世界最大手会計事務所を3年で退職後独立し 年間2億円以上稼ぐようになった話。

前話: 偏差値35だった僕が名門大学に入学し 在学中に公認会計士試験に合格した話。6
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僕は今30歳です。 立命館大学在学中に公認会計士試験に合格し、卒業後は有限責任監査法人トーマツへ就職。

高校3年生のときの偏差値は、たったの35。 血のにじむような努力をして、大学と公認会計士試験に合格しました。


詳しくは、

偏差値35だった僕が名門大学に入学し

在学中に公認会計士試験に合格した話。全6話

をご覧ください。


2013年3月に3年間勤めたトーマツを退職して起業し、 現在は株式会社Social Riverの代表取締役です。 独立して4期目を迎えています。

トーマツの給与は1年目で600万円くらいでした。 30代で1000万円、40代で2000万円も超えるという 将来性も安定性も抜群な職業なので、そのままいけば一生安泰といっていいポジションです。

トーマツは”世界最大の会計事務所”とWikipediaにも書かれているぐらいの超優良企業です。 世界150カ国に事務所があり、直近の売り上げは年間3兆円オーバー。

そんなトーマツを3年で退職し、僕は独立しました。

事務所なし従業員なしでほぼ固定費がかからない中、 粗利ベースで今期は年間2億円以上を見込んでいます。

今は1日平均60万円の利益が僕の口座に入ってきます。 とはいえ、働いているのは1日3時間くらいなので、時給に換算すると約20万円くらいです。 することといえばLINEの返信だけなので、人から見ればただiphoneをいじっているだけです。 それだけで月数千万円が入ってくる。

お金と時間の両方を自由に使える生活を手に入れ、 今僕は悠々自適な生活を送っています。




人生を変えた一冊の本

トーマツでの日々は、間違いなく充実していました。 ただし、仕事は激務でした。

朝は9時前に出勤、ほぼ毎日残業です。 特に繁忙期は膨大な量の仕事がのしかかり、家に帰っている暇がなくなるくらいですが ちゃんと残業代もつくし、休日手当ももらえました。 給料もいいし、いい生活はできていました。

しかし、しばらく慣れてきて、よくよく考えると会社員には変わりありません。 どこか自分の力ではなく、会社のおかげでというように感じました。

それまでの僕はよくも悪くも常にチャレンジし続けてきた人生でした。 一方で監査法人の、安定して手堅いけど、自分らしさの感じられない毎日。 もちろんそれのどこが悪いのかと言われても困るのですが、 何か違うという気持ちで過ごすようになっていきました。

そんなある日、僕の人生を変える一冊の本と出会ったのでした。

世界中の多くの企業家、投資家たちに影響を与えた、

ロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』(筑摩書房)

優秀な教育を受け真面目に会社勤めをする一般的なエリートの父さんは、 一生働き続けて資産を持つことのできなかった”貧乏父さん”になり、 ハイスクールすら卒業していない父さんは、 ビジネスオーナーとして裕福な”金持ち父さん”になった、 というお話です。

この二人の父さんの違い、それはお金の知識があるか、ないか

さらに、

お金の知識がなければ、たとえいい大学を出て大きな会社に就職しても、 ”ラットレース”の入り口に立つだけになりかねないのだ

”ラットレース” それは籠の中の走り続けるネズミのように誰かのために働かされている状態のことです。

マジかよ!



一生懸命勉強して大学に入学、在学中に公認会計士の試験に合格し、 世界一の会計事務所に入った僕はラット=ネズミだったのです。

とにかくラットレースから脱出してお金持ちになるためには、 起業するか投資家になれってことなんだな

衝撃を受けた僕は、お金や社会、人生のあり方について学ぶようになり、 どんどんいろんな本を読んで勉強するようになっていったのです。

目指せニューリッチ

ティモシー・フェリス『週に4時間だけ働く』(青志社) には、インターネットの普及や金融の自由化によろ世の中にはニューリッチという層が生まれ始 めていて、まさに週4時間だけ働いてあとは好きなことをしている人たちもいる、と。

お金をたくさん稼いでも、使う時間がなければ意味がありません。 自由になれる時間の多さとは、自分で自分の人生をコントロールできていることの表れです。

なるべく短い時間で効率良く大きくお金を稼いで、自由な時間を作り、やりたいことを将来に先 送りせず、今やってしまう。

そうだ、僕が目指した”成功”はこれなんだ、と思いました。

2012年夏。『金持ち父さん、貧乏父さん』にインスパイアされた僕は、早速、自由とお金を

手に入れる方法を手に入れるため、まずは起業の前段階として副業を開始することにしました。

独立の準備

僕が副業で最初に選んだのはアフィリエイトでした。

初月は2万円、2ヶ月目にして20万円。

収入が10倍に膨らみました。

しかし、トーマツを辞めて起業を狙うのであれば、

少なくとも本業以上の金額を稼がなくてはなりません。

つまり、年収500万円以上が見込めないのであれば、 ネットビジネスは副業の域を出ないのです。


その後、カリスマ講師Kさんの”お金儲け”のセミナーを受講しました。 この講師Kさんは1回のセミナーで1000万円稼ぐと言われるカリスマ中のカリスマ。 一体どんな高度な教えが飛び出すのか、僕は一語一句を脳に刻み込もうと集中していました。

しかし、Kさんの教えてくれた内容は非常にシンプルでした。

「一人でパソコンだけで稼げ」

「5万円稼げたら、次はタダで教えて教育しろ」

「それをいずれ売れ」

10万円のセミナーが要約するとたったこれだけ。

僕はこの時期すでに20万円稼いでいたので、 「じゃあこの方法を20万円とかで売ればいいんだな」 と考え、早速行動に移したのです。

ある日僕が買った情報商材の販売者がセミナーを開いたので参加しました。 ところがこの商材を買ってセミナーに集まっているのは、稼げていない人ばかりでした。 そこに同じ商材を買って20万円稼げている僕が登場したので注目されました。

やり方を教えてくれとみんな寄ってきました。 そこで僕はKさんから学んだ 「タダで教える」

を実践しました。

すると次第に 「お金を払うのでもっと教えてください」 と言われるようになります。

それからは3回目まで無料、4回目以降は有料。 というルールでノウハウを教えるようになったんです。

これがうまくいったので、SNSやメールマガジンを使って無料でビジネスの情報発信を始めると、 ぜひビジネスを教えてください、といったアポイントが増えていきました。 そこで自分が20万円稼いだ方法をひたすら教えました。

この戦略で僕は2013年3月になんと457万円の売り上げを立てることができました。

僕は人生の賭けに1勝しました。

頭のいいバカになれ! 「お金と時間を手に入れるには、ビジネスをやるか投資家しかない。」


そのためには、とにかく会社を辞めるしかない。

在職3年目にして世界の超優良企業トーマツを去る。 それは、まさに人生を変える選択でした。

公認会計士試験合格者は、2年以上の実務経験、実務補習を経てようやく公認会計士の資格が保 有できます。

つまり、僕はこの時点でやっと長年の夢を実現できる地点まで来ていました。

我慢して働いていれば高収入が保証されている上に、社会的な信用も高く、合コンなどでもモテ モテです。 多分、結婚して家を買い子供を育てて...という安定した幸せな未来が待っていたかもしれません。

でも僕は、自由に生きたかった。 だから給料をもらうのではなく、僕も自分で稼いだと思えるお金を手にしたい。 つまり、

やっぱりビジネスを始めて起業したいと考えるようになったんです。

会計士の同僚たちと3年一緒に働いてみてわかったことは、彼らは頭がいいからリスクを回避す るということです。 僕だって、小さな頃から頭脳明晰、優等生で勉強漬け、それで有名大学へ行って会計士に通ったと いう人生だったら、起業はしなかったかもしれません。

考えられないような成功やお金と自由と精神の自由を手に入れるとしたら、 一般的な常識とは逆をやるしかないんです。

だから僕は公認会計士への道と大手監査法人トーマツのポジションを捨てました。

確かにバカかもしれません。

でも、この選択を今僕は後悔しません。

頭のいいバカになれ! これが僕が今いいたいことです。

チェンジ!

2013年4月、僕はついに”起業家”になりました。

株式会社Social Riverという会社を立ち上げ、本格的に新たな人生が始まったんです。


”自由な生き方”を求めてトーマツを辞めましたが、僕の1年目はまさに働きづめで、 目まぐるしい毎日でした。

しかし誰にやらされるわけでもない、自分のビジネスだということもあり、 ”やりがい”を感じていました。 スクールを通じてお金を稼げるようになった受講生から、直接「ありがとう」 と言われるようになったのです。

仕事をして、お金をもらって、しかも感謝されるなんて衝撃でした。嬉しかった。

僕は顧客のために一体何を生み出せるのか? どのような価値を提供できるのか? それを考えるだけでワクワクする。

「これなら絶対に大丈夫だ」

ネットビジネスを始めて約1年半。 お金の面でも精神的な面でも昔の自分には想像もできなかった成功を僕は手にし始めていました。

1年目、「金川塾」をスタート。合計4500万円の売り上げ。 会社とはいってもオフィスがあるわけではなく、従業員は自分ひとり。 固定費も変動費も経費はほとんどかからず、粗利で3900万円という結果になりました。

2年目。事業の柱を幾つか立ち上げ、収入の複線化に取り組みました。 1年目はパートナーもなく一人でしたが、多岐にわたるビジネスだと、誰かと組むこともありま す。その相手が何倍も稼いでいたりすると、本当に学べることが多くなります。 最終的に売り上げは8800万円に伸びましたが、粗利は5700万円ほどでした。 1年目より更に多く稼ごうと多角展開したものの、利益率は下回っていました。

3年目は、できるだけ仕組みを作り、余分なことは一切しないことにしました。 リスクヘッジの観点から複線化に努めたのがかえって労力が分散してしまい、 思ったような効果が得られなかったという反省をふまえ、2年目にやっていたほとんどをやめ、 「ネット転売(無在庫転売)」と「投資」のスクール運営に集中することにしたのです。 そして3年目が終わる頃、会社の年商は1億3000万円を達成していました。

僕はついに1億円稼げる仕組みを作り上げたんです。

2016年現在、独立4年目です。 ここにきて、僕はようやく、「時間」と「お金」を自由に使える生活を手に入れた! といえるようになりました。

1日に働く時間はたったの3時間。


それだけで、月に数千万円が入ってくる。

夢のような日々を過ごせているのは、効果的なマーケティングと自動的にお金が入る仕組みを確立できたからです。

公認会計士試験に受かった23歳の時、僕は30歳の自分をこう想像していました。 「年収1000万円で、バリバリ働いてトップの公認会計士になっている」 当時の僕は、それが30歳の自分のMAXだと思っていたんです。

しかし、実際に30歳になった僕は”時給20万円”を達成しています。

公認会計士なら、朝から晩まで週5で働いても、給与は月100万円に届かなかったでしょう。 今僕は悠々自適な生活を送りながら、iphone一つでその何倍もの稼ぎを手にしている。

これほどまでに人生が”チェンジ”しているとは、夢にも思っていませんでした。

きっと、多くの人は”自分がやらなくてもいいこと”をあまりにもたくさん押し付けられています。 誰がやっても同じ結果になることは”やるべきこと”ではありません。 誰もが”自分がやるべきこと”だけに集中できれば、きっと働く人たちの幸福度も上がり、 企業の力も高まるのではないかとさえ思います。

本当に”自分がやるべきこと”は、案外少ないんです。

時間とお金の自由という視点で見ると、 起きている時間のほとんどを仕事に費やしている人は一度時給に換算して考えてみてください。

”自分がやらなくてもいいこと”におわれて時給が下がっている人には、 生き方を「チェンジ」するのも一つの選択肢だと思います。

人生に壁を感じている人。

将来が不安な人。

お金と時間の自由を手に入れたい人。 ぜひ勇気を出して、行動を起こしてみてください。 あなたにとってのゴールを目指して、大きく「チェンジ」していただきたいです。

番外編⇒僕と起業と両親の離婚

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僕と起業と両親の離婚

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