2年9組の君たちへ

3月1日。私が勤める高校で卒業式が行われました。

2年前。教育困難校の2年生の副担任、また古典の担当として彼らと出会いました。授業中は私語が飛び交い、質問をしても、「彼女いんの?」「高校時代の彼女の名前は?」と全く関係のない質問で返される。「静かなだな」と思う日は半分が睡眠中。最悪の一年目でした。

そのクラスで授業がある日は憂鬱で、転職を考えたこともありました。

そんな彼らと向き合うなかで少しずつ変化がありました。

授業中質問しても反応がなく、いつもクールな目で黒板を見つめている生徒窓際に机のあった私が放課後仕事をしていると、コンコンと窓をたたく音がします。見るとクラスの一人の男子生徒が「部活疲れたー」と笑顔で立っていました。そして、「一緒に帰ろう!」と誘ってくれました。その帰り道ではいろいろな話をしてくれました。クラスの恋愛事情や部活の悩み、兄弟の話。教室内では見せない、帰り道限定の笑顔が大好きでした。

「古典なんて、勉強して意味あんの?」と言って、いつも寝ていた生徒がいました。ある日一人でぶつぶつ「ず、ざら、ず、ざり…」と言いながら助動詞の活用を覚えてようとしていました。

教師というものに不信感をもち、いつも口げんかしていた生徒が、授業で発言するようになり、試験では60点を超える点数をとるようになりました。

問題行動を起こして謹慎になっていた生徒が復帰した際、「もう裏切らないから、安心して。」というようになりました。

普段は話しかけても来ない生徒が、4月から私が新1年生の担任をすることが決まったとき、「なんで俺らの副担じゃないの?」と言ってくれました。

私の苗字を呼び捨てで呼んでいた生徒が「先生、就職決まりました。」と報告に来てくれました。


きっと一年目の私は、まだ教員としての振るまいを知らず、自らの中に教員像もなく、まだ大学生のままで接していたのでしょう。彼らと過ごす日々のなかで、「教員とは何か」という問いに向き合い、教員としての成長を重ねてきました。彼らは戦友であり、私の精神的な支柱となっていました。

そんな彼らが3月1日に卒業していきました。

「2年間お世話になりました。」

「次に会う時はもう少し大人になって会いにきます。」

「先生に恩返ししに行きます。」

彼らが言うことに心当たりがありません。自分が果たして彼らに何をしてあげられたのか、わかりません。私は彼らに頼っていたばかりなのに、そんな自分を取り残し、彼らは巣立っていきました。


 取り残される寂しさ、彼らがもう来なくなることへの悲しさ、そして何より彼らとの関係を失うことへの不安がこみ上げ、彼らの卒業を祝うほどの余裕がありませんでした。自分の自分勝手さ、器の小ささ、教員としての無責任さを痛感しました。

卒業していく彼らは、「じゃあまたね。」といつものように去って行きました。


もしかしたら、取り残されても、いつ帰ってくるかもわからない彼らを、それでも待ち続け、気まぐれに帰ってきた時には迎えてあげる。それが大人の役割なのでしょうか。


明日から学校か。彼らのいない学校を思い浮かべるといままであった色がだいぶ失われて映りました。

ありがとう。

どこに導いていいのか、どこがゴールか指し示すことのできない頼りない教員だったけど、少しは役にたてたかな。

これからも一緒に悩み、君たちが選択するその時に、一つの「大人」の参考として自分なりの生き方を提示できるようあがきながら生きてみようと思います。



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