【第21話】離れて暮らしていた父の介護のこと、死んだときのこと、そしてお金のこと。
再入院
父の誕生会から季節はいくつか過ぎ、また春がきた。
私と姉は少しずつ会話はしていたが、私が父の面会に行くことは稀だった。
行ったとしても、姉と二人で行くことはなく、一人で少し顔を出す程度。
そして、2015年5月も終わる頃、私の元へ相談員さんから電話が来る。
父は10年以上前に、胆管結石から敗血症、多臓器不全になりかけ、生死の境を彷徨ったことがある。その時は一命を取り留めたが、私はその時に尿が出ないこと=生命に関わることだいうのを十二分に理解していた。
今回は何が原因だ?
この頃になると、施設から電話がくるだけで心臓がバクバクし、通話ボタンを押す手が震えるようになっていた。それなのに、面会に行く回数は減っているのだから、なんという親不孝者。
指定された病院へ向かい、父の検査を待つ。
そして診断の結果、排泄機能が弱り働かなくなっていたため、膀胱内に膿が溜まっていたことが原因だった。尿道カテーテル(尿管に細い管を入れるアレ)を入れ、全ての膿や排泄物を出してもらい、今後はカテーテルを入れっぱなしにするという結論になった。
もう父は、自力ではオシッコも出せないのだ。これが現実だ。
念のため、熱が下がるまでは経過観察入院となったが、おそらく数日で退院できるとのことだった。
父は、カテーテルが不快なのか、ずっと気にしていた。
当たり前だ、ずっと管が入りっぱなしで、生活していくのだ。
曰く世間では
「病院でいくつも管や装置に繋がれて、何もできないまま死ぬなんて嫌だ(可哀想だ)」
「ぽっくり死にたい」
なんて言う。
家族だって、何も好きでそうさせたいわけじゃない。
このままじゃあ腎不全になりますよ、と言われそれさえクリアできれば今まで通り生活できる、というのであれば管をつけない選択肢があるのだろうか。あるかもしれないな。でも私の中にはなかったんだよ。
そして、1本なら可哀想じゃなかったとして、それが他の箇所に何本以上なら可哀想なのか。
そんなことに正解なんてない。
本人が明確な意思表示をできなければ、決断をくだすのは家族や周りの人間だ。
私と姉は、ここから父の命を秤にかけるのだ、それも何度も。
つづく
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