私が0歳のときに自殺した、父との想い出

1 / 2 ページ

私は、父のことを覚えていない。

知らないといったほうが正しいだろう。


でも、私には父との思い出がある。

とても大切で、私の人生にはなくてはならないものだ。

      

私は、1978年12月5日に生まれた。

父は、1979年4月25日に自ら命を絶った。


私は父が自殺したことを、30歳を過ぎるまで知らなかった。

病気で死んだと教えられていたのだ。

25歳だった父は、人間関係のトラブルが原因で、新婚だった母と幼い私を残して、突然自らの命を絶ってしまったのだそうだ。


母が父と過ごした日々は、わずか2年。

私が父と過ごした期間はわずか4ヶ月半。


もちろん私は父のことはまったく覚えていない。

でも、私は父のことが大好きで、尊敬さえもして育った。

母や祖父母が大切に私を育ててくれ、そして、周りの人の優しさに包まれていたからだ。


だからこそ、母からその事実を聞いたときには、とてもショックだった。

どうして!?


大好きだった分、裏切られたような気持ちになり、そして、なぜか自分が犯罪者の子どものような気がして、誰にも言えず思い悩むこともあった。


でも、私はこれを書くことで、この気持に整理をつけようと思う。



1.ヘレン・ケラーになりかけた私を救った父


     


これは、母から何度も聞いた話。


父が他界してすぐ、まだ幼かった私は突然の高熱に見舞われた。

母は、心配してすぐに私を病院に連れて行った。


しかし、薬を飲んでも一向に熱は下がらない。

毎日のように病院に連れて行き、色々な診察や検査を受けるものの症状は改善されず、一週間近く39度近くの熱が続いていたという。



全然熱が下がらないんです。先生、何とかして助けてください。
医者
色々な手は尽くしましたが、私にはこれ以上どうすることもできません。
そんな!大切な我が子なんです。
医者
大変言いにくいことではありますが、高熱が出てから一週間近く経ちます。今日・明日で熱が下がらないようであれば、お子さんは目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、話せなくなるなどの後遺症が残る可能性があります。

母は、途方にくれた。

私しかこの子を守れない。

何とかして助けなければ。


徹夜での看病が続いた。

そして、疲れも貯まり、7日目の夜についウトウト私の横で眠ってしまった。


いけない!

ふと起きたそのとき、何故か父が部屋の隅に立っていた。

そして、母に話しかけた。


「心配要らないよ、この子は俺が守るから大丈夫だよ。お前はゆっくり休みなさい。


気がつくと朝を迎えていた。

母は我に返って、急いで私の体に触って熱を確かめた。


あれ!?


すかさず体温計で熱を測る。

・・・・36度5分。


全然下がらなった熱が、不思議なことに下がっていた。



高熱の原因は何だったのか、父が現れたのは夢だったのか現実だったのか、今となってはわからない。

父が助けに来てくれた。

父は天国から昔も今も見守ってくれている、そう思っている。




2.遊園地で一緒に遊び、大切なことを教えてくれた父


幸か不幸か、物心がついたときには父はいなかった。

だから、父という存在がどんなものかわからず、父がいなくて寂しいと思うこともなかった。

そんな私も、大学へ進み、東京でひとり暮らしを始めた。


私は、高校生のときに通っていた個人指導塾の先生の勧めで、良家の子女が通うという女子大に入学した。


      



憧れのひとり暮らし、大学生活。



しかし、入学してみると、私の想像していたキャンパスライフとは全く違っていた。


良家の子女が通う大学。

その評判通り、どの学生も家柄が素晴らしい。

大学教授の娘、陶芸家の娘、医者の娘、某有名企業の上役の娘・・・・。

私は、母子家庭で育ったごく普通の家庭。

お父様のご職業は?と屈託のない笑顔で聞いてくるクラスメイトに対して、父がいないことを初めて引け目に感じ、のらりくらりと話題を反らした。


皆キレイなワンピースにスカーフを巻いて、高級ブランドを身に着けて大学へ来る。

休み時間の話題は、そのブランド自慢や海外旅行の話で盛り上がっている。

私は、それまで高級ブランドを実際に見たこともなければ、海外に行ったこともなかった。

必死で話に入ろうとするが、ついていけない。


授業も厳しい。

高校よりも厳しかった。

どんな理由があろうと、年6回授業を欠席すれば単位をもらえない。

毎日山のように出される課題に、予習・復習。

先生は修道女ばかりで、品行方正にという指導方針のためか、茶髪だからという理由で私は先生に嫌われ、授業中に私ばかり名指しで怒られる。


おまけに、関東近郊から通う学生ばかりで、同じ学科の同級生でひとり暮らしは私だけだった。

皆授業が忙しい上に、地元の友人もいるので、大学が終わればすぐに家に帰る。

気を紛らわせようとアルバイトをしようとしたが、たっぷり課される毎日の予習・復習で

そんな時間もとれない。


それでも、母が頑張って通わせてくれた大学。

なんとか必死で頑張った。

でも、頑張れば頑張るほど、空回りしていく。


どうしてこんな大学へ来てしまったんだろう・・・。


思わず母に電話をしていた。


ママ、もう大学に行きたくない。みんなの話について行けないし、居場所がない。
何を言ってるの。頑張ってせっかく入った大学なんだから!
せめて実家から新幹線で通わせて欲しい。
・・・・。
ダメ!自分で選んだ道なんだから、あと1年は最低頑張りなさい!
それでも気持ちが変わらないようだったら、大学を辞めなさい。

そういって母は私を突き放した。

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者のSuzuki Chiharuさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。