汗と涙のいらなかった青春

文芸部は避難所だった。

たぶん、本好きの人にとっての天国があった。

学校のパソコン室が、部室だった。

回転椅子で回った時に、視界が溶けて、絵の具を混ぜたみたいになる。ふらついて転ぶ。笑う、笑ってくれる仲間がいる。その感覚を言語化して、またパソコンに打ち込む。

そういう空間だった。

そもそも、どうして文芸部に入ろうと思ったのか、よく覚えていない。高校に入学して、いかにも「隅っこで本を読みます。苦手な科目は体育です」みたいなタイプの友達を作って。男子の先輩しかいない部室の扉を誰がノックするかじゃんけんで決めた。

二つ上の先輩はすぐに卒業して、パソコン室は毎週木曜日、私たちだけのものだった。

その部屋のヌシのようにうろうろしている情報の先生とガンダムの話をした。

あれが、私にとっての青春だったんだと思う。

これは私の考えだけど、物語というのは無音では成立しない。誰かから誰かに、伝えるものだから。

「ねえ、ここさあ、階段駆け上がるか立ち止まるかどっちのがいいだろ」

「うーん、女の子でしょ、振り返る効果が良くね?」

「いや、それだと劇的すぎるよ」

そういうふうに、物語をしながら、「語り」ながら、たくさん小説を書いた。

高校生くらいのとき、感受性を持て余す。

私たちは、色んな理由で逃げたいことがあって、文芸部は避難所だった。

小説を書くことで、正しくストレスを昇華させていたんだと思う。

「帰りたくない」ってだだをこねて、机の下に隠れたことがある。

誤字が面白くって、もう何年も経った今でも食パンをみると笑ってしまう。

これは本好きにしかわからないかもしれない話なんだけれど、例えば。

「月が綺麗ですね」

と、何かの拍子で言うとその部室の誰かはこう言う。

「死んでもいいわ」

そういう空間だったんだ。

好きな本の話をして、今書いてる主人公の話をした。主人公は私で、私たちで、ぜんぜん私とは違う子だった。

好きなものしかなかった。

今でも私は、こうして文字を打ち込む時に、文芸部の部室にいる。

授業中こっそり、ノートの端に書いたプロットを、明朝体で打ち込んで。

二段組の部誌を製本した。みんな、手が痛くなるまでホチキスをバチンバチンした。

泣きたくなるくらい懐かしいことってある。

私にとってはそれが、高校生活三年間、毎週木曜日のパソコン室だった。

多分、私はまだあそこから卒業出来てない。

もう大人なのに、二回折ったスカートを履いて赤いマフラーを巻いていたころから、一歩も進んでない。回転椅子で回って気持ち悪くなって、まだそのまま。

走って汗をながす青春を否定しない。

でも、背中を丸めてパソコンの画面と向き合って、時々「うわー!あー!だめ!この話ぜんぜんだめだ!」とか叫ぶ、そういうのも青春だった。あのころのペンネームを捨てられない。どうしようもなくいまどきの女子高生だった。

私たちの青春を詰め込んだパソコン室は、プレハブの建物だった。校舎が建て替えの途中で。だからあそこは、笑い声とか青春の苦悩とか、そんなものがみんな染み込んだ土足禁止のあの部屋は、もう無い。

無くなってしまうことで完成されたんだと思う。たまに母校の前を通りかかると、ショベルカーが青春を壊している。

缶コーヒーのプルタブが開けられなかった友達は、別の誰かに開けてもらってるのかな。いつも私の役割だったんだけど。

思い出は美化されるから、きっとこの話も全部うそだと思う。小説って、堂々と嘘を書いていいから。私の、私たちの青春は、小説だったんだな。

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