ミャンマー旅行記(+ラオス、ベトナム) by よそじーず

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先月の18日から、インドシナおよびミャンマーに行っていました。起点は勿論、バンコク(タイ王国)から。

一応、今回のラオス・ベトナム・ミャンマーの旅は、


(タイ王国)バンコク -> ウボンラチャタニ

->

(ラオス)パクセ― -> シーパンドーン -> パクセ―

->

(ベトナム)コントゥム -> バンメトート -> ニャチャン -> ムイネー -> ホーチミン -> プーコック島 -> ホーチミン

->

(ミャンマー)ヤンゴン -> ベグー(パゴー) -> モウラミャイン -> タンビュザヤ -> モウラミャイン -> ミャワディ

->

(タイ王国)メーソート(ターク県) -> バンコク


の順。(当初の計画は、インドシナ3国、でしたけど)






最初、ベトナムのホーチミンへのフライトで、バンコクからベトナムに飛ぼうと思ったんですが、VietJetで予約していて、いつも使っているドンムアン空港ではなくスワンナプーム空港であったことを、タクシーで行ったドンムアン空港にて気づきまして、もう間に合いませんね、と言う事で、ドンムアン空港でその場で別フライトを探し、JetStarのウボンラチャタニ(タイ王国)行きが最適解かなと判断したので、ウボンラチャタニからラオスのパクセ―に行く事に決定。


実は、その前の日に、15000バーツ(45000円)のうちの10000バーツ(30000円)をUSDに、5000バーツをベトナムドンにしていたのですが、USDを入れていた袋を両替商から家に帰る途中で落としてしまったらしく、相当な失意の元で混乱(及び睡眠不足)していたんですよね。いやあ、まいったまいった。

というわけだったんですが、ラオスおよびベトナム部分は大幅に割愛しますm(__)m 殆どが二回目でしたし。


(Lao Nippon Friendship Bridge in Pakse)



(シーパンドーン:東南アジア最大の滝)







(プーコック島)



プーコック島に向かう辺りから、風邪がひどくなってしまって、カンボジアに陸路で行く事も出来ないなあ、と思ったのもあって(他にも理由は有りますが)、予定を大幅に変更して、9月4日で切れる事になっていたミャンマーの観光ビザ(バンコクで取得:3か月有効:28日観光ビザ)を捨てるのはやめよう、と言う事で、ホーチミンに戻って、初のミャンマーのフライトを予約。




ヤンゴンに着いた途端、イミグレーションでパスポートコントロール中に、突然の空港停電(笑)。早速の感動、ミャンマー・・。


ミャンマーは、右車線の右ハンドルです。日本車の中古が9割近く入ってきていますが(バスは最近は左ハンドルしか入らないのもあって韓国系も増えている模様)、ネ・ウィン将軍の頃に、BMWがお気に入りだったために右車線に変更になって、それで社会インフラになった、と言うまことしやかな話もあります・・おそらく、占い師の指示に従ってしまったのでしょう。

ヤンゴンの街中は、バイクが一切ありません。最初、この国はバイク禁止なのかな、と思うくらいに、不気味に思ったのですが、どうやらヤンゴンなど一部の都市だけバイクが禁止の模様。



翌日は、市内観光

(ミャンマーの皆さん、素敵ですね)

(スーレー・パゴダ)


(シュウェダゴン・パゴダ)




(ヤンゴンセントラル駅)



(車窓より)




(ヤンゴン大学)



翌日、ヤンゴンからベグー(パゴー):列車の旅。

(ヤンゴンセントラル駅)





バゴーでは、モーテルに宿泊。そのモーテルの近所をブラブラしていると、すぐに日本語学校が見えたため、挨拶に入る事に・・・歓迎された挙げ句、写真まで撮ってしまいました(^_^)v



翌日、バイクタクシー借りきって一日街中をドライブ。









その翌日に、列車でモウラミャインに向かいました。ベグーからの路線は、9時出発だったのに、7時半にならないとチケットを入手できない、と言う様なシステムでしたが。日本主導で鐡道関係のシステム改善も出来ないものなのでしょうか。




翌日は、タンビュザヤ。泰緬鐡道の始点。

ミャンマーのタンビュザヤからタイ王国のカンチャナブリまで。カンチャナブリには、「Bridge Over the River Kwai」と言う、第二次世界大戦時に「Death Railway」と呼ばれた泰緬鐡道の難所があったりします。カンチャナブリは既に二回ほど行っていますが。


(泰緬鐡道ミュージアム)

(Japan Paya)

(ミャンマーの皆さん、とても素敵ですね!)

モウラミャインから、ダウェイ経由でタイ王国の陸路と言う事も考えたのですが、ダウェイまでの距離が結構ながく、バスを使っても8時間、列車は朝4、5時くらいの出発と言う事で、それならば、ミャワディ、メーソート経由(東西経済回廊)で帰ろうという事で、数泊。パアンと言う処に一泊してパアンからミャワディ、と言うルートもありましたが、延泊することに。

モウラミャインには、結局4泊しました。


(モウラミャイン大学の写真)




(モウラミャインを一望)



(モウラミャイン:チャイクタンラン・パゴダ)



(パウン:Nowrlaboo Taung Paya)


モウラミャイン大学の真ん前にもまた、日本語学校があって吃驚。

(日本語学校)



モウラミャインからミャワディは、シェアタクシー。10000チャット(800円)で行けるかと思ってたんですが、20000チャットでした。

モウラミャインからミャワディ、途中のコーカレイまでは、それほど道も良くなく、また大雨でしんどかったですが、コーカレイからミャワディへの新しい道(今までは1.5時間近くかかったらしい)は大変にスムーズで、30分位でついてしまいました。既に完成はしていますが、今後も、ベトナム(ダナン)、ラオス(サヴァナケット)タイ王国(ターク県)からヤンゴン近郊のティワラ新工業団地(経済特区)へと向かう、東西経済回廊への道は、着々と整備されていくようです。

(ミャワディ・メーソートの陸路国境)

と言う感じで、数週間の、ラオス・ベトナム・ミャンマーの旅は終了しました。


あと2・3回ほど、ミャンマーへの1か月の旅を「乾季に」じっくりとしたいな・・と。今回、雨が降って結構しんどかったです。

ミャンマーの魅力をもっと伝えれれれば!と思います。乞うご期待!



おまけ:

実は、2年前の今日(明日)、成田空港を離れ、フィリピンのセブに降り立って、そこから2年間のASEANの旅になりました。

トップの画像は、丁度2年間の歴訪箇所を、グーグルの履歴がばっちり覚えていて、そのスポットを100以上しめしたものです。2年間で、ASEANは9か国、100か所以上見て回りました。2年間でiPadにたまった写真の枚数は85000枚。


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北畠 徹也

北畠徹也(英語:Tetsuya Kitahata 露語:Тэцуя Китахата)は1974年生まれ。1993年東京大学教養学部理科2類入学、同大学法学部私法コース卒業。北海道生まれのアントレプレナー。現在:株式会社テラ・インターナショナル代表取締役。タイ王国バンコク都在住。

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北畠 徹也

北畠徹也(英語:Tetsuya Kitahata 露語:Тэцуя Китахата)は1974年生まれ。1993年東京大学教養学部理科2類入学、同大学法学部私法コース卒業。北海道生まれのアントレプレナー。現在:株式会社テラ・インターナショナル代表取締役。タイ王国バンコク都在住。

北畠 徹也

北畠徹也(英語:Tetsuya Kitahata 露語:Тэцуя Китахата)は1974年生まれ。1993年東京大学教養学部理科2類入学、同大学法学部私法コース卒業。北海道生まれのアントレプレナー。現在:株式会社テラ・インターナショナル代表取締役。タイ王国バンコク都在住。

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