受験前日にパチンコに行く発達障害が比国でボクサー修行を経て世界トップ大学に合格した話

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これは虐待、ひきこもり、不登校、非行を経験した発達障害者の人生談です。どん底の人生が大きく変わったのは、ほんの小さな"意思"や"挑戦心"を持てたこと、この世で一番嫌いだった父の""を感じられたことがきっけでした。


もともと学業に興味があったわけではなく、高校卒業後はボクサーになるつもりでフィリピンに1年半ほど行っていました。そこでの出会いから新しい価値観や挫折を学び「世界一の公立大学」を目指すことになり、仕事と勉強で毎週のように2日は徹夜し、歩きながらご飯を食べて本を読むほど必死でした。留学準備中には鬱になったり、何もかも嫌になるほど苦しいこともありましたが、たくさんの方々との出会いや優しさから勇気づけられ合格にいたったお話です。


また、話の中で発達障害の葛藤(意味不明な言動やこだわり)も描いています。障害を抱えてそこから学んだことは、人の弱みは、人に強みがあるからこそ存在する。自分を理解できれば弱みや障害だって、強みや才能に変えられるということです。


ダメ人間でも意思を持って挑戦すれば人生を変えられる。感謝ができれば、誰だって人一倍強くなれます。


合格したカリフォルニア大学バークレー校はハーバード、スタンフォード大学に並んで世界3位にランクインすることもあり、孫正義さんが卒業された大学でもありました。同じ大学の先輩でもある鈴木琢也さん(バカヤン)は「足りないのは経験値で地頭なんかじゃない。死ぬ気で努力すればヤンキーでも世界トップ大学に入れる」ということをメッセージにしています。「頑張ろうと思えた」というコメントがある中、「良い家庭に生まれなかったらできない」とか「お金持ちじゃなければ、無理なんだ」という批判やそれを支持するコメントを多数見かけました。


果たして本当にそうなのか?


僕はバークレーで出会った人達を知っているからこそ、そのコメントには強い疑問をいだきます。後述しますが、「家庭環境」や「お金がない」が全部言い訳に思えるほど、日本の常識からは、とても想像もできない苦境から這い上がってきた人がたくさんいました。


地頭、お金、いい家庭で育ったからって成功するとは限りませんし、失敗を恐れたり、挑戦しない理由にもならないと彼らから学びました。実際、日本の進学校出身、早稲田や東大に合格してその全部を揃えても、バークレーに合格できなかった人達がほとんどでした。


日本と米国では受験から就職まで評価される対象が違います。合格した人の多くには、ある共通点がありました。また、日本の受験で僕はダメですが、米国の受験だからこそ逆に合格ができたのかもしれません。


人生のどん底から世界一に届くまでに感じてきたことをシェアしています。僕も人生のどん底を経験した人間です。もし、同じように何か壁にぶつかっていたり、苦しんでる人達に「こんなダメなやつが人生変えたんだから自分も何か挑戦しよう」とか少しでも「頑張ろう」と思っていただければ幸いです。拙い文章ですが、気持ちが伝われば嬉しいです。

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発達障害(ADHD)

度合いや種類はバラバラだが、100人に3人はいると言われる発達障害。最近よく耳にすることも多いのではないでしょうか?気づいていないだけであなた自身や、家族、友人、職場の同僚にもいる可能性は十分あります。


注意欠陥・多動性障害。そう診断されたのは、合否結果がでた後のこと。子供の頃から衝動性が強く不注意車に4回ひかれたり、いつも落ち着きがなく周りをキョロキョロ見渡したり、人より忘れ物が多かったり、注意が散漫で人の話が聞けない。自分なりに一生懸命なのに学校、家、バイト先でもいつも怒られてばかりだった。障害を知るまで自分がただの、ダメ人間だとしか思えなかった。


ただ、周りから変人扱いされるほど、自分が好きになったものへの集中力だけはある。高校では、3年間片想いをした女の子に一時期は毎週のように告白をしたこともあった。(もはやストーカー…)。合気道が好きになった時は4つ道場に通いつめ、初めて1年半で高校の全国大会で賞を受賞した。何をしている時でも四六時中ハマっていることが頭から離れず、いてもたってもいられなくなる。過集中という現象だそうだ。他のことが考えられなくなり、交友関係がおろそかになっていたので学校では友人が少なかった。


遅刻欠席は100日以上で学年トップ。あと一日の欠席で留年確定。学校へ行くことも、勉強する意味も全くわからず本気で中退も考えた。成績は進学校でもない高校で320人中310位。


学校のことで家族から口出しされることはない…。僕の不登校には家庭環境が関係していた。

虐待、ひきこもり、6年以上会話のない家族

そもそも家にも居場所がない。2歳のころに両親が離婚。6歳のころに母が再婚した相手が今の父親だ。


義理の父はとても厳格で、「しつけ」として嫌いな食べ物があっただけで夜の町内を全裸で一周させらたこともあった。当時は小学1年生。人目につかないように、所々止まっている車の影に身を隠しながら完走したのをよく覚えている。


母の前では、「お前は大事な家族だ。」と言い

二人になると「お前は家族じゃない。立場わかっとるな?」とも言った。


理不尽な理由で殴られることも多々あったが、今の父と母の間にできた弟には同じ「しつけ」は一切ない。やっぱり自分の本当の息子だからか。


中学に上がるとしつけは更にエスカレート。母も黙ってはおらず、父と何度も口論になり家を出て何日も帰ってこないこともしばしばあった。「弟がいるのにまた離婚するかもしれない…。」


この家族は、僕がいなかったらきっと幸せなんだろうな


トラブルを起こさないために家では自分の部屋にひきこもり、お金や食事など必要最低限以外のことを話すのもやめた。ひきこもりには原因が色々あるが、僕の場合は「自分の存在で家族の幸せを崩したくない」という考えから、自分と家族のためにも関わらないことがベストだという判断を無意識にしたんだと思う。


以来6年以上、同じ家にいながら同じ食卓で食べることも、僕を含めた家族らしい会話も一切なかった。


唯一心から安らげる場所は地元。高校を中退、不登校している仲間達と毎日夜中の3時までバカみたいにカラオケ、博打、酒、タバコに明け暮れて遊んだ。

集団リンチに合い、ボクシングを初める

ある友人とトラブルになった時だった。人通りの少ない病院裏の薄暗い公園に呼び出される。話し合いかと思いきや、集団リンチ。15〜20人ほどの暴走族が原付きやバイクにのってぞろぞろと登場。まるでGTOやクローズのような、漫画やドラマでしか見たことのない光景が目の前に広がっていた。


幸いにもパトロールしていた警察が止めに入り解散となったが、僕は放心状態。人生のどん底でした。


やられっぱなしの人生に終止符を打ちたい。誰にも守ってもらえないから、せめて自分で自分を守れるようになるしかない。強くなりたい。人生変えたい。


その一心で初めたのがボクシングでした。人生を変えたいという意思を持って行動したことで、当時では全く想像もしなかった方向へ人生が動いた。

受験前日にパチンコ、卒業後の進路

ボクシングにもすっかりハマって、卒業前には世界チャンピオンを出したことのある名門ジムへ通いだすようにもなった。父の暴力もピタッとなくなった。学校では、ボクサーと親しまれ、友人が増えて高校最後の学校生活も充実しだした。


プロになりたいと強く思うようになり、卒業後の進路もジムの近くでボクシング部がある地元で最低ランクの大学を受験することにした。だが、事件は起きた。


当時の悪友の影響で学校をさぼって普段なら起きれない朝からでもパチンコにも通うくらい、パチンコが好きになっていた。ハマったものはとことんやり込む一方で、自分の興味のないものには全く集中できず、じっとしていられないので勉強はかなりおろそかになっていた。


そして、受験前日

パチンコに行ってしまったのだ。



どれだけ口を聞かなくても、やっぱり母は母なのか。

「もしダメだったら、英語の勉強にフィリピンに行ってみないか?」

と心配して提案してきた。


フィリピンはボクシング強豪国。ボクシングができて”ついでに英語も話せるようになったら引退後も仕事あるし大丈夫じゃん!”(このマインドセットが最大の失敗だったことは後で身を持って学ぶ。)


受験結果は言うまでもなく不合格。卒業後の進路はこうして決まった。

それに、これでやっと…


恩返しが世界一に行くモチベーション

フィリピンで英語ができるようになってから、ボクシングの本場アメリカへ行こうと決心していたので日本に何年も帰るつもりはなかった。


そう決心はしたものの、楽しみな半面、せっかく仲良くなった大好きな友達を離れて、何年も会えなくなってしまうことが何よりも辛かった。別れが一番耐えられなかった。


そんな不安のどん底だった僕を救ってくれたのはやっぱり友達だった。


不安がる自分のために忙しいのに何度も集まってくれて、「お前ならBIGになれるよ」と最後はど上げまでして見送ってくれた高校や中学の地元の友達。


出国前で、ほんとに短い間しか働けないのに雇ってくれたうえに、「あと少ししかいれない日本を満喫できるように」と日払いで給料くれて、最後は選別までくれたバイト先のお父さんお母さん。(しろうま:名古屋のおいしいアットホームなお好み焼き屋さん)


「日本を忘れないように」と頂いたお箸。そして応援の電話や色紙、長い手紙まで書いてくれた友達。


僕は家族にも、誰にも愛されないと思っていた。

それなのに…


こんな僕なんかを、こんなにも愛してくれる人達がいた。涙がでるくらい人生で一番嬉しかった。


みんないつも僕のためって一生懸命に応援してくれたのを今でも鮮明に覚えています。


なにか一つでもいい。お返しがしたい。でもこんな僕には何もできない…。

それなら、せめてこの人を応援してよかったと思ってもらいたい。


世界一にいって、でっかくなった姿を見せて恩返しがしたい!!


みんなから支えられて「頑張ろう」と勇気づけられたように、自分のボクシングを見て、みんなや誰かが「頑張ろう」と元気になってもらえるような試合ができるボクサーになりたいと思った。


自分は特別才能のある強い人間でも何でもない。むしろ弱いことをみんな知ってる。それでもただ信じてくれる人の存在や、初めて経験した無償の愛が生きる上で大きな支えになった。


いってきます…。これで、僕のいない本当の家族とすごせて幸せだろうな。


勉強は想像力を広げるためにする

当時、フィリピンミニマム級4位で現在はチャンピオンのロッキー選手と毎日練習しスパーリングパートナー(練習試合の相手)として大変世話になった。手も足も出ないくらい毎回ボコボコにされたが、いつかこの人を倒してもっと高みにいく!!と燃えた。


好きなことやって生きるぞ!と燃える一方で、フィリピンで毎日目にしたのが家族でゴミを漁る姿。好きなことをやって生きるってなんだろう?と考えさせられた。当時、近所で留学をしていた日本人の友人が日系NPO団体でボランティアしていて、その紹介で活動に参加させてもらうことになり、平日はボクシング土日はボランティアをする生活を送った。


その活動の中で衝撃的だったことが2つある。

一つはマニラにある最貧困層が暮らすゴミ山を訪れた時だ。ここに住んでいる人は一日中、換金できそうなゴミを漁って150円しか稼げない。食事も一日置きの家庭も珍しくない。


日本のすぐ隣で好きなことをやるどころか、一日に一食も食えない人たちがいた。好きなことをやって生きるというのは、ただ自分が日本で生まれ育ったからできる。生まれた場所一つ違うだけで、こんなにも人生が違うのかと感じた。


もう一つは、フェアトレードというビジネスとの出会いから勉強がしたいと思えたことだ。

本来ゴミになるはずのココナッツの殻を低所得者層の女性が綺麗に切り取って、アクセサリーなどにして日本で販売する。物価が大きく違うので、日本の数百円という収入が現地の人たちの生活の支えになる。ちなみにこちらが実際の商品だ

ゴミになるはずだったものが、視点を一つ変えただけで人の生活を大きく変えてしまう。


この発想を生み出すには、ビジネスの仕組みや問題を発見する能力が必要なようだ。勉強って、暗記してテストでいい点数をとって就職するためだけのものだと思ってたけど、知識をつけて形にすることで人生や未来が変えられることを学んだ。たった一つのアイディアで周りの人たちが「頑張ろう」と元気を出している。面白そうだ。勉強したいと思うようになった。


勉強は想像力を広げて、想像したことを実現するためにするんだと学んだ。


気づけば、ボクシング、NPO、勉強もやっていた。それでもプロになりたいという気持ちは変わらなかった。


挫折。16歳の少年から学んだ覚悟の大切さ

いつものようにジムに行くと、「友達がきたよ」と言われて紹介された日本人が大塚喬太君(当時16歳)だ。高校にもいかずにボクシングだけのためにフィリピンにきたらしい。彼との出会いから覚悟の大切さを学んだ。

※現在、大塚選手はWBC EPBCタイトル(オセアニア、アジア圏チャンピオン)に挑戦をし、NHKテレビやマニラの日本人向け新聞でも紹介されている。大塚選手のスポンサーに興味がある方はぜひご連絡ください (写真:マニラ新聞提供)


4位のロッキーと大塚君がスパーリングして、ロッキーが今まで自分に見せたことのないような本気をだしてるにも関わらず押されている。


彼という大きな壁を前にして、僕が感じたのは恐れや不安という感情だった。


僕は引退後に英語が話せれば仕事もあるじゃんと保険をかけながら、ボクシングをしてきた。

彼は高校にも行かずに、人生の全てをボクシングに捧げている。


僕は失敗を恐れて、やると決めたことに人生をかけてこなかった。でも大塚君は失敗することなど考えず、全てをかけてボクシングをしてる。きっと、こうゆう人が世界一になるんだ。プロになりたい。と言いながら、あれもこれもとボクシング以外のことをやってる自分は中途半端だった。


このままじゃ、ボクシングも勉強も全部中途半端になる…。世界一になんていけない。胸が苦しくなるほど悩んだが、ボクシングをやめて勉強に専念することを決意した。自分の臆病さ、精神や覚悟の弱さを知って挫折した。


ただ…このままやめて、普通に勉強をすることだけは絶対に嫌だ。頂いた応援や優しさは一生大切にしたい。たとえどんな道を行くとしても、誰かが自分の努力で「頑張ろう」と勇気づけれるような人間になりたい。だから世界一にいく。それだけは何があっても守り抜きたい。


勉強するなら世界一の大学へ行こう。

単純に学費が安いというイメージで「公立大学 世界一」 を検索

「UCバークレー」

が一番上にでてきたのでここに行くことを目標にした。


人生最大の挫折だった。だからこそ、最大の学びでもあった。

ボクシングを活かして英語を勉強

とは言っても-1+3から勉強をし直すほど全科目が重症だった。それでも、ボクシングしてるつもりで勉強した。


まずは、英語の基礎を養うために文法の教科書と英単語帳を毎日やることにした。ボクシングをやっていた時は、今日の自分が昨日の自分より何か一つでも強くなるようにと、毎日の積み重ねを意識して練習していたので、その日の練習内容をノートに記録していた。


勉強では

・一日に文法を一つ

・単語を30個ずつ確実に覚える。


週に5日しっかり守れば、1週間前の自分より5つ文法と単語を150個知っているから成長している。1ヶ月後は更に文法に詳しくなって単語を600個知っている。これを積み重ねる。勉強でもこういった積み重ねを記録し、自分の成長を実感することがモチベーションを維持する上で大切だと考えた。


ノートをサンドバッグに見立てて殴り書きをした。

リスニングは大学の授業に忍び込んだり、ネイティブと毎晩飲み歩いて学んだ。時には酔っ払って飲み会を抜けだし、単語の復習をしてしまうほど勉強にハマっていた。過集中やあの変人ぶりは、勉強でポジティブな一面にもなった。


先生や親に、こうしろああしろと言われることもない。自分の目標を達成するために何が必要か、一つ一つ自分で考えて行動する。レールを外れた生き方をする限り、責任をもって自分でレールを敷いて生きていく。

親に「殺したい」と言って学んだこと


留学費用を貯めるために日本に一年帰国。また実家での生活。帰国してから数ヶ月後、経済面や学力など全てにプレッシャーに感じたのか、なぜか楽しいという感情が感じられなくなり、笑うことができなくなっていた。


当時は原因が何かわからなかったが、アダルトチルドレンという精神病を知って父を恨むようになった。子供の頃に虐げられたり、機能不全の家庭で育つと成人になってから鬱など精神障害になりやすい。


過去が原因で未来が滅茶苦茶になるなんて許せない。十数年も溜め込んでいた怒りや憎しみ、悲しみすべてが涙と一緒に一気に溢れ出てきて、父に思い切って吐き出した。


「殺したい。」


狂ったように興奮した僕を前に、顔を青ざめて立ち尽くす父。弟とペットの犬までを連れてすぐさま家を飛び出した。


「はぁ…はぁ……」

息がきれるように荒くなり、僕の意識が遠のく。


父が呼んだのか、しばらくもしないうちに警察二人が家に入った。

過呼吸を起こして頭が真っ白になるほどパニックで話ができる状態じゃなかった。


家族も崩壊する。留学なんてどころじゃない…。


「家庭のトラブルはよくあることだから」と言われて済んだだけでよかったが、当然こんな事件が起きて一緒の家に住むことなんてできない。


漫画喫茶や友人の家を転々とする生活が続いてから数日

…携帯が鳴った。


父からだ。


なんて言われるか想像がつかなかった。あんな出来事があってこのまま絶縁されてもおかしくない。

覚悟を決めて電話にでた。



「…アメリカに行きたいんだろ?お金のことは心配しなくていいから、自分の夢を精一杯追いかけてきなさい。いつでも帰っておいで。」


意外すぎる言葉に僕はその場で崩れた。なんで…?殺したいと言ったのに。6年間まともに口すら聞いてなかったのに。決してお金に余裕がある家庭ではないのに。俺、あなたの本当の子供でもないのに…


思い返せば、父も辛かったのかもしれない。好きな人と一緒になれたかと思えば、知らない人との子供がいて。養っていかないといけない。色々とうまくいかないことたくさんあって悔しかったんだよな。殴りたくなるくらい追い詰められてたんだよな。今までこんな僕を育ててきて、すごく大変だったんだろうな。


僕は相手の立場に立って相手の気持ちを全く考えずに、いつも被害者だと言って自分のことばかり考えていた。どんなに傷つけられても相手を理解しようとすることが大切だと学んだ。


この一件以来、距離も少しずつ近くなり初めた。


「お前の夢は家族の夢だから」がんばってこいと空港へお見送りにきてもらったが、別れ際涙をこらえて渡航者用ゲートを抜けた瞬間、トイレにかけこんで号泣した。


「愛」とは「心」を「受」け取ると書くそうです。長年、親を恨んでいました。理解しようとしなければ、父の心を受け取ることが出来なかったと思います。また、愛を感じられたことがなによりも自分を強くしてくれました。


感謝してもしきれない。今まで一番応援してほしかった人に応援してもらえたことが、「死んででも世界一に行ってやる」と大きなモチベーションになった。

浪人せずに日本・世界トップ大学の3年生になれる編入受験


アメリカでは受験に失敗すれば、代わりにコミュニティ・カレッジ(以下コミカレ)と呼ばれる短大/専門学校に入る。そこの二年間の成績や課外活動の成果次第で、編入受験を通して志望する4年生大学の3年生から入学するのが一般的だ。


入学試験や入学金がなくほぼ無条件で入れる。政府から支援を受けてコミカレで勉強し、世界トップ大学に編入するホームレスもいるくらいだ。人生をやり直すチャンスを与える、まさに一発逆転の受験だ。※余談だが、アメリカのコミカレから早稲田などの日本のトップ大学にも編入できるので、非常に効率のよい留学も可能だ。


アメリカでは年齢や状況に関係なく、大学は勉強したい時に行く。


幼稚園から高校までホームレスで学校に通えず、人生変えたいと思い、「bus stop」という文字が書けなかったところから勉強を初めて、大学の生徒会長にもなってバークレーへ編入した学生。親が中学の時に離婚し、治安の悪い所から通学し苦しい節約生活をしながら全て一人で留学までやりくりしてきた台湾人の女の子。自国に不満を持ち米国に不法移民をして、お金もなく、言葉の通じないアメリカでゼロから初めて、タクシーを運転しながらハンドルの上で勉強した男性。5人の子持ちでDVを経験したシングルマザー。死ぬまでにもっと世界を知りたいと勉強を初めた58歳のおばあさん。


バークレーには人生を変えるには教育が必要だと気づき
逆境を言い訳にせず勉強を初めた人たちがたくさんいた。


テストの点数だけではなく、人生経験から見えるリーダーシップや学業に対する思いが評価される大学受験。苦境を乗り越え自ら教育に価値を見出すリーダーシップを持った人材が世に貢献できると考えられているからだ。※編入学に興味がある方は、詳細をまとめた記事のリンクが僕のプロフィールにありますのでご覧ください!


最難関学部にすべりどめをせずに挑戦する


自分をバークレー生だと錯覚させるためにあらゆる工夫を徹底したことで、二年間猛勉強ができるモチベーションとパフォーマンスを保ち続けられた。「努力に不可能はない」と努力を宗教のように信じ込めるよう洗脳した。それに加えて、集中力、後先を考えない行動と強いこだわりが活かされた。


目標であるバークレーから道路を一つまたいだ距離にあるコミカレに入学して、コミカレ生数人、バークレー生120人が住む寮に唯一の日本人として紛れ込んだ。英語がわからない時など、寮のみんなが親切に協力してくれた。

毎朝必ずバークレー校内を通り抜けて、Sather Towerというシンボルの塔を拝んで通学する。勉強する時もバークレー生の友人からIDをかりて、バークレーの学生以外立入禁止の図書館に忍び込んで勉強した。

ボクシング金メダリストの村田選手は冷蔵庫に目標を過去形に書いた紙を貼っていたので、「2015年4月24日 みなさん応援ありがとうございました。おかげさまでバークレーに受かりました。」と真似して紙をはりつけた。くじけそうになったら、今まで応援してくれた人を一人一人思い出そうと壁に頂いたものを全部飾った。

大変な二年になる。それでも、大変とは「大きく」「変わる」と書く。これから直面する困難を全部乗り越えれば「大きく変わってる」くらい成長してるんだと信じて、自分を鼓舞した。


興味のあるビジネス学部は最難関で1860人の中から外国人は15人しか合格しなかったと聞かされても1ミリも怯まず、「合格率が1%でも0.00001%でも関係ない。入る!!ただ難しいだけで、不可能じゃないんだ。」と言い聞かせた。毎日のように俺はバークレーに行くんだ!と口にするほど自分を洗脳しきってた。


経済学で「機会費用」という概念を学んだ時、なぜ3年前の自分が世界一になれなかったかわかった。


「なぜ失敗するか」ということに1秒脳みそを使えば、「どうすれば成功できるか」を考えられる1秒を失う。それになぜ失敗するかを考えても失敗する理由しか増えない。でもどうすれば成功するかを考えれば、成功するためのヒントやアイディアが増えて成功に近づける。その思考の積み重ね、習慣が行動に影響を及ぼし、そして結果に繋がる。


だからこそ、失敗を考える1秒が大きなリスクに思えた。



誰だって成功したいし、自分なりに100%の努力をする。

それでも失敗しても人生なんとかなる人の100%の努力と、失敗したら人生なんともならない人の100%の努力は違う。



僕にとっての世界挑戦。3年前の挫折を教訓にして、覚悟を決めて自分の能力を最大限にひきだすために、迷わずすべりどめをしなかった。人生をかけたかった。

※願書締め切り二日前のフェイスブック投稿


覚悟の重さが成功を大きく左右すると信じた。


合否発表、父の一言

結果が発表されるのは夕方。1分が10分に感じられるほど、時間が経つのが遅く感じた。

まだ発表されていないとわかっていながらも、何度もウェブサイトを開いていた。


そして、4時半頃。

開いた画面が今までと違うのが一目でわかった。


Congratulations...合格だ!!


一番に報告したのは父だった。

「今まで辛い思いたくさんさせてきて、ごめんね。本当におめでとう。」


毎日帰りも遅く、仕事を掛け持って土日も休まず僕のために一生懸命働いてくれた。母も共働きでお応援してくた。しんどかった時は「お父さんとお母さんが僕のために頑張ってくれてる。だから僕はその倍頑張るんだ」といつも自分を鼓舞した。家族の支えがなかったらここまで絶対にこれなかった。自分の本当の子供でもないこんな僕の夢を、ここまで本気で応援してくれた父は偉大だ。今まで色々あったけど、お父さんがお父さんで本当によかったと思えた。


人生を変えたいと願ったどん底の人生から、こんな日を迎えるなんて想像すらしなかった。小さな行動と思い切った決断の積み重ねがこの日に繋がったのだと思う。僕にとっては人生の全てが変わった挑戦だった。


今まで、こんな自分なんかを大切にしてくれた人たちにでっかくなった姿を見せて恩返しがしたい。自分の努力で「頑張ろう」と勇気づけられるようになりたい。世界一にいって、いつも応援してくれた方々にありがとうと言いたかった。


了平が頑張ってるから、「大好きなダンスを頑張ってる。」「偏差値30だったけどTOEICで900点とってやったぞ!」「俺も頑張ろうと思えたよ」という言葉がおめでとうよりも嬉しかった。


感謝しきれないほど感謝してます。ありがとうございました!!


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バークレー合格おめでとうございます!Ryo Heiさんの今後のご活躍をお祈りいたします。愛という漢字は心を受け取るという意味だと初めて知りました。私も昔カナダに語学留学した経験がありますが、ひょんなことから彫刻のクラスを受講し、そこで出会った先生の下で一年間修行してブロンズ彫刻を学び、今でも彫刻家として活動しています。留学は人生の転機になりますよね。

Hamanakaさん ありがとうございます。日本語とは奥深いものですよね。新しい世界へ踏み出すことで新しい価値観や出会いが生まれ、人生が変わることもありますよね!背中につけている蜘蛛のアートかっこいいです。お互いがんばりましょう!

STORYS.JP編集部です。
どんなことがあっても、
常に前を向く姿勢に元気をいただきました。

Gunosyにも配信させていただきました。
https://gunosy.com/articles/afCQL

ご投稿ありがとうございます!

STORYS編集部さん 私のお話に共感していただき、大変嬉しいです。またストーリーズとGunosyでご紹介していただけることをとても光栄に思います。ありがとうございます!

Ryo hei

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