プライスレス
ボクは夜勤明けにいつも、自宅近所にあるスーパーで買い物をしてから帰る。
店の入り口前には、いつもボックスティッシュやトイレットペーパーが山積みに置いてあるんだけども、今日は何故か棚の上に全く商品がなかった。
ん?商品の補充し忘れか?
そんなことを思いながら入り口のドアの前に立った。
ドアが開き、積み重ねられた買い物カゴを手に取ろうとした瞬間、ボクは驚きのあまり一瞬だけ静止してしまった。
レジの前には、買い物カゴいっぱいにあふれんばかりの商品を詰め込んだ、老若男女の客、客、客。
皆が皆、つい先ほど布団から飛び起きて出てきましたと言わんばかりに、寝間着のまま、スッピンのままの装いでいる。
そして各レジには、主婦の精鋭選抜チーム(1レジ2名体制)が組まれており、今までに見たことのない速さで商品を次から次にスキャンアンドリリースウィズ袋詰め。
目線を変えれば、店内のありとあらゆる棚から商品を取り、カゴに放り込む客、客、客。
通路は、カートを引くおばあちゃんが行ったり来たり(お元気ですな!)、赤ちゃんとお米の袋を両腕に抱えたお母さんがいたり(逞しいですな!)、親御さんにアイスをおねだりする男の子女の子がいたり(虫歯に気をつけんさいよ!)、これぞ正しく、カオス。
松田優作さんの名台詞がぴったりの光景がそこにあった。優作さん、お願い致します。
「な、な、なんじゃごりゃ!?」
どーもありがとうございます。
ボクはとりあえず買い物カゴを手に取って、何事が起こっているのか疑心暗鬼になりながら店内を慎重に進んだ。
ま、ま、まさか、オイルショックか!?食糧危機か!?富士山噴火か!?氷河期か!?
あー、そうかそうか。やっぱりついにその時が来たのかあ。オイオイ、食糧を奪い合うとか、醜い争いは止めようゼ。オレはいつも買う商品が買えたらそれでいいさ。
そんな軽い悟りを開きかけたとき、店内に貼ってある掲示物が目に入った。
《店内改装の為、本日閉店セール》
ぬぁぁぁあ!!!そういうことかぁぁぁあ!!!
商品の陳列整理で忙しなく動き回りながらも必死に笑顔を振りまく店員さんの声が聞こえてきた。
「お酒、タバコ以外の商品、全て割引となっておりまーす」
ボクはすぐさま、いつも買う商品を3つずつ買い物カゴに放り込み、レジに並ぶ長蛇の列を少しずつ進んでいった。
ようやくレジにたどり着くと、いつもと変わらない丁寧な接客をお届けしてくれる主婦のSさんがいた。
ボクは2リットルの水を買うとき、買い物袋が破れることを恐れて、「袋には入れないでください」とお願いをする。
それをSさんは覚えてくれている。
「今日もシールでいいですか?」
ハ、ハイ!もちろんです!ありがとうございます!
お金を支払い、背後に目をやると、レジに並ぶ列の終わりは全く見えなかった。
お釣りを受け取り、Sさんに声をかけた。
「頑張ってください」
するとSさんは、満面の笑みを浮かべてくれた。
「ありがとうございます!またお越しくださいね!」
ハ、ハイ!もちろんだす!ありがとうございもす!
ボクは上機嫌に店を出て、Sさんの笑顔を思い浮かべながら帰り道を歩いていると、ひとりの挙動不審な男がボクに声をかけてきた。
「あのーぅ、さ、さ、財布を落としてしまって困ってるんですぅ。500円恵んでくれませんか?」
外は気温が一桁だというのに、スウェット一枚を着て素足にサンダルで、顔色も悪く、体を小刻みに震わせていた。
オイオイ、大丈夫か?500円でいいの?まあいいけどさ、Sさんの満面の笑みを見届けた直後で気分もいいし。
というわけで、財布を取り出した。
Sさんに感謝しなさいよ。
Sさんの笑顔はプライスレス。なんてな。
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