第1章 青蒼色の蕾

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これは東北の小さな田舎町で生まれた私の昔々の物語。青蒼色の蕾。青くて蒼くて固い蕾。未熟な私の恋は青蒼色の蕾のように、どんな華が咲くのか未知。青春の全てで恋をし、家族をも巻き込んで青蒼色の蕾は華開いていく。


私は四人兄弟の長女。自営の父母はいつも仕事に追われていて、夜遅く仕事を終える父母を待っていてはお腹が空いて耐えられず、ちびママの私は兄弟四人+祖父母分の夕飯を作り宿題を見る。お風呂は全員で入って下の子の面倒を見る。そんなことは当たり前だと思っていた。いつでも「お前は長女だから。」と言われ、その期待にこたえなければと思うところもあったのかもしれない。反抗することもなくいい子ちゃんだったと思う。

時々辛いことがあっても、親に心配をかけてはいけないと思う気持ちが強く、日記を書くことを習慣にしていた私は、日記の中だけに本当の自分の思いを綴ることで気持ちを整理していた。一人、気づかれないように布団にもぐって声を殺して泣くこともあった。私は、両親にとっては頼りがいのある手のかからない子供だったのだろう。


私の暮らす街はそのころから過疎が進んだ街。私の小学校の同級生はたったの7人。

小中が一緒になった学校で、中学校になると周辺の分校から通う人が新しく増えるのだがそれでも中学の同級生はたったの10人。まるで全員が家族同然。お互いの家の事情もだいたいわかる。そんな狭くて深い特殊な関係の中で小中学校を過ごした。


地元に高校は一つしかない。そのため、町中のほとんどの生徒がここに入学する。過疎が進んでいることは顕著で、町中の中学生が集まっても、私の同級生はたったの140人程。しかし、私にとってはたったの10人から突然に140人の同級生が出来たのだから、大きな変化だった。中学の同級生もほぼ全員が地元の高校に進学した。

高校生活は未知のものに溢れていて楽しかった。友達も増え、おしゃれをすることも覚えた。


私はクラスのくじ引きで応援団の仕事をすることに決まった。最も皆がやりたくないと思っていることだった。朝練、昼練があり校庭に立たされ大声を出す練習をする。立っている周りを怖い先輩がぐるぐると回り、びくびくしながらの発声練習。こんなことが楽しいなんて到底思えなかった。

一年生の終わり。私はその中の一人の先輩のことが気になっていた。誰より怖いと思っていた先輩だったのに、誰より一生懸命私達に教えてくれていることに気が付いたからだ。先輩がいる練習だから、頑張れるようになった。先輩が時々ほめてくれる時に見せる笑顔を見ると胸がとくんと高鳴るのだ。

先輩のことが気になり、つい目で追ってしまう。先輩が同じ電車に乗って帰ることに気が付き、それだけでも嬉しい出来事になった。


しかし先輩には一つ年上の彼女がいて、時々二人で歩いて帰るところを見かけた。白いコートが溶けて一つになってしまいそうな位色白で、笑うと抱きしめたくなる程の愛くるしい顔をした美しい人。先輩の後ろから少し遠慮がちに、先輩の腕に手を入れて歩く人。完全なる片思いだった。

初めての恋は初めから苦しくて切ない恋だった。


春、先輩の彼女は、高校を卒業すると東京の会社に就職した。先輩と私は、応援団の活動の中で仲良くなっていき、学校から一緒に帰ったり、駅のホームでおしゃべりをするようになった。

そのうち、少しずつお互いのことを話せるようになり、東京の彼女のことも話してくれるようになった。何でも話してくれることは嬉しかったが、彼女の話を聞くたびにズキンズキンと胸の奥に痛みが走るような気持ちになった。

先輩の家は、電車を降りて駅のすぐ前だった。私の降りる駅の次の駅。私達はいつしか、先輩の家で一緒に勉強したりおしゃべりするようになった。私にとっては夢のような時間だった。先輩は母子家庭。お母さんはいつも仕事をして不在がち。家の中には、おばあちゃんがいつも一人で留守番をしていた。先輩に彼女がいることなど忘れてしまう位に、私達は楽しい時間を重ねていった。友達?親友?関係に名前などつけなくても良かった。今、先輩と一緒にいることが私には大切だったから。

冬休みに入ってもわざわざ先輩の家に行き一緒に勉強して過ごした。ところが、お正月休みが近付くにつれて先輩は落ち着かなくなった。東京に就職した彼女が帰省するからだ。先輩は「会いたいと連絡をしても思うように返事がこない。」と悩んでいた。私はたまたま先輩の部屋で彼女の連絡先を知ってしまった。


心臓がバクバクした。指が震えた。私は先輩には内緒でその番号に思い切って電話をした。

「あの...私S君の友達なんです。突然すいません。でも伝えたくて。S君ずっとあなたに会いたがっていて、ずっと待っているんです。だから会って欲しいんです。お願いです。あなたのことをずっと想っていて辛そうで。だからお願いです。S君に会ってください。」

相手がどう思おうと、とにかく伝えたいことだけ話して電話を切った。まだ震えが止まらなかった。それは、心の震え。先輩を好きな私の気持ちが泣いて震えていた。

次の日先輩から「彼女から連絡があって、会う約束が出来たんだ!会えるんだよ!」と喜んで電話があった。これで自分の気持ちにけじめをつけられると思った。私は必死に動揺する気持ちを隠し、先輩と一緒に喜ぶふりをした。


あと二日で冬休みが終わろうとしていた。先輩とはずっと連絡をとっていなかった。もう普通に話も出来ないかもしれないと思うと怖くて連絡できなかった。

すると先輩から電話が。

「彼女から会おうって連絡があって俺一人で舞い上がってた。待ち合わせ場所で待ってたんだ。待っても待っても彼女は待ち合わせ場所に来なかったんだ。」

こんな時なんて言えばいいんだろう。あんなに素敵な人。先輩の心を掴んで苦しめる美しい人。

「でも、俺気が付いたんだ。彼女とはこれで良かったんだって。だって俺、なおから全然連絡がこなくて、いつもいつも傍にいるなおがいなくて、あれ、俺すごく寂しいって思ってるって気が付いたんだ。なおはいつも俺のこと本気で心配して、俺の為にいろいろしてくれてて。卒業まであと少ししかないけど、なお、俺と付き合って下さい。」

驚いて声が出なかった。諦めようって必死に気持ちを抑えていたのに。


私達は残された時間を前にも増して一緒に過ごすようになった。私は、初めての恋に夢中だった。

先輩との思い出は、宝石箱に入っている宝物のようにキラキラしているものばかり。

私が卒業した小学校の近くの神社は二人のお気に入りのデート場所だった。高台にあって夕日がきれいな場所。杉林の中に長い石段があり、それ以外には何もない場所だったけど、いつも長い石段を登りながら、沢山おしゃべりをした。ただ一緒にいれれば楽しくて、先輩と話せるだけで嬉しくて。

今日の先輩は少し様子が違う。神社の入り口に着くと、先輩は改まって、

「俺もうすぐ卒業だけど、なおと離れたくない。だから今日、二人だけで結婚式をしよう。」

そう言って私の手を取っていつも歩く石段を歩き始めた。

「この石段はバージンロードだよ。」

凍える空気の中繋ぐ先輩の手は温かくて、それ以上に心の中はもっと熱くて。二人で石段を一歩一歩、歩いた。階段を全部登りきると、夕日の見える高台の神社の中央に樹齢何年なのかひときわ大きな杉の木があり、私達はその前で結婚式をした。

先輩は、きらきらと光るガラス玉の指輪を私の左手の薬指にはめてくれた。

「いつか本物買うから。ずっと俺と一緒にいてね。」


今まで、家の事は何でもしていたし、兄弟の面倒もよく見ていた私。でも突然何もしないどころか、毎日毎日帰りまで遅くなった。でも両親は、部活や勉強で遅くなっているのだと思っていたのだろう。

私にはやましい気持ちなどつゆほどもなく、先輩を友達を連れて行くみたいに普通に家に連れて行った。よく友達を連れてきては家で遊んでいた私は、両親がいつもみたいに迎え入れてくれると思っていた。ところがこのことが私と父の間に溝をつくるきっかけとなってしまったのだ。父は私が不愉快になる程の行動をとった。私は父の行動が許せなかった。この日を境に、私が家にいない時間は、更に加速して増えていった。

両親が長女だからという理由で私に家事をすることを当たり前のように求めたり、何でも長女だからという理由で我慢しなければならないこと、何で私だけがという反抗心が生まれた。周りの皆は家事をしている人などいない。私は自由な世界を知ってしまったのだ。

私は毎日のように先輩の家に入り浸るようになった。家には帰りたくないし、先輩とは一緒にいたいし。先輩の家は、母の実家の傍だったため、噂は両親の耳にすぐ入りばれてしまった。

その日も先輩の家にいた。すると、先輩の家のおばあちゃんが、「お父さんが迎えに来たよ。」と二階の先輩の部屋にいる私達を呼びに来てくれた。私は驚いて、階段から転げ落ちそうになりながら玄関に走った。すると目を真っ赤にして、こぶしを握り、怒りでブルブル震えた父が仁王立ちで立っていた。父は私を見るなり、体を震わせながら拳を握り振り上げ身を前に乗り出した。私は、殴られると思い、ぎゅっと身をかがめて目を閉じた。父は拳を高く振り上げたまま立っていたが、静かに拳を下げた。

私は、しぶしぶ父の車に乗せられ家に帰った。


家に帰ると私にはまだ地獄が待っていた。畳の上に正座させられ、父からの突然の性教育が始まった。私は、それほど早熟ではなかった。むしろ純情そのものだった。もちろん先輩とはこれほど一緒にいるのにまだそんな出来事さえなかったのだ。父から出てくる言葉を聞いた瞬間、恥ずかしさで身体中が沸騰したかのように熱くなり、顔をあげられなかった。そして、「私は何もしていないのに。父に信用されていないんだ。」と心に衝撃が走った。私は父親っこで、いつも父さん父さんと父にくっついている娘だった。父は私を疑っている、父は私を信用していない、父の言葉一つ一つ全てが納得いかず、父に対して怒りの感情がふつふつと湧いてくるのを感じた。

私は荒れ狂った。部屋の隅にあった一升瓶をひっつかみ、焼酎をらっぱ飲みした。初めてのお酒だった。父への当てつけ。反抗。ところが、しばらくすると強い吐き気とめまいに襲われ、布団の上に吐きまくった。

妹が傍で「姉ちゃんやめて!こんな姉ちゃんなんか大嫌い!姉ちゃんどうしちゃったんだよう....」と泣き叫びながら私を止めた。私はそのまま倒れて天井が回ったまま眠った。酸っぱい匂いとめまいの中で。私と父が衝突するたび、家の中には不協和音が響くようになった。


私は家出を繰り返すようになった。高校には、町中の中学から入学するため遠方の生徒は下宿したり、寮に入ったり、知人のアパートに住むなど様々な人がいた。私は、そんな友達の住む場所を転々として、その日泊まれるところを渡り歩いた。お金などない。ご飯も食べられなかった。妹は私に毎日昼のお弁当を届けてくれた。それが唯一の私の一日の食料だった。


先輩が遠くに行ってしまう日は刻刻と近づいていた。私達は、駈け落ちごっこと命名し二人で逃避行風の旅行をしようと計画した。何もかもの苦しいことから解放され二人の自由な時間が欲しかった。

そうはいってもお金のない高校生。二人で全財産を持ち寄り、バスと電車を乗り継ぎそれ程遠くに行けたわけではないけど、私達のことを誰も知らない隣の町に来ただけでも満足だった。初めて二人できた旅行。海の傍にある小さな民宿に宿をとった。静かで波の音しか聞こえない、他には何もない場所。私達以外誰も海にいない。愛でるように過ごす二人の時間。初めて一緒に過ごす夜。窓の外には、波もないような静かな海の上に大きな月。月の光が作る一本の光の道は、真っ直ぐ私達に向かって伸びている。忘れられない一夜の思い出。


3月。とうとう先輩は卒業し、就職先へと発っていった。毎日ぽっかりと胸に穴が開いたような寂しさだった。遠距離恋愛になってしまった先輩に会いに行きたい一心で、私は下校するとアルバイトに明け暮れるようになった。たこ焼き屋、お土産屋、旅館。とにかく学校以外の時間はアルバイトに費やし、先輩に会いに行くお金を稼いだ。相変わらず父とは衝突ばかり。会えば素直になれず話さえできない。家出を繰り返し、家には戻らなかった。眠る家がなければ車付きの社会人と友達と仲良くなり、ちゃっかり一緒にあちこちふらふらとし夜を過ごしたり、駅のトイレで疲労したまま眠ることもあった。学校は大好きだったし、友達と遊ぶことも大好きだったから、どんなにきつい生活でも学校は休まず行った。


アルバイトでお金が入ると私は先輩に会いに行った。田舎で会うと誰かに見られただけで噂される。だから私は電車とバスを乗り継いで先輩の住む町に会いに行った。誰も知らない町だから、私達は自由に振舞えたし、普通のデートが出来た。食事をしたり、映画を見たり、ホテルで過ごしたり、朝早く家を出ても、別れの時間まではあっという間に過ぎていく。一分も一秒もどんな時間も一緒の時間は全部私達にとって大事だった。駅前を二人で歩いていると、ウェディングフェアという文字が私達の目に留まった。世間知らずの私達。大抵それは、結婚を予定している人達が、立ち寄る場所だろう。でも私達はその看板に釘付けになっていた。穴が開くほど見ていたのだろうか。中から店員さんが出てきて、声を掛けてきた。「中でドレスを見てみる?いいよ。今時間あるから。」と店の中に招いてくれた。私達は素直に従い、店の中に入った。初めて間近で見た沢山の綺麗なドレスに目を奪われた。その喜びようが店員さんにうけたのか、笑いながら「そんなに着てみたいなら、特別に試着どうぞ。ドレスを選んで。」と言ってくれた。私は、嬉しくて店員さんの好意に甘えることにした。初めて着るドレス。店員さんが簡単に髪をアップしてくれた。ドレスを着ると気持ちまでもが純白になっていくような気持ちになる。

「なお...凄い綺麗...。」

先輩がそう言ってくれたことが嬉しかった。「結婚」という二文字に遠いけど漠然と憧れを抱くように

なった。先輩と一緒なら。ずっと一緒に居られるなら。離れたくない。先輩といつまでも一緒にいたい。結婚がどんなものなのかまだ私には想像が出来ない。でも先輩と一緒ならそれは幸せな事なのかもしれないと思う。


父は、毎日私が電車から降りるはずの駅に迎えに来て待つようになった。しかし、私が乗っているはずもなく、電車から降りてくる友達に私のことを訪ねまわり、そして深々と頭を下げて帰るのだった。この駅で降りる友達はすべて、小学校からの同級生。兄弟同然で過ごしてきた友達ばかりだ。そんな父の姿を見て、正義感の強いE子は、ある時私を怒鳴りつけた。

「あんた一体何考えてるの?あんなに両親を悲しませて。あんたのやってることは最低だよ。私には全然理解できない。あんたみたいなやつとは絶好だよ!」

何の反論も出来なかった。心がちくちくと痛かった。そんなことは言われなくてもわかってる。でも父の前に出ると、何故だか全く正反対の態度になってしまう。素直になれない。そうすることでしか、自分の思いを表現することが出来なかった。


そんな時、年下の彼が突然私の前に現れ猛烈なアタックをされた。私はずっと先輩のことしか考えられなかった。でも寂しかった。どうしようもなく寂しかった。少しずついろんなことに心が疲れていた。年下の彼は優しくて饒舌で、その強引さでずかずかと勝手にどんどん心の中に入ってくる。幻覚を見るように、寂しい心に偽りの優しさがじわじわと入り込んでくるように、少しずつ侵食していく。

家出を続けもう行くところもなくなりつつあった私には、彼の下宿先に逃げ込むよりなかった。私は転がるような勢いで引きずられていった。彼の下宿先で暮らすようになった。好きという感情ではなかったのだと思う。でも結果的には彼の彼女状態。彼はよく不良仲間とつるんでいて、時々夜に出掛けて行って帰ってこないこともあった。私を連れていくことはしなかったが、一体何をしているのかいつも不透明な感じだった。学校も休みがち。さらには、万引きも常習犯だった。私は戸惑った。一緒にスーパーに行っても怖くてたまらなかった。そんなある日、彼はスーパーで補導され、一緒にいた私にも店員の調べが及んだ。しかし、防犯カメラに写った彼一人の実行と分かり、私の無実は証明された。私はとんでもないことに巻き込まれてしまったと自覚すると、いつも恐怖心に支配され彼の下宿先から荷物をまとめて出ようと考えた。ところが、あの優しかった彼の態度は一気に豹変し、初めての暴力を受けた。右目の端をいきなり殴られ目の中は、出血したように赤い膜で覆われた。私には病院に行く勇気もなく、先生に話す勇気もなく、両親にばれるのも怖く、目から血の膜が引くまで学校にさえ行くことが出来なかった。怖いと恐怖に震える気持ちがあるのに、時々どこまでも優しい彼に今までのことはまるで嘘だったかのような錯覚を起こす。そんなことの繰り返しで、私は彼から逃げることが出来ずにいた。学校が土日で休みになると彼はバイクで一時間以上かかる実家に帰っていくのだが、必ず私も後ろに乗せ連れていくのだ。私は怖くて断ることが出来ず、彼に言われるがままついていくしかなかった。彼は兄弟の一番末っ子。家族のことだけは口にしたがらなかった。彼の部屋は離れの小さな小屋風で彼の家に行ってもあまり家族に会うこともなかった。彼にも何か心の闇があったのだろう。その頃の私には何も見えなかったけれど。


父は私の居場所を遂に突き止め、突然彼の家に迎えに現れた。もう殴ったりすることはなかった。ただ無言で何時だろうと何時間かかろうと迎えに来て連れ帰った。本当は心の中でほっとする気持ちもあるのに、何故だろう。父を前にすると、父の言動、行動が何もかも気に入らなく感じてしまう。

家に連れ戻されると、「あんたと同じ空気なんか吸いたくないんだよ。」といきがり家には入らず、真冬の雪が降る中、車の中で一夜を明かすこともある位私は強情だった。車にはもちろん鍵などついていない。エンジンのかけ方も判らない。母が心配して毛布を持ってくると、喉から手が出る程欲しかったのだが、「あいつが持っていけってったものなんかいらない。」と突っぱね、朝まで震えながら耐えた。


就職当初から先輩は、新しい仕事に慣れるのに必死だった。お金のない私。時間のない先輩。会う回数も次第に遠のいていった。でも先輩は会うたびいつでも優しく温かかった。

先輩と離れてから約一年半。本当に久しぶりに会う先輩は、私の知らない人になっていると感じた。私のいる今の場所から、心ごと遠い人。

先輩と駈け落ちごっこをしたあの思い出の海で私達は、会う約束をした。あの時と何も変わらない海。変わったのは私達。先輩は大人になったと感じた。私は、自分自身が許せなかった。

思い出の海で、私は先輩に別れを告げた。先輩を裏切るような行動を続けることしかできなかった自分を悔い、もうこれ以上先輩へ裏切りを重ねることなどできないと思った。

「俺、仕事一生懸命してなおを迎えに行くって決めていたんだ。ずっと会いにこれなくて本当にごめんな。一生懸命仕事して早く一人前になることが、俺が今出来ることだって思っていたから。別れるなんて言うなよ。俺は別れないよ。」

先輩の目から涙がこぼれた。私は、今まで起こったことの全てを正直に先輩に話した。今まで誰にも口に出来なかったけれど。

「なおに寂しい思いをさせた俺のせいだよ。俺、なおのこと責めていないし、もう一度ここから始められるって思ってる。」

先輩が優しい言葉を私にかけるたび、気持ちはどんどん追い詰められていく。私が私を許せなくなる。こんな私のために泣いてくれる先輩を見て、自分の軽率さを後悔した。

先輩は乱暴に私を抱こうとしたが、その震える指はそれ以上のことはせず、私をただ優しく抱きしめた。先輩の身体の震えが私の心も激しい波のように震わす。初めての恋だった。初めての人だった。そして初めて傷付け、初めてサヨナラをした人。ごめんなさい。こんな私で。こんなに大切な人だったのに。


先輩と別れた後、年下の彼のところからもちゃんと抜け出そうと心に決めた。

街の中をふらふらと歩いていると、外観は相当さびれた風の居酒屋のドアの前にアルバイト募集のはり紙が貼ってあるのが目に入った。年老いたおばさんが一人で経営する居酒屋だった。私には力強く生きていく力が備わっていたのかもしれないと思う。おばさんに思い切って住み込みで働かせてもらえないかとお願いをした。おばさんは一人ぼっちで寂しい。私は住むところが必要。条件がぴったり一致だった。ひょんなことから、新しい居場所を見つけた私はやっとの思いで年下の彼の下宿先から逃げた。

おばさんの店は、居酒屋兼食堂のようなところで、時々出前もしていた。昔からの常連さんがちらほら来るくらいの店だったが、おばさんが暮らしていくには丁度良かったのかもしれない。おばさんは宗教を大切にしていて、何やらお店の途中でも時間になると時々拝みに行く。ちょっと変わっていたが、おばさんのことは好きだった。特に私に宗教を強要することもなければ、余計な詮索もせずにいてくれる。私は、おばさんの家の仕事を手伝いよく働いた。おばさんはよく褒めてくれたし、私を信頼して御願いしてくれていると感じた。おばさんの家に住み込むようになってから、久しぶりに少し勉強をする時間も出来た。さすがに高校3年生。これからの進路のことも自分なりに心配はあった。

私は四人兄弟の長女。家計はいつも苦しく子ども心にお金は大丈夫なのかといつも心配をしていた。両親からは、お前は高校卒業したら就職して欲しいと進路を決まられていた。まだ下にも三人子供がいて家計が苦しいとわかっていた私には、その選択しか選びようがなかった。どんなことをしても自分の思うような進路を進みたいとは、いいこちゃんの私には言えず、ごくんと胸の中に気持ちを飲み込んだ。


そんなある日、出前の注文を受け私はある一軒の家に丼ものを届けに行った。配達先は、店から信号を一つ越え、真っ直ぐに徒歩5分程坂を上がったところにあった。ドアチャイムをならしドアが開いた瞬間、私は驚いて器ごと落としそうになった。学校の英語の先生の家だったからだ。私のことを知らないはずはなく、先生も私を見て驚いた。けれど先生はごく自然に振舞ってくれ、私を責めたてもしなければ、学校でも言わなかったようだ。そのことが嬉しかった。先生を信じても大丈夫なんだって思えた。それからも先生はちょくちょく注文をしてくれるようになり、その度私は配達をした。先生と私の住み込み先は近いということもあり、仕事が終わると先生の家に遊びにいくようになった。先生はバツイチで一人暮らし。余り整理されているとはいいがたい部屋には、音楽機器が沢山並んでいた。先生の趣味は音楽。特に洋楽が好きで、先生の好きな洋楽をいくつも教えてくれ、聞かせてくれた。ごく自然に先生は、自分のことも正直に話してくれた。時々は、勉強の心配をして英語の個人授業をしてくれた。特に洋楽の歌詞を使っての英語の勉強が私のお気に入りで、先生の好きな洋楽の歌詞を訳しながら、声に出しながら勉強をした。進路の事、家族のこと、年下の彼とのことも少しずつ心がほぐれ、先生にぽつりぽつりと話せるようになった。先生といる時間は、平穏で波も風もなく静かで心地よかった。先生が先生自身のことも話してくれ、私を信じてくれ、私も信じることができた。私は先生に惹かれていった。大人で、理性があって、誠実で、優しくて温かくて。


住み込みのアルバイト先を見つけたことで、私は全く家には帰らなくなっていたが、とうとう住み込みのアルバイト先は両親にばれてしまった。家に帰りたくない私は逃げた。町をただふらふらとさまよった。もうどこも行くところも、帰るところもない。そんな私を先生は町中歩いて探し続けてくれた。狭い町の中。とうとう私は先生に見つかってしまった。怒られると思った。身構えていた。もうこれで誰も信じられる人がいなくなるのだと思った。ところが先生は私を見て優しく笑ったかと思うと「腹減っただろう。体が冷えて寒いだろう。こんな時はあったかいうどんが最高だな。」そう言って、傍にあった食堂に入り、一杯のうどんを御馳走してくれた。先生と向かい合わせでただ無言のままうどんをすすった。うどんがするすると喉を通って体に入る度、体の中心からぽかぽかと暖かくなるのを感じた。あったまったのは身体だったのか、心だったのか。すごく素直な気持ちになっていた。もう居る場所も失い、身体も心も何もかも限界だった。私は本当に久しぶりに家に帰った。両親は何も言わずに迎え入れてくれた。

それからも時々先生の家には遊びに行った。私が一緒に居たかった。すると先生は突然「一緒に卒業ライブを企画しよう!音楽好きなやつら集めて。で、俺たちもユニット組んで一緒に歌おう!」最高の企画!先生がギター。私は友達と二人でヴォーカルというユニットを結成。学校の中に存在するバンドを組んでいる仲間を集めて、それぞれが歌う。高校生最後の最後にしてやっと高校生らしいことをしようとしていた。それから3人での練習の日々が始まった。曲は先生と勉強してきたお気に入りの洋楽。一緒に訳して、一緒に歌詞に痺れた先生との思い出の洋曲。一緒に何かが出来ることが嬉しかった。ただただ嬉しかった。

練習最後の日、私は先生と二人で話をした。もうすぐ卒業。ホテルへの就職が順調に決まり、先生とは一緒にいることは出来なくなる。

「先生、私、先生とずっと一緒にいたい。」そう言葉にしてみた。正直な気持ちだった。結婚とか付き合うとかそういうのじゃなくて、ただ一緒に居たかった。

「俺も同じ気持ちを感じたかもしれない。でもそれは出来ないことなんだよ。だから一緒に卒業ライブをやるんだ。最後まで一緒に。許される時間の最後の最後まで一緒に。」

その言葉通り、先生と心一つになって歌った歌は大切な歌になり、先生と重ねた静かな時間は私の生活に静けさを取り戻してくれ、高校生らしいことが何一つ出来なかった私の高校生活最高の思い出になった。先生の優しさと先生の愛は体の中に浸透していき、私が明日に向かうための力に変わっていった。

私はもう逃げずに年下の彼にさよならを告げ、高校生活のあと一年を大切に過ごして欲しいと自分の言葉で伝えた。桜が舞い散る春。私は生まれたこの地を離れ、新しい就職先へ発った。


私は、県内だが実家からは車で二時間半程離れた場所にあるホテルに就職をした。親元を離れ会社の寮で暮らすことになった。早く親元を離れたいと思っていた私は何のためらいもなかった。

私が働くことになったのは、経営不振にあえぎ他企業がホテルを買収し、経営者を派遣。ホテルを再建し右肩上がりに業績が伸びているホテルだった。ホテルには活気が溢れ、特に経営戦略的に結婚式に力を入れ営業していた。土日には複数件ある結婚式をこなすのが私達の部署だった。金曜日からは土日の結婚式のための準備で夜を徹して働いた。私の住んでいた寮は、一般のアパートをホテルの寮として何部屋か会社が契約しており、2LKの部屋の一部屋を使い、相部屋で暮らしていた。寮はホテルから徒歩十分ほどだったが、忙しいと夜は遅いし朝は早い。家に帰る時間さえももったいないと思うほど忙しい時は、大きな社員用の浴場で入浴し、そのまま家には帰らず、ロッカー室の床で仮眠をとり次の日の仕事に突入することもしばしばあった。忙しい時期は結構そうする社員も多かった。私は結婚式場でPA操作を担当していた。音響、照明、音楽の操作と指示。司会者と打ち合わせ、ステージ周りの細やかなこと、空いた時間は料理の持ち回りなどをすることが主な仕事だった。一会場で一日二回から三回の結婚式が入ることも珍しくなかった。最初の婚式が終わって扉が閉まった瞬間会場は一変、戦場と化す。テーブルごと引っ張って隣の会場に準備してある次の結婚式のテーブルと入れ替えるのだ。テーブルが並び変わると椅子が入れられ、引き出物がテーブルの下に置かれる。時間の無い時にはこの作業を十五分ほどで終わらせ、扉が開いた瞬間、何喰わぬ顔でお客様を迎える。こんなハードな仕事であったから、働いている仲間は若く、仕事にも遊びにもパワーがあった。仕事以外の空いた時間は、飲みに行き、海が見たいと言えば朝方まで車を走らせ、寝る間も惜しんで遊んだ。私は仕事にはかなりやりがいを感じていたし夢中だった。お客様が幸せな涙を流すとき、この上なく仕事への喜びを感じた。


しかし、順調だった私には誰にも言えない秘密があった。私はホテル内のレストランに配属されている同僚との相部屋だったが、レストラン部門は勤務形態が不規則なためお互い寮で顔を合わせることは余りなかった。私は、会社の寮でありながら部屋に同居人をかくまっていた。私が高校を卒業してほどなく、あの年下の彼は高校を中退し、どうやってここを調べたのか...転がり込んできたのだ。彼は住むところもなく、ドアの前にずっといて私は仕方なく彼を家にあげるしかなかった。彼には仕事も勿論なく、私が仕事の間は外出したり、部屋で過ごしたり毎日ぶらぶらと暮らす。もちろん生活費もない。新しい生活に踏み出した私にとっては重荷でしかなかった。会社には言えず、かと言って親にも言えず、、暴力を振るわれるのも怖く強く出て行ってと言えず宙ぶらりんな生活を送っていた。

しばらくは何事もなくただの同居人のように過ごしていた。ところが私にとって困った事態が度重なり起きた。彼のお姉さんという人が私を訪ねてきたのだ。お姉さんは一方的に私に強い口調で言った。

「あなたのような悪い人に出会って弟の人生は変わったの。あなたが弟を変えてしまった。あなたのせいで弟の人生は狂ったのよ。あなたは本当に腹立たしいわ。」

私は唖然とした。転がり込んできたのは彼のほうなのだ。決して高校は辞めないでとあれほど言ったのに。ひものように私の部屋にいて、私の生活費を侵食しているのは彼のほうなのに。

「私の主人の仕事は警察官なの。立派な仕事をしている人なの。こんな女と一緒にいる弟が恥ずかしいのよ。あなたと一緒にいる弟は家の恥なの。あなたのせいよ。何もかもあなたが悪いわ。」

何とも後味の悪い出来事だった。


それからほどなくして今度は仕事中、私宛に警察から電話があった。何も警察沙汰になるようなことはした覚えもない。話を伺いたいことがあるとのことで、仕事先に警察の方が訪ねてくることになった。何のことなのかさっぱり見当もつかず、警察の方から話を伺って唖然とした。彼が万引きをして警察に通報されたそうなのだが、「保護者の方は?」の質問に、答えたのは私の連絡先だったのだ。警察官の方には何とか理解してもらい、しょうがなく彼を引き取った。彼を好きだと思う感情は全くなかった。しかし、どこまでも執拗についてくる彼を振り切る方法もまたわからなかった。


私は自分の働いたお金で車の免許を取りに行った。ホテル経営から手広く経営を広げていた私達の会社は教習所の経営もしていたため社員割りで免許がとれることを知り、私にとってはラッキーだった。長女の私は、兄弟のために教習所さえも親からの援助は最初からなかった。

少しずつ本当の意味で自分一人の生活を自分の力で出来るようになってきていた。私の願っていたことだ。早く親元から離れて自分の世界を持ちたいと焦がれていた私の夢が、自分の努力で少しずつ叶っていく。親になど頼らないで生きていく。私は私の力で。今までだって何もお願いなんかしたこともない。いつもいつも喉元まで出かかっている気持ちは飲み込んで我慢してきた。長女だからと言われ続け、それは私を縛り続けてきた。

でも、いい子ちゃんの私は、やはりどこかで完全に家族を捨てることは出来ない。妹は、お金の無い両親のことなど気にもせず、自分のいきたい進路に進む。公立の大学を目指し、大学に合格。妹のアパート代が不足すると、こんな私にお金の援助を求められる。突っぱねたい私と、妹を想う私が葛藤し結局最後は必死で働いたお金は妹のアパート代になっていく。こんな親にはなりたくないとずっと心の中でふうふつと反抗心が生まれてくる。

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