大学受験に二度に渡って失敗し、無謀な二浪にトライしようとした自分が父親の言葉で目を覚まし、1年後に志望校に編入した話

このエントリーをはてなブックマークに追加
456

こちらに投稿する理由。

下記は数年前、mixiに投稿した内容です。
個人情報に当たる部分を伏せた他、当時の考えを少し追加しましたが
ほとんど内容はそのままです。

新たな転機を迎え、ふとした事から
自分のこれまでの人生を見直していたのですが、
このときに抱いていたような思いで新しいフィールドに取り組みたいと思い、
再度こちらに書くことにしました。

若さゆえ、文体や展開が乱雑で読みにくい箇所もあるかと思いますが
ご容赦ください。

それでは、本文に。

いきなりですが、この四月から 
○○大学 農学部 ○○学科に通うことになりました。 

もちろん、もう知ってる人はたくさんいると思います。 
でも、大きな転換点を迎える前にここら辺で区切りをつける意味でも 
もう一度報告させて下さい。 
初耳という人もほんのすこし時間をくれたらうれしいです。 


話は6年前にさかのぼります。 
元々、自分は生態系に興味があって、それを勉強できる生物という科目を取りたかったので
高校に入学したときは迷わず選択しました。 
理系では履修する人があまりいなくて少人数というのもあったけど、 
教えてくれた先生がかなり高度な事までやってくれたからとても楽しかったです。 
いろんな関係性を学ぶこと、でストン、と世の中の色んな事が腑に落ちた気がしました。 

「なぜこの現象は起こるのか」、
「その原因や仕組みはどうなっているのか」を理解することで、
生きることが楽になったり、怒りや不安が抑えられると感じました。
自分の中では、その対象を特に命あるものに絞って突き詰めたいと考えました。

だから農学部に行きたかった。どうしても。 
それで、自然に関わる研究に携わりたかった。 
だけど大学側からの返事は×。 

とても悔しかった。
自分では、高校のときはともかく 予備校時代は勉強したつもりだったから。 
友達ができて、休憩時間にはばかみたいに騒いで楽しかったけれど 
不安でしかたなくて家に帰っては毎日泣くような日々で。 
全部がぜんぶ無駄になったようで虚しくてしかたなかった。 

当然のように二浪を考えて一年の後期は休学まで考えて。 
黙ってたけど駿台にもちょっと行ってたしね。 
親はもちろん反対。リスクが高すぎるやって、当たり前やけど。 

そして休学届を出す最終期限を迎えた1回生の夏のある日。
母親との衝突は最高潮に達していました。
もうお互い全身で主張し合って、それでも平行線でへとへとになって。

( そんなとき、最後に父親が出てきました。
父さんは普段家庭にあまり口出しをしないタイプで、
ほとんど母さんに任せっきり。
それでもこの事態を看過できないと思ったほど、
当時の私は相当に荒れていたのでしょう。)

なんでそこまでこだわるのかと聞かれて、 
父親に『自分のやりたいことに直線で進んでる友達がうらやましい』て言った。 
今在籍しているのは工学部の化学系学科。農学部とかぶってる領域もあるけど。 

そしたら『それは若い考え方だ』と諭された。 
意味が分からなかった。なんでも最短ルートを行ったらいいやんか。 

そう言ったら、父さんは確かこう続けたと思う。 
物事にまっすぐ突き進むのは確かに無駄がない。 
でも回り道したところにも必ず発見はある。助けてくれる人も絶対に居る。 
見つけられるかは自分次第なんだから、もっと長いスパンで考えなさい』 

その一言で視界が急にクリアになった気がした。 
今いるところで頑張ったらいいんやって素直に思えた。 

そこからは出されたレポートも一生懸命やった。 
課題も全部提出した。学校も毎日行った。 

それでもやっぱり違和感は残った。 
なんか違うな、やりたい事は他にあるなと明確に悟った。 
もう一人の自分をこれ以上抑えつけるわけにはいかなかった。 
(自分がもう一人、なんて青くさい言い方やね。 でもそう表現するしかない気がする。) 

このまま行ったら、院も不本意なかたちで方向性が定まってしまう。 
来年には分野選択も迫ってる。 

だから、今回の三年次編入は正真正銘のラストチャンス。 
ちなみに三年次編入は二年次にその大学の試験にパスすれば 
三回生から組み込んでくれるっていう制度。 
かなり特殊やから、知ってる人は少ないんじゃないかな。 
認知度も低ければとってくれる人数も少なければ情報量も少ない。 

そしてそんなイレギュラーな学生に大学側は厳しい。 
もっていける単位は62単位まで。必然的に留年する人もいる。 
研究室だって希望のところに入れるかも分からない。 
それを面接でもかなり教官に確認された。最終的な意思確認。 

やけど、こっちは編入予備校の授業受けに 
授業を○○(地名)で受けたあと去年の4月から週2で○○(地名)通ってたのよ。
(注:移動時間は約1時間半程度 当時は結構な負担でした。) 
この8月はほぼ引きこもってたのよ。 
結構気に入ってたバイト先もどたん場で辞めたのよ。 
やる気ではそこらの遊びまわってる大学生に負けんよ。 

本番は○月○日にA大学、○月○日にB大学という日取りだったので 
準備と移動で少しどたばたした。 
もう後はないと思った。 
真剣にこれで落ちたらこのまま大学に通い続けられるか分からないとも思った。 

話は変わるようやけど、私は意見がころころ変わると言われることが昔からよくあった。 
自分としては、その時思ったことをそのまま口にしてるだけなんやけど。 
でもこれに関してはまったく考えは変わらなかったんよ。 ずっと。
だからどんな結果になっても農学を勉強したいっていう考えは 
曲げられないやろうって自分で分かってたんよね。 
その点で自分に誠実でいるしかなかったし、 
またそこからしか前に進めなかったとしか言いようがない。 

でも本番前は不安でしかたなくて。
特にA(地名)に1人で泊まってるときはとてもこわかった。 
B(地名)の時も、このまま逃げ出したらどうなるかなってふっと頭をよぎった。 

常にこの2年間はみんなと逆行してる感があって 
焦りと一緒に、自分が間違ってるようにずっと思ってた。 
いや、それは浪人してる間からやったから、正確には3年間かな。 
今でもセンター試験が迫っててやばいっていう夢を見るから、 
どれだけそんな狭小なことに支配されてたのかって自分でもあきれるけれど 
これでいいのかなんて自問はしょっちゅうやった。 

だからすごいね、なんて言ってくれる人もいるけど 
実際は全然かっこよくなんてないんよ。 
その時支えてくれた人たちならよく知ってるけどね。 
迷って迷って悩んで悩んでその結果として 
ポンって誰かがくれただけなんやって自分では思ってる。 

確実に合格したと分かった時、 
伝えたい人が次々と頭に浮かんだ。 いっぱい電話してメールした。
みんな喜んでくれた。 
めっちゃくちゃにうちもうれしかった。 
とても幸せなことだと思った。 

高校のときからなんでも話せた○○部の友達には 本当に感謝してる。 
忙しくても気にかけてくれてた。 
すごく辛くていきなり下宿に行っても当たり前みたいにいつも受け止めてくれた。 
終わった後に落ちた、と思って泣きながら電話かけても 
お疲れ様、頑張ったねって言ってくれた。 
受かった後みんなで集まってくれてケーキ買ってお祝いしてくれた。 

バイト先の先輩には本当迷惑かけました。 
甘えてばかりでごめんなさい、ほんまにありがとう。 
あの時しんどかったこと、ほとんど垂れ流しにしてました。 
どちらも遠くへ行ってしまってもう会えないかもないかもしれないけど 
また直接お礼が言いたいです。 

んで○○(予備校の名称)のアナタ達ね。 
自分たちがすごく楽しそうに大学生活に取り組んでるのを見てて 
それがすごくモチベーションに影響してました。
 やっと一緒に通えることになりました。 
ここでしか言わんけど大事な友達だよ。 

サークルの部長はいつもさりげなく気にかけてくれていた。 
悩みを分かってくれて、忙しくて参加できないときもいつも連絡してくれた。 
今のバイト先を紹介してくれたんもこの先輩だった。
どちらに進学しようか決めかねていて、
やっぱり地元に残りたいと思って○○大に決めた時も
わがことのように喜んでくれた。 
すごく感謝してます。 

他にも気にかけてくれてた塾の先生、先輩、編入予備校のチューター・講師、 
大学の先輩。ありがとうございます、としか言いようがないです。 

最後に父さんと母さん 
たくさん迷惑をかけました。けんかもいっぱいしました。 
出来の悪い子でひやひやさせたけど、やっと自分の思う道に行けます。ありがとう。 
心の中では両親の娘で良かったとずっと思ってるよ。 
でも絶対口に出さん。嫁入り前みたいな仕上がりになったがまだあと最低2年はいかん。w

とりあえず編入に関するすべてのことが落ち着いた今でも 
まだ少し不安です。 

友達はできるのか 
はじめての一人暮らしはどんな感じなのか 
2年で卒業できるのか 
地元に残していく大事な人との関係が この先変わらない保証はあるのか。 


でも前に進んでいきます。 

それしかとる道は残されてないからです。 

これからも。 

でもただがむしゃらに「頑張る」って 
すごく息苦しくなるから、 
自分なりに楽しんでいこうと思ってます。 

以上、日記だか決意表明だか 
よく分からんくなりましたがこれで終わります。 
要はみんなにありがとうって言いたかっただけなのです。

そして現在。

父親の後を継ぐため、
その修行と位置づけ、東京の民間企業で営業してます。
この話はまた別の機会に。

理系職ではなく、研究内容ともまったく関係はありませんが、
編入を通して身に付いた考えや経験は間違いなく自分の血肉となっていて、
とても甘かった自分を鍛える良い期間になったと考えています。

また、新たな環境で淡々と積み上げていきたいと思います。
明日も頑張ろう。
読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

KAORU SHIMIZU

IT→人材(新卒向け)→人材(中途向け) という1年で2回の転職を経験するなど、我ながらめまぐるしい人生を送っています。

KAORU SHIMIZUさんが次に書こうと思っていること

|

KAORU SHIMIZU

IT→人材(新卒向け)→人材(中途向け) という1年で2回の転職を経験するなど、我ながらめまぐるしい人生を送っています。

KAORU SHIMIZU

IT→人材(新卒向け)→人材(中途向け) という1年で2回の転職を経験するなど、我ながらめまぐるしい人生を送っています。

KAORUさんの他のストーリー

  • 典型的なコミュ障理系院生だった自分が某大手お菓子メーカーの飛び込み営業チームのリーダーとしてなんとか一年間務め上げた話 その②

  • KAORUさんの読んでよかったストーリー

  • 年収3億円の美人女子大生メンターの教え