試食はつらいよ

この前、博多座にお芝居を観にいったんです。歌舞伎。劇場に入って、開演までにはまだ時間があったので、中を探検してたんですよ。博多座って広いじゃないですか、それにいっぱい食べ物屋さんやグッズ屋さんがあって観てて飽きないんですよね。グッズはまぁ、あまり観ないんですよ私。だってグッズって、食べれないじゃないですか?だから食べ物屋さんにふらふらと行っちゃうんですよ実際問題。

それでそこの、博多座の売り場にあるわらび餅、これがもうおいしそうでたまらなかったんですよ。でもお芝居のチケット代でお金使っちゃったからこれ以上の出費は痛いんですな。やっぱりいいお値段するんですよ博多座のお芝居は。なのにですよ、あんなにおいしそうな食べ物がずらりと並んでるんですよ。しかもわらび餅。あんな見るからにふわふわしてもっちもちしてそなわらび餅、食べたいじゃないですか。でも食べたところでそんなにお腹に溜まるものじゃないじゃないですか、わらび餅って。なけなしのお金払ってわらび餅食べたら胃袋が活性化してしまって、逆にさらに何か食べたくなってしまって結局他の食べ物も買ってしまう連鎖が起こるわけですよ。お饅頭しかり回転焼きしかりお煎餅しかり、次から次へとこれがほんとの食物連鎖。

そんなことになってしまったらお財布すっからかんになって明日からどうやって暮らせっちゅう話になるわけですよ実際問題。だから私は、絶対に、わらび餅を、買わない!決めた。・・でも、食べたい!だっておいしそうなんだもの、おいしそう?いや絶対にうまいねあれは、うん。

そこで私が選んだ手段は、これだ。SISYOKU。そう、試食だ。だけど試食は難しいんですよ分かります?簡単そうに見えて難しいんです!試食をしてしまうと、買わなければいけない罪悪感にさいなまれるじゃないですか。でも、私は心に決めている。買わないと。でも、食べたい。このジレンマ。試食してしまえば最後、かなり高い確率で店員のおばちゃんに話しかけられてしまう。話しかけられたら最後、断れない。でも、買う気はない。去り際が非常に難しい!タイミングが!

義理人情にほだされる前にその場を立ち去るべし!神様、どうかこの一瞬だけ、私を冷酷な人間にしておくれ!

私の作戦はこうだ。おばちゃんは今、入れ替わり立ち代わりやってくるお客さんの接客に追われている。そう、私はその隙を狙って、試食のわらび餅をぱくっとやっちゃう。おばちゃんに気づかれる前に、ぱくっとやっちゃう。これだ、これしかない。私は何度も、何度も、わらび餅コーナーを行ったり来たりして、タイミングを見計らいそして、幾度となくイメージトレーニングを重ねた。ぱくっとやっちゃう、ぱくっとやっちゃう。

よし、おばちゃん接客中、今だ!と、若干の小走りで売り場に近づいた矢先!に客がいなくなり、これはまずいと素知らぬ顔して私は通り過ぎる。もう一度、今だ。

「どうもありがとー」と店員のおばちゃんの声。またもや同じ感じで私は素知らぬ顔して通り過ぎる。深呼吸、ふーん、ばもー。客が来た!今一度!ダッシュ!「どうもありがとー」と店員のおばちゃん。以下同文。

何度これを繰り返したことだろう。もうすでにおばちゃんからは「この子はわらび餅が食べたいんだな」と絶対に勘付かれてしまったに違いない。だって何度も往復するうち、おばちゃんと目があってしまったもの。というか最後の一回なんて完全視線がロックオンされてますやーん。

あああ、しかもチャンスを逃すうちに試食のわらび餅があとちょっとしか残ってない!もう、これが最後のチャレンジ。客がいようといまいと関係ない、もう、行くしかない。

落ち着け、私。成功イメージを焼き付けろ。そうすべてはビジョンだ。イメージだ。できる、できる、私はできる。必ずできる。食への執着、誰にも負けない、だから、私はできる!しゃぁーいっ!

・・なあに簡単なこと。爪楊枝を手にとり、わらび餅に刺す。すかさず頬張り爪楊枝を捨てその場を去る。この一連の動作、流れるように歩みを止めずにやればいいのだおばちゃんに話しかけられる前に。蝶のように舞い、蜂のように刺す!・・待てよ?爪楊枝を捨てる動作に囚われ歩みを止めてしまい、おばちゃんに話しかけられるリスクを考えれば、場合によっては爪楊枝は捨てずに持って帰ればいい。これでかなりの短縮が可能だ。

これがラストチャンス、行くぞ!爪楊枝を手に取る。わらび餅に刺す。そして頬張り、そのまま去る・・。

「うんまっ!?」

なにこのやわらかさといい、ほんのりとした甘さといい、それでいて噛むほどに醸し出されるきな粉と餅の絶妙なハーモニー。いまだかつてない美味しさ、これまでに経験したことがない食感、うんま!うまい、うまいよおばちゃん!・・しまったぁ!あまりのおいしさについ、感動の眼差しでおばちゃんを見てしまった。絶体絶命、蛇に睨まれたカエル。歩みを止めてしまった、立ち去れない。ああああ・・あああああ・どうしよう・・どうしよう・・・。おばちゃんの口が開いた!

「おみやげ?」

ずるぅい・・ずるいよおばちゃんその質問。だって「そうです」と返事したら、

「おいしかったでしょ?おみやげにどう?」

って絶対にお勧めしてくるでしょー。かと言って「違います」と言ってしまえば「おいしかった」というこの気持ちが嘘になりそうで、だからといって「ただの試食ですから」と言い切れるほど私は神経図太くないんです。

ああ・・ああ・・それにこのおばちゃんの雰囲気たるや、わらび餅のように柔らかく、気さくで話しやすい、義理人情にほだされてしまう。でも、でも、ごめんなさいおばちゃん、そんな目で私を見ないで、こんな私に優しく声をかけないで、こんな、買わない私に。 

でも立ち去れない。試食はつらいよ。わあ、わあ、どうしよう、おばちゃんがどんどん心理的な距離を縮めてくるよ、お勧めしてくるよ。いやだ、負けてしまいそう、思わず財布を取り出しわらび餅を買ってしまいそうになった次の瞬間!ブーーーーー!

「まもなく開演です。ロビーのお客様はお席へお付きくださいますようお願い申し上げます」

劇場内にアナウンスが鳴り響いたぁ!開演のアナウンス!ダウンを奪われたボクサーが、まさにゴングに助けられたかの如く、私は急ぐふりしてその場を離れる。ごめんおばちゃん。だって、だって、お芝居、始まっちゃうもの!

・・ああ、助かった。もう少しで買ってしまうところだった。よし、わらび餅も食べたことだし、今から楽しみにしていたお芝居が始まる。めでたしめでたし。あ、幕があがった。・・ところが・・ところがですよ、お芝居の上演中、ときどき観劇の集中力が途切れるころにふと蘇るわらび餅の記憶。

「おいしかったなぁ・・もうひとつ食べたいなあ・・試食で。幕間休憩の時に食べに行こうかなあ」

でも気まずい。さっき買う寸前まで追い込まれたからおばちゃん絶対私の顔覚えてるはず。いやでも、こんなにお客さんがいっぱいいるんだから、私の顔なんて忘れているだろう。だってあの数分の間におばちゃん何十人も接客をしていたんだから。私のこんな顔なんてぜんぜん、覚えているはずなんてない。きっとそうだ。うん。安心。

いやいやいやいや待て待て待て待て。おばちゃんは商売人だぞ、商売人の記憶力を甘く見ちゃいけない。世の中そんなに甘くない。わらび餅もそんなに甘くない、甘さ控えめ絶妙バランスまじ最高。

・・あの味が忘れられない。もう一度頬張りたい。ああ、駄目だ。忘れよう、忘れよう、今は観劇に集中しようと思えば思うほど、おばちゃんの顔が頭をよぎって離れない。・・なんでおばちゃんの顔がよぎんねん!?わらび餅がよぎらんかい!集中!集中!集中・・・芝居に集中・・。

妙案を思いついた!そうだそうだ、またアナウンスに助けてもらう魂胆で、休憩時間終了直前に試食に行けばいいじゃないか。そしたらまたおばちゃんに捕まってもアナウンスが助けてくれる。ナイスアイデア。また、わらび餅が食べられる。・・早く休憩になれ!さっさと終わればいいのにこんな三文芝居。

「ただいまより10分間の休憩に入ります」

きたー!待ってました幕間休憩。出動!作戦通り、私はトイレに行くんですよと澄ました顔してわらび餅コーナーを通り過ぎようとするとぐはあっ!試食用のわらび餅が、少ない!なんで?そうか、休憩は10分という短い時間だから開演前よりも少なめに用意してあるんだああどうしよう、こんなんじゃすぐになくなっちゃうよ、ほら一人、また一人とわらび餅コーナーに足を止めていく。

ひとつ、またひとつと試食が失われていく。ばかぁ!試食なんかせず買えばいいじゃないか。ああああ、親子連れがあ!自分も食べてなぜ子供にも試食をさせるのー!試食は親のあんただけでいいでしょー。子供にも食べさせたいならお金出して買ってから食べさせろよ!ああ、減っていく、私の、わらび餅、試食の、わらび餅。

もう、アナウンスなんて待っていられない、待ったなし。行くしかない。いつ行くの?今でしょ!やっとる場合か!クラウチング、ダッシュ!

爪楊枝を手に取―りい、わらび餅に刺―しい、頬張りい、そのまま立ち去ぁ・・うんま!やっぱうんま。おばちゃんこのわらび餅ほんと最高。あああ、またやらかした、立ち止まってしまった、そしておばちゃんと目が合ってしまった。びくびく、びくびく、ご、ごめんなさい、ふたつも、食べちゃいました。万事休す。おばちゃんの口が、開く!

「おいしかろうが?帰りにまだ残っていたら買ってったらよかよ。まだお芝居はあるっちゃけん荷物になったらいかんやろ。ね?」

おばちゃん?さらっと逃がしてくれた。あっさりと、逃がしてくれた・・。おばちゃん・・ありがとう・・。そうだよね、おばちゃんは商売のプロだもんね。買う気があるのか、ただの試食目当てなのかすぐに見抜いちゃうよね。私なんかもう「試食のみのしがない人間」なんだって、開演前の時にすでに見抜いていたんだね。お金がないから買えないけど、それでももうひとつわらび餅が食べたかったという私の気持ちを察してくれて、「帰りに残っていたら買ったらいいよ?」と言ってくれたんだよね。だって帰りに残っているなんてありえないもの、あんなおいしいわらび餅。

おばちゃんの心意気が身に染みる。ありがとう、おばちゃん、わらび餅のように、優しく私を包んでくれた。おばちゃん、また来るね、次の幕間休憩の時に、試食に。

結局、よっつ食べました。試食はうまいよ。

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