高校時代
高校では、荒んでいた中学の頃がまるで嘘のように平和な生活を送りました。
ただ平和ではあるものの、内気すぎてとても単調な生活でした。
あまり人と関わることなく、ただ授業を受け、少しだけ部活をして家に帰る。
家に帰ったら高校受験の頃から習慣となっていた勉強を漫然と続け、少しだけ漫画を読んで寝る。
判で押したようにそんな生活を続けました。
普通なら中学・高校になると好きな歌手ができてCDなんかを買いだすのが普通ですが、なぜか私は音楽にはほとんどはまりませんでした。
だからアルバムというのが写真のアルバム以外にあることも知らなかったし、正直ボーカルって何の楽器?と思っていました(笑)
そんなわけで思春期の多感な頃、私は歌番組もバラエティーもほとんど見ずに育ちました。
また勉強も全然楽しくはなかったのですが、高校受験のときに身につけた習慣で、何となく続けていましたね。
それも、ほとんど数学ばかりやっていました。
今思えば、恐らく「数学の答案を書く」という作業を無意識に楽しんでいたのかもしれません。
高校以上の数学の答案は、「AならばB、BならばC、よってAならばC」というように理屈を積み重ねて、答案上でそれを論証しなければなりません。
私は数学の才能が全然なかったので、才能のない自分でも分かるように、簡潔に、それでいて回答上必要十分な理論を構成することを楽しんでいたのかもしれません。
それは数学でありながら、言葉を積み重ねて求められる理屈を展開するという文系の才能を必要とする作業でした。
数学的センスがなくても、僅かばかりの文才を駆使するその作業は、生粋の文系人間である私には楽しい作業でした。
また、私は司馬遼太郎の影響で日本史が大好きだったので、文系でありながら数学と日本史が得意という変わった高校生でした。
一応進学校だったので進学希望だったのですが、親には以下のような条件を出されていました。
・東京はダメ(家賃が高いから)
・私立はダメ(学費が高いから)
まぁそういう父親は東京の私学出身だったのですが(笑)、私は3人兄弟の長男で、弟や妹に恨まれたくなかったので関西の国立を目指すことにしました。
広島の田舎の高校生としては、何となく都会の大学に行きたいなというのはあったんです。それで東京がダメだと、次は関西かなという安易な発想ですね。
また学部は経済学部にしました。本当は文学部で好きな日本史の勉強をしたかったのですが、それを父に話すと「文学部は就活で不利」と言われたので、社会学系でつぶしが効く経済学部にしました。
実際には文学部が就活で不利なんてことはなかったのですが、大学で勉強する予定はなかったので(笑)、特に何学部でもいいかなと思っていました。
そこで高3の時に、普通にセンター試験・2次試験を受けて、自分の偏差値で入れた大阪の大学に進学しました。
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