2冊のビジネス書が出版され、増刷されるまでの物語 vol.02「レジュメを書く」

前話: 2冊のビジネス書が出版され、増刷されるまでの物語 vol.01「出会う」
 青年にとっての衝撃的な出会いから、何かに導かれるようにして「みどり勉強会」に通うようになった。
 今にして思えば、理由は思い浮かばない。奴隷だ、破滅だと罵倒されながらも、理路整然と説き伏せられ、ひねりあげられたので、ある種、爽快でもあった。その快感を味わいたかったのか、それとも視野が広がると思ったからなのか。
 まるで坂本龍馬が勝海舟に魅入られたかのように、高杉晋作が吉田松陰に心酔したように、青年は松谷先生に恐れ入り、そして何かを学ぼうとした。

 郷に入れば郷に従えという。みどり勉強会では、1週間に起きた出来事をレジュメに纏めて発表し、かつレジュメを書いてきた人同士でレジュメを交換するというルールがあった。
 青年もさっそくそれに倣った。毎週、読んだ本とその感想を書き連ねて、それをレジュメにして纏めて、みなの前で発表した。A4で5~6枚、2冊の本の感想と、交換したレジュメの感想を書いた。文字数で、平均して5000字ほどを書いた。
 もともと青年は読書が趣味だったし、4年間の学生生活を通じて1000冊近い本を読んでいたから、週2冊のペースでも問題は無かった。それに、なかには1週間で30枚程度のレジュメを書き上げてくる後輩もいたから負けていられなかった。
 ちなみに、発表すると言っても、日本式プレゼンのように効いている側は黙って傾聴するということはしない。欧米スタイルで、何か筋の通らないことを言い出したら、すかさず松谷先生か上級生、或いはOBから指摘が飛ぶ。ちゃんと言い返すことができなければ、すぐに「破滅や!」という罵声が浴びせられる。
 まるで外交交渉を行っているかのように、ときに激高してみせ、自分の正統性を主張するものの、その全てを松谷先生に論理的に論破されたことしか、青年には記憶がない。
 物事を短期的にしか見ていなければ長期的な視野が無いと言われる。逆に、長期的にしか見ていなければ足元がおぼつかないと言われる。きっと大阪市長の橋下氏が「外野が偉そうなことを言うな。現場も知らないくせに!」と逆ギレして言い返しても、松谷先生は平気な顔で「長期と短期のバランスがとれてこそのマネジメントや、それもできない人間が管理職を名乗るのは失格の烙印。この程度を批評するのに外野も内野もない」と言い返すだろう。そういう人なのだ。
 青年は、OGとなった後輩が「勉強会は、挫折を知らない人は行かない方がいい。褒められたことしかない人は行かない方がいい」と表現したことを記憶している。
 挫折を知らない人間は強くないことを青年は勉強会で身を持って体験した。レイモンド・チャンドラーが言うように、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」のだ。そして本当の強さとは武力でも剛力でも彩芽でもなく、胆力にあることも気付いた。日頃から俺は強いと言っている人間ほど土壇場で逃げるし、自分を誇示する人間ほど修羅場で何もできない。
 通い始めたのが4回生の冬からだってので、大学生を卒業するまでに、たった10回程度しか通えていないが、十二分に胆力を鍛えて貰った。サーモグラフィを使えば、松谷先生にロジックで追い詰められている時に、自分の脳味噌の普段使っていない部分が真っ赤に染まっていることが解るはずだ。
 だから、青年が社会人になっても、勉強会に通うことにした。学生の頃のように、毎週というわけにはいかないので、多くて月に1回、だいたいが2~3カ月に1回というペースではあったが、顔を覗く度に、松谷先生によって胆力が磨かれていった。
 ただし、レジュメを書き続けることはできなかった。社会人になり、毎日クタクタになって帰ってきて、土日は仕事で使う知識の吸収に勤めた。だから、隙間を塗って、A4で5~6枚、数千字のレジュメを書くなど、とても無理だった。せめて、年に何回か顔を出すことが、OBの勤めかな、ぐらいにしか思わなかった。

 しかし、2009年秋に、青年はあることに気付いた。
 勉強会に参加する学生の数が、目に見えて少なくなっていることに気付いたのだ。3人ということもあった。ほんの3年前は、10人~15人は必ず参加していたのに、この急減ぶりはどうしたことか、このままでは勉強会は無くなってしまうと薄ら寒いものすら感じた。
 松谷先生は「普段から破滅やと言っているけど、この勉強会が破滅や」と自虐的なことを言う始末だ。さすがに参った青年は、勉強会に参加する学生にその理由を聞いた。
 なぜ参加する学生が減っているのかという質問に対し、その返答は、実に明快で、解り易いものだった。
「レジュメを書き続けると、こんな人になれるんだっていう、ロールモデルがいない」
 松谷先生も、先輩も、OBも、レジュメを書けとは言うけど、どんな内容にすればいいか解らないし、それを書いたところで、自分にどういう良い影響が出るかが解らない。ただえさえ厳しい勉強会なのだ。その厳しさの代わりに得るものが少ないという訴えは、青年の胸に響いた。
 目先の利益に囚われるなと青年は言いたかったけど、では長期的な利益として何があるのかを言えなかったし、第一、その長期的な利益を享受している姿を見せるのは先輩なんじゃないのかという思いが勝ってしまい、何も言えなかった。
 ―久しぶりに書いてみるか。青年は勉強会終わりの電車でそんなことを考えた。最初はレジュメのタイトルを「無題」としていたが、直ぐに松谷先生からインパクトが無いと言われ、当時読み耽っていたある本の原訳版のタイトルを、自分のレジュメのタイトルとした。
 The Effective Executive.
 これが、青年のレジュメのタイトルだ。2009年10月に書き始めてから、地道に毎週書き続けて、2013年4月現在第171回を数えるまでになった。出版活動を通じて、途中心身摩耗状態になり1カ月休んだ以外は、毎週欠かさずに書き続けた。103回連続と、68回連続である。
 最初は地獄である。無理にでも太らなければいけないお相撲さんが泣きながらちゃんこをかきこむように、青年もまた泣きながらレジュメを書き込んだ。無理やりインプットし、無理やりアウトプットし続けた。毎回5000字程度、泣きながら書き込んだ。
 ただ、そのうちに、作業そのものをフレームワーク化すれば、苦痛でも何でもないことに気付いた。というのも、青年の書く内容は、感想、読書感想、この二軸に決まっていたからだ。平日に本を読み切り、休日に感想を書く。
 何も難しいことは無かった。難しいと思い込んでいた自分がいただけだった。
 書く。本の感想を書く。映画の感想を書く。政治の迷走について思うところを書く。とにかく書く。青年にとって、五感の全てがインプットだった。アウトプットしなければ、自分の中で便秘をおこしそうな気分にすらなった。
 習慣というのは怖ろしいものだと青年は考える。誰もが無理だと、そして本人までもが無理だと思っていたことでも、繰り返し続けることで、それはやがて当たり前となってしまう。社会人になってからは絶対に無理だと思っていたレジュメの作成も、難なくこなせるようになっていった。
 それが、103週連続、68週連続、5000字のアウトプットを出すという「ルーチンワーク」である。結局、限界というのは自分が設けているに過ぎない。運良く、青年はそれを20代のうちに知ることができた。
 読書量のペースも、レジュメを書き始めてから元に戻るようになり、年間平均120冊は読めるようになっていた。

 本を大量に読んでも、自分の人生が豊かでなければ単なる知識バカであることを青年は理解している。知行合一が大事だ。しかし、本や映画ほど身軽にインプットできる対象を青年は知らない。

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