高卒でライン工をしていた僕が上京して起業する話-No.3

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そうだ副業しよう!


そう思い立ってから、僕はありとあらゆる副業を始めた。


ebay(海外のオークションサイト)から物を仕入れてヤフオクで転売したり、ブログやサイトを作成してアフィリエイトやAdsenseを始めたりした。


転売は、無在庫販売(ドロップシッピング)というやり方で、ヤフオクで商品を販売して購入されてから、商品を買い付けて発送するという、グレーな販売をしていた。※当時は購入者から振り込まれたお金で商品を調達すると基本的には規約違反だったが、一定の期間内に商品を届ければ無在庫でもOKだった


当時のebayは日本版がなかったため、商品ページや発送メールなどは全て英語だったが、Iさんに倣って、英会話スクールに通っていたので問題はなかった。


転売は単価が低いと手間ばかりかかるため、リスクはあったが高額商品をメインに取り扱った。偽ブランドに気を使いながら、僕は海外ブランドのダウンジャケットをメインにヤフオクで販売をした。


本業のネット通販の仕事をしていた時、お客さんから「可愛いコンタクトのケースが欲しい」という要望があった。調べて見ると、ドンキで売ってあるような派手なケースはあるものの、可愛らしいケースがネットで販売されていなかった。


家に帰宅した僕は、ebayでコンタクトのケースを探し、キ○ィちゃんにそっくりなデザインのケースを見つけた。中国製だったので明らかな偽物だったかが、販売価格は200円と安く、偽物と明記した上でも売れるのではないかと思い、仕入れることにした。


発送に2週間近く掛かる船便だったため、無在庫販売が難しいと判断し、30ケース仕入れてヤフオクで販売を行った。しかし全く売れることはなく、3ヶ月出品を続けたが結果一つも売れることはなかった。この時の在庫は今でも僕の押入れに眠っている。


※偽物の販売は明記しないと詐欺罪になる可能性がありますが、明記した上での販売でも、商標法に抵触する恐れがあります。もちろん利用規約上も違法です。


ダウンジャケットの販売は1回で5000円程度の利益があったので、半年程やっていたが、本業をしながら入金確認や発送手続きなどを行うのが非常に面倒だったので、あまり長く続かなかった。


そのため、ブログやサイトを作成することにした。日常生活で不満に感じたことや、Yahoo知恵袋で質問が多いようなテーマを解決できるようなブログ・サイトを作成していた。


本業の方は、チラシ配りとして働き始め2年が経ち、一通りの仕事が出来るようになってはいたが、仕事の質は低いままだった。


全て独学でやっていたので、サイト作成はtableを多用した汚いコーティングで、デザインはワードで作成したPOPを少しマシにしたレベルだ。広告周りの運用はAdwordsを動かしていたが、CVタグの設置すらしていないレベルだった。


仕事の質は低くても、周りに出来る人がいなかったので会社では物凄く重宝されていた。社内ではパソコン先生と呼ばれるようになり、社長や院長と飲む機会も増えた。


高卒の19歳がチラシ配りからバイトをして、OSすら知らなかった状態で一通りの仕事が出来るようになり、事業部責任者として役職を貰い、周りに頼りにされるようになったので、大出世した気分だった。


しかし、待遇はバイト当時とさほど変わらず、手取りで20万を切るような環境で、周りに教えてもらえる人がいない。


もっともっとスキルアップして、たくさん稼げるようになりたい。


そこで21歳の僕は、新たな決意をした。



そうだ転職しよう!




僕は会社を辞めることを伝え、数ヶ月後にとある会社に転職した。そこの会社はマッチングサイトを運営しており、業務内容は主に運営・保守だ。Webディレクターとして求人が出ていたので応募したのだが、なんと部署は僕を入れてたったの二人。


しかも、その人は再来月に退職することが決まっていた。


社員10人程の小さな会社ではあったが、ここの部署(その人ほぼ一人)で、マッチングサイトを開発、集客、運用、保守を行っていた。


求められるレベルも、サイトの開発・修正(企画・構成・デザイン・コーティングなどの全工程)、LP作成、バナー作成、SEO、コンテンツ作成、リスティング業務、プレスリリースと、非常に多岐に渡る。


面接では相変わらずの調子で「何でも出来ます!」と元気よく答えていたが、流石に堪えた。これをデザイン・コーティング・リスティングを独学でやってきた僕に二ヶ月後から一人で出来んのかよ、と。


ただ、一般的な制作会社に入社するよりかはスキルの習得スピードが早いと思い、入社する決意をしたのだった。


僕は引き継ぎのプレッシャーに勝つべく、毎朝誰よりも早く出社し、一番最後に帰宅し続け、家でも仕事を持ち帰ってやっていた。


副業目的で始めたブログだったが、仕事や勉強で学んだことをアウトプットするために、新たなブログを作成したりしていた。


人数は少ないものの、3つの部署にそれぞれ目標が課せられ、毎月成績が優秀な一人を表彰するMVP制度があった。


僕の部署はもう一人の人が辞めてから(引き継ぎが終わってから)の1年間、常に目標達成を繰り返し、10ヶ月連続でMVPとして表彰された。


以前の職場のように、大口を叩いて自分にプレッシャーを与え、それを超えるために努力するというやり方が僕には合っていたようだった。


最初こそ、待遇面では月給25万(それでも十分な金額)だったが、四半期毎に5000円程度昇給し、2年半後の24歳の時点で月給30万近く頂けるようになった。


10時出社で18時半が定時の環境で、職場の人達は19時半には退社していた。有給休暇は毎月取れるし、直属の上司にあたる社長の怒っている所は一度も見たことがない。それくらいホワイトな環境だったため「何でそんなに頑張るの?」と、聞かれることが多かった。社長にすら聞かれたことがある。


解答に困ることが多かったが、単純に仕事が好きだったからた。


自由に意見が通るこの環境で、自分の頭で考えて実行し、数字がどう変化するか解析し、次の一手を考える、という工程を僕はゲーム感覚で楽しんでいた。


部署内で良い結果を出したり、悪い結果を出したとしても、誰かが褒めたり注意してくれる環境ではなかったった。ここの人達は良い意味で無関心だ。ただ誰かに認められなくても、自分自身で成長していることが実感出来たので、それが何よりも励みになった。


僕は成長過程を把握するため、パワプロのように評価をつけていた。「ミート、パワー、走力」などのように、「制作、開発、デザイン、リスティング、SEO...」といった形で10段階の項目を作成し、S~Gまで評価する。


毎日この評価をすることにより、「もうちょっと勉強したらFからEに上がるかな?」といったように楽しく仕事や勉強を行うことが出来た。


自己管理を徹底するため、毎朝一番早く出勤する、仕事中は一分足りとも無駄にしない、テレビを見る時はNHK以外見ない、アニメや漫画は一切読まない、毎日勉強する、週に一度はブログの記事を更新する、といったルールを自分に課していた。


平日・休日共に日中仕事のことを考えていたため、当時何人かの女性と付き合ったが、結局上手くいかなかった。


デートの移動中、彼女が服を見ている時、アトラクションの待ち時間、就寝前など、少しでも時間が出来ると仕事のことを考えていたため、そんな僕に嫌気が差したのだろう。


「○○君(僕)は仕事と私どっちが大切なの!?」
そう問い詰められることが度々あった。熱中すると周りが見えなくなる僕は、両立することが難しかった。


ある時、僕の押し入れに隠してあった、山積みのキ○ィちゃんのコンタクトのケースを見られた時は、「変人だと思ってたけど本当に変人だったんだね」と言われたことがある。それは趣味じゃない。転売に失敗した在庫だ。


「彼女なんていらない」と口癖のように周りに言いふらしていたものの、やはり男友達が少ない一人暮らしを永くしていると、年に数回寂しさが襲って来る。そういった時には合コンに参加したりと積極的に出会いを求めていた。ただ振り返って今思うが、本当にネズミ講が多かった。


これから上京する人は騙されないように...。


副業の方は、相変わらずブログ・サイトを作成したり、記事を更新したりして、広告収入を最大化させていた。


開始した当初は月100円程度と全然稼げなかったが、この頃は波があるものの月10万近くの収益があった。アウトプット目的で始めたブログもPVが増えるに連れて、純広告の掲載依頼、大手メディアの記事執筆、大手出版社の本の一部執筆など、様々な仕事の依頼が入るようになった。


ブログ以外にも、職場で学んだプログラミングでWEBサービスを開発し、メディアに取り上げられ、ベンチャーキャピタル(投資家)や証券会社の人からアポの連絡が入り、会って話しを聞いてもらったりした。


人脈もなければお金もスキルもなかった、この東京の街で、初めて何者かになれた気がした。


そして、毎日がとても楽しかった。


本業、副業で稼いだお金は、工場時代と比べると結構な金額になっていたが、貧乏な環境で育った貧乏性な僕は決して無駄遣いはしなかった。


スーツ出勤だったが、成人式の時に買った一着のみ着続けたり、靴は穴が開くまで履きつづけたりと、周りには社会人失格と言われ、社員旅行では私服がダサいとネタにされるくらい、自分にお金を掛けなかったのだ。(仲は非常に良い関係)


転職して半年程経った頃に、東京の西端にあった家賃3.2万の部屋から、家賃4.2万の事故物件に引っ越していた。


23区内にあるこの物件は火事が起きて部屋が全焼した事故物件だった。不動産会社は「誰も亡くなっていない」と言っている。僕は「大島てる」で検索することもなく、その言葉を盲信して今日に至るまで住んでいる。


上京する前は「東京は家賃が高い」と思っていたが意外と探せばあるものだ。貯めたお金は、毎月10万円を定期預金にし、残ったお金は母親への仕送りに充てた。


そして、時は流れて2017年1月。


今の会社に入社して、4年半が経った25歳の今。


僕は新たな決意をするのであった。



そうだ、起業しよう!

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Morii Ryouji

東京上京ストーリー~何者でもない男が何者かになろうと足掻く日々~

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