去年のことは引きずらない!話

次話: SMAP解散。カミングアウト。草彅剛くんファンになって私が得た幸せの話。

年が明けた。いい加減、去年のことを引きずってはいけない。

 のに、年始は真田丸総集編とBSプレミアムの罠にかかり、バックトゥーザフューチャーの1.2.3を録画してぶっ通しでみてしまい、三歳の息子までバックトゥーザフューチャー色に染めげる母親歴三年目に突入した私です。

 




 SMAPの記事を検索しても、もうどうにもならないのにしてしまったり、SMAPの曲をきくと涙がこみ上げてきたりして、正直、自分やばい、と実感し、これはなんとか忘れようとして、仕事をしていても見れたはずの日曜日の大河ドラマの真田丸総集編を、暇つぶしにみたところ、思いのほか面白く、総集編なので、細かなメインストーリーにかかわりが薄いエピソードははしょられており、なんてことだ!!やっちまったな!!とムンクの叫びのようなポーズで絶叫して、三歳の息子を怯えさせてしまい、なんどか真田丸をみていたところ「かーかん、また馬みてる~」とIKKKOに影響されたような話し方の三歳児につっこまれ、バックトゥーザフューチャーに乗り換えたところ、字幕スーパーにもかかわらず3の蒸気機関車に食いついて、三歳児まで「これ、どうなるの?」とハラハラさせる私が子供時代にみていたバックトゥーザフューチャー。





 まさか、自分の子どもも見るとは・・・そして子どもがみても面白い。あれから何年も経過しているのに面白い。


 真田丸で印象的なのは真田幸村もそうだけど、幸村のお父さんがとっても面白かった。真顔で本音を言い切るところがいい。好きだ。大泉さんの幸村のお兄さんも素敵だった。弟にコンプレックスを感じながらも弟を尊敬していて、だけど兄のプライドもあり、家族も愛していて、自分が犠牲になって済むならそうするところが、私とも似ていて、とても共感した。


 私の祖父は武田信玄のような生き様の人だった。いまだに私は祖父が死んで20年も経過しても、普段は祖父のことを思い出さなくても、自分が死ぬときは祖父が迎えにきてくれると信じている。だから、幸村の父が高野山のふもとの村で、亡くなるときに「お屋形様・・・」と言った気持ちが、痛いほどわかり涙が止まらなかった


 私もそんな風に亡くなりたい。


 いろんな大名の家来になり、「生きるために言いなりになる」人生を最後は「辞めた」幸村。

「己を貫く」人生は、上杉謙信からも「ああいう風に生きたかった」と絶賛される。


 今の現代でも言える。権力に従わないといけない会社員。そして忘れようと思ってみたのにSMAPもここでかぶってしまう。SMAPもまた、真田幸村のように、「己を貫いて解散」していったのだと嫌でも思い知らされる。


 真相はわからない。事務所が解散させたのか、本人の意志なのか。だけど、きっと「解散するしかなかった」のだと、こうするしかなかったのだと、メンバーをみていて私は思う。まだまだひきずりそうだけど、時間が解決すると私は信じた。


 そのあとにみたバックトゥーザフューチャーは、なぜこんなに時がたっても私の心を捉えるのか考えてみた。それはドクの一貫した自分の夢への情熱。人生をタイムマシンにすべてかけてしまい、老人になるまで独身を貫き、傍から見たら「変なおじいさん、偏屈者」でしかない。周囲にあのじいさんとかかわるのはよしなさいと言われているにも関わらず、「自分の意志でドクと友達になるマーティ」


 なんどとなく、タイムトラベルのなかでトラブルに巻き込まれ、血のつながりは一切ないにも関わらず、二人は思いあい、助け合い、希望を捨てない。


 「もしも」を完全に映像化したばかりでなく、「こうすればこうなるのではないか」というリスクもきちんと提示してバットエンドのビフ帝国の未来がその例で、「悪だくみする人が活用したらこうなる」ところがわかるのも面白かった。


 それらをすべて見せた上で「未来は白紙だ。自分で作るのだ」と言って終わるから、また巻き戻してみようかなと思ってしまう。


 私たちは「誰か」に不満をもって生きるのではない。きっと「自分に不満を抱えて生きている」


 その「自分」と向き合い、自分の限界を知ってもなお、自分として生きていくために、「自分がどうしたいのか、どう生きたいのか。誰になんと思われても実行」するには勇気がいる。


 世間体だったり、周囲への影響だったり。


私も今は子育て中で、子どもが三歳になって映画や読書もできるようになってきたけれど、0~2歳の間は自分の時間なんてないも同じで、特に日本は「母親」にたいして「世間が厳しく」自分の時間をもって過ごそうもんなら「子どもが可哀そう」だと叩かれる。もちろん、虐待や子どもを放置して遊びほうけているなら問題だけど、母親が子どもに笑顔で接するために、「自分の時間」を持ってもいいと思う。昔と違い地域性が薄れて、一人で育児してたりする世の中で、それを許さないから「虐待が起きている」という事実がわからない人がたくさんいる。


 犯罪を犯すひと、そのほとんどが「自分を大切に扱われた経験が乏しい」ことが多い。


 「無償の愛」



 それは母親だったり、第三者であってもいい。それを幼少期にどれだけもらったかで、道を踏み外したり外さなかったりするのかもしれない。


 テレビ離れという現代。私もほとんど見なくなっているけど


真田丸、バックトゥーザフューチャーはとても面白い。人によるのかもしれないけど、笑えるし、泣ける。人は笑ったり泣いたりする時間がとても大事で、それを忘れると「人でなくなってしまう」のかもしれない。表現が大げさかもしれないけど、私個人は、そう考えている。


 これからどう生きていくのか





「全くわからん!!」

と叫んだ真田昌幸のように、私も「全くわからん!」けれども

 生きる。とりあえず、息子が一人立ちするまでは死ねない・・・。










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