絶対音痴の僕がミュージカルに出て、音痴が全く治らなかったけど、人生変わった話
プロローグ:小学校時代で経験した二つのトラウマ
初めまして、水野です。
いきなりですが僕の小学校の頃の苦い体験を聞いてください。
それは小学4年生の時の学芸会。僕たちの学年は「オズの魔法使い」を扱うことになりました。僕は立候補したのは「オズの大王」。どうしてもやりたかった役です。
そして、とある音楽の授業の時間、他にも立候補した生徒たちが集められオーディションが行われることになりました。課題曲は本番で歌う「オズの大王の歌」。
前日、僕は頑張って歌詞を覚え、オーディションでは一人だけ最後まで間違えずに歌い切ることに成功しました。
僕は、勝利を確信していました。
しかし後日。衝撃の事実が発表されます。選ばれたのは歌詞を何度も間違えていた別の子だったのです。
当時、その理由がさっぱりわかりませんでした。
また小学校5年生のとある音楽の授業。
僕らのクラスを受け持っていたのは、この学校に来て1年目の若い女の先生でした。まだ生徒たちをまとめることが上手くいっておらず、ピアノを弾いているものの、ほとんどの生徒は声を出していません。
ただ何人かの真面目な子供たちは、真剣に歌っていました。ちょうど1番が終わった辺り。ピアノのメロディが突如止まり、先生は首をかしげながらこう言ったのです。
「音、ズレている人がいるね。」
学級委員だったということもあり、ここぞとばかりに誰よりも大声を出していた僕に、クラスメイトたちの視線が向けられました。
自己紹介
遅くなりましたが自己紹介をさせてください。水野と申します。
社会人3年目の26歳。「就活ミュージカル」というミュージカルのプロデューサーをしています。
なかなかイメージしづらいかもしれませんが、公演の資金調達や宣伝活動、スタッフやキャストのスケジュール調整、稽古場の確保などをしている、と考えていただければと思います。
初年度は池袋の東京芸術劇場、2年目は銀座博品館。どちらも3月に公演をし、多くの方にご来場いただきました。また、ありがたいことにキャストとしてこの2年間、キャストとして舞台に立つ機会をいただきました。
そして2017年。
今年の3月公演ではキャストとして舞台に立つことはないのですが、引き続きプロデューサー3年目としてこのプロジェクトに関わっています。また、それとは別に、2016年から水谷健吾という名で本格的に小説家として活動をしています。
歌が苦手な僕がミュージカルに関わることになり、そして作家活動をすることまでの過程を書き記してみたいと思います。
またタイトルにもありますが、
僕の音痴は治っていません。
大学生時代:コンプレックスの日々
小学生の時の二つのエピソードでお分かりかと思いますが、僕は歌が苦手です。歌うことは大好きなのですが、歌を聞かれることに抵抗があります。
大学生時代、飲み会の1次会で大いに盛り上がり
と高笑いしていても、2次会がカラオケに決まった瞬間
と直帰するほど、切り替えの良さには定評がありました。
またどうしても行かざるを得ない場合、カラオケボックスは僕にとって決して楽しむためのものではありません。
「いかに歌わないようにするか?」という駆け引きの戦場です。
僕が駆使した方法は、
・順番が回ってくるタイミングでトイレに行く
・順番が回ってくるタイミングでドリンクバーに行く
・順番が回ってくるタイミングで携帯にアラームをセットして電話がかかってきたことにする
・タンバリン係を率先して務め、参加している感を出す
・サビがノリノリな曲にし、みんなで歌ってごまかす
・やたら高音の曲を選び「音がズレている」のではなく「音が出ない」ことにする
・もしどうしても歌わざるを得ない時は、TVCMでかつて流れていた曲を選ぶことで「あ、これ懐かしいー!」と他のメンバー同士の会話が盛り上がるようにし、自分への注目度を減らす
・「ここだけ歌いたかった。」と妙なこだわりを見せ、1番で終える
・PVがカッコイイものを選曲し、その解説を挟むことで歌う機会を減らす
などなど。回避術を挙げていけばキリがありません。
ただ、やはり歌うことは好きだったので、ヒトカラによく行っていました。もちろんカラ館のように店員さんがドリンクを運んでくる方式ではなく、歌広場のようなドリンクバー方式の店であることをリサーチしてから向かいます。
社会人1年目~3年目:ミュージカルプロデューサーに
そんな大学生活を過ごしてきたのですが、社会人になった時、プロデューサーとして「就活ミュージカル」の立ち上げに関わることになりました。(なぜ関わることになったのかは少し長くなるので別の機会に)
当初は制作としてだけのつもりだったのですが、演技にも興味があり、せっかくならと出演することに。
もちろん歌に対して不安はありました。しかし、僕はこれまで本格的な歌のレッスンを受けたことがなかったので、
と息巻いていたのです。
結論から言えば、それが叶うことはありませんでした。
集団の歌レッスンとは別に、個人レッスンを受けたのですが全く成長する兆しもありません。今でも笑っちゃうくらい音痴です。(実際にこのレッスンの過程で初めて自分の歌を録音して聞いてみたのですが笑っちゃいました。あと少し泣けてきました。)
せいぜい、誰かが歌う「名もなき詩」の最中に
の部分に入り込むことが精一杯です。
結局、公演本番では僕の役にはソロの歌はなく、数人で少しだけ歌うシーンでは僕だけマイクのスイッチが切られました。
しかし、それでも僕は、間違いなくこのミュージカルが人生の中で大きな転機となりました。
「何に力を注ぐべきなのか?」を考える
僕は音痴を克服することはできませんでした。
「それまで受けたレッスンは何だったのか?」
「そこから得られたものは本当になかったのか?」
そんなことはありません。
僕が得られたもの。
それは「歌が向いていない」という事実です。
世の中には努力して夢を掴み取った成功物語がたくさんあります。しかしその陰には当然ですが同じくらい努力しても報われなかった人生も存在します。
努力して成功した。とても素晴らしいことです。
ただし物事には「生存者バイアス」があります。生き残ったもの(成功したもの)の情報しか世間には出回らないため、「諦めなければ夢は叶う」「努力は報われる」ということが真理として受け入れられてします。
ただ、僕は努力が無意味だとは思いません。
そうではなく、「何に努力すべきなのか?」を見極めることが重要なのです。
僕がこれから歌が上手くなる可能性。決して0とは言えません。もっと時間をかければ、別のやり方を試せば、歌が上手くなることもあると思います。
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