、こんなことになっているのだ。

 私の推測だけれど、100年ほど前の“権威”が滅多に使われないややこしい表現を参考書に書いたのではないだろうか。そして、その権威を持ち上げるために、その参考書が基本になった参考書が出回っている。

 帰国後、田舎の塾講師では誰も信用してくれないので、英検1級を取ろうとした。そして、過去問を解き出したらネィティブが

「これ、いつの時代の英語なの?」

 という態度だった。これまた、ローガン中学校でも日常生活でも聞いたことのない表現方法の連発だった。なんで、そんなことになっているのか。こちらも、やはり権威に胡坐を書いている誰かがいるらしい。

 私は、名古屋大学で心理学を勉強していた。理系なら、20代の学者でも実験結果があれば権威やドンもやっつけられる。しかし、文系は肩書きと権威だけが全てだ。

 ところが、あれから30年。今や、英検の権威も落ちた。TOEFLや、TOEICが取ってかわろうとしている。いい気味だ。ドンなんて要らない。ネット社会だから、陰に隠れて暗躍もできない。

 国際化社会で、ネィティブが日本にわんさかいる。もう、日本人をだますことは不可能。だから、学校の教科書は昔の物語ばかりから会話形式に変わった。入試にリスニングのない学校はほぼゼロ。

 書店には、CD教材があふれ、小学生にも英語が導入され、ECCジュニアなどの幼児向けの英会話教室がどの町にもある。

 しかし、お気づきだろうか。何も変わっていないものがある。


 それは、「教師」「講師」だ。

 

  「第2期教育振興基本計画」(平成25年6月14日閣議決定)では英語教員に求められる英語力の目標(英検準1級程度又はTOEFL iBT80点程度以上等)を掲げており、上記の取組を通じて、養成段階における教員志望者の英語力をこうした水準にしていくことが望まれる。
【文部科学省「英語教育実施状況調査(H25)】
・公立学校の英語担当教員の英語力について、英検準1級以上、TOEFL iBT80点以上又はTOEIC730点以上の者の割合は、全国平均で、中学校で28%、高等学校で53%となっている。この値は都道府県により大きく異なっている。

 

 英検1級の私が実際に京都大学を7回受けてみた。「受験英語」、「資格英語」、「ネィティブ英語」で受けてみた。すると、正解率が60%から82%に跳ね上がった。つまり、高校の英語教師の47%は京大で6割もとれない。ボーダーを越えられない。受からない。

 53%のボーダー越えの教師のうち「準1級」と「1級」の割合は、どれくらいだろう?難度を考慮すると、準1級が4割くらいだろうか。この4割も京大合格レベルの英語には達していない。最後の1割程度の方も、疑問が残る。

 私は、名古屋の7つの大規模予備校、塾、専門学校で14年間講師をさせてもらった。一度も英検1級を持っている講師に会ったことがない。旧帝卒の講師は2人だけ。

 受験産業で働いている身としては、残念だ。

 文科省、教育委員会、日教組などは、ドンであり権威なのだ。だから、こういう不都合な真実は公表したがらない。しかし、そういう権威も、民主主義の日本では有権者の言うことを無視できない。

 少しずつ真実が明らかになりつつある。

 考えてもみて欲しい。ここ三重県では、英検1級に合格する人は毎年数名しかいない。なのに、どの町にも進学塾がある。明らかに不適切な講師が指導しているわけだ。

 この真実を口にすると、受験産業も教師も敵にまわすことになる。だから、みんな口をふさいでいる。

 しかし、これでいいのだろうか。子どもたちが犠牲者になっている。かつての私のように。日本人で英語をマスターしている人は、今もほとんどいない。

 それで、いいではないか。英語を必要とする日本人がどれだけいるのだろう。ほんの一握り。本当に英語を身につけている人も、ほんの一握り。不都合でも、それが現実だ。

 遊びやファッションで英語をやりたい人は、やればいい。しかし、プロをめざす子と、アマチュアの子を強制的に「班」に押し込めて、校内学力順位を本人に隠し、業者テストを追放するような社会主義教育は誰も幸福にしない。

 ここだけは、改善して欲しい。

  無理やり「愛」だ「絆」だと言わせているうちに、一方でイジメが蔓延していく。学校も、予備校も、塾も、教師や経営者のためにあることを思い知った。生徒のためにあると思えないのだ。

 問題は、教師や講師本人が

「自分は善良で生徒のために全力で働いている」

 と、心から信じていることだ。イザとなったら、全て隠蔽しようとするのだが。

 ここいなべ市の北勢中学校や員弁中学校でも、事件があった。


北勢中学校のケース

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1464754723/

員弁中学校のケース

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1360125969/


 自分の身の安全や学力の向上を願う私の塾生の子たちは、学校や教師から距離を置いて自分のペースで勉強している。それがいいと励ましている。保護者の方たちは、自分の学生時代を思い出して

「そんなはずはない」

 と思われる方が多い。でも、それは30年も昔の話で、今は状況が全く違うのだ。

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