自分が『自分』でいられるのは、、、~愛あればこそ~ vol.1 「落ち着きの無い小学生?」

次話: 自分が『自分』でいられるのは、、、~愛あればこそ~ vol.2  「認めてくれる人の存在!」

皆様、こんにちは。今日は「変わり者」?の自分がよく周りの方から尋ねられることでもあり、自分自身、一人でも多くの人々に知って欲しいと思っている事について書かせていただきます。

万年評価「落ち着きがない」

通信簿

私が小学生だった頃、自分がもらう通信簿の先生によるコメント欄にはいつもいつも同じ言葉が書かれていました。その言葉は「落ち着きがない」。

授業中に江ノ島に

自分自身、「落ち着きがない」と先生が書くのはよく理解できました。自分は友だちを連れ、授業中に外に出て、そのまま江ノ島に遊びに行ったりしてしまったのです。

自分は覚えていないのですが、幼稚園の時も似たような感じで、皆が教室でお遊戯をしている最中自分は外で砂遊びをしていたそうです、、、

「落ち着き」って何?

上の文章を読むだけでは、ただ単に私が「行儀悪い」子だったと思われるかもしれません。実際、行儀はよろしくなかったですが(^_^;)

先生の言うことをおとなしく聞くこと?

ただ自分は自分で、子供ながらにはっきりと思っていたことがありました。それは「自分が納得行かないことはやりたくない」と言うこと。でも、こんなのは誰でも同じではないかなと思います。自分はこの気持が非常に強かったのを覚えています。

そして、先生や大人が言う「落ち着きがある」という言葉の意味に違和感を感じていました。先生や大人の言うことをおとなしく聞いていた場合には「落ち着きがある」と認識されるのは理解出来ましたが、そうでない場合に「落ち着きがない」と評価されるのが腑に落ちなかったのです。

何を言いたいかというと、先生や大人の意見に素直に従わないのには正当な理由がある場合もあり、大人や先生であればそのような背景を考えてくれても良いのではないかなと自分は思っていたのです。

素直に行動しただけで障害児?

自分のケースではなく、大人になってから聞いた話ですが、既にひらがなをマスターしている小学1年生がひらがなの授業中に集中できなくなった事があったそうです。その子は既にマスターしているひらがなではなく、漢字を勉強したいと思っていたようです。その子は授業を抜け出し、漢字の勉強をするために図書館に向かったそうです。

この行動は問題視され、その児童は親御さんと共にカウンセラーの元に、ついには病院に連れて行かれ、「障害児」とされました。この子の場合、明らかな障害がある訳ではなく、「障害児」と認めてもらった方がその後も自由に振る舞いやすいだろうという配慮のもとに医者と保護者が相談のもと「障害児」としたそうなのです、、、

これはただの一例であり、殆どの先生や大人は理解があるのかもしれません。しかし、先生や大人からの見えないプレッシャーを感じ、自分の気持を押さえ込みながらも大人しく従っている子ども達は多いように感じています。

落ち着きたくなんてない

自分は反抗心が強かったわけではなく(と思っています、、)、ただ、子供だからと言って軽んじられるべきではなく、皆が尊重されるべきだと思っていたのです。

そんな考えから自分にとっては、「落ち着きがある」、「大人しい」なんていうのは何となく、”『自分』が無い”というような響きを持っていたのです。

実際、自分は「落ち着きがない」と評価されていることを誇りにさえ思っていました^^

vol.2  「認めてくれる人の存在!」に続く・・・

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