3年前“This am a Me” と真顔で言っていた私が現在、ニューヨークのウォールストリーで働くまで。


          プロローグ

決して良くも悪くもない普通の4年生大学を卒業し、就職氷河期と言われていた中、運もあってか、決して良くも悪くもないいわば普通の総合商社へ新卒採用として入社した。

当時の私はとりあえずお金が稼げて、社会保険に加入できご飯を食べれて生活できればそれで満足という考えしか持っていなかった。私生活の方では、幸運にも当時私には約7年ほど付き合っていた彼女がいた。しかし当時会社が出した配属先の事例により約車で5時間ほど離れた遠距離恋愛も入社と同時にスタートすることになった。

とはいっても当時の私は自分の環境にとくに不満もなく満足していたと思う。

入社してからの3年間、休みの日はパチンコをしたりフトッサルをしたり二週間に一回は遠距離恋愛中の彼女に会いに行くそういったいわば機械的な生活を私は送っていた。そしてそれを楽しんでいた。



       

        退職、渡米決意


働き始めて3年ほど経過し後輩もでき仕事にもなれてきた矢先、7年近く付き合ってきた彼女から突然別れたいとの告白。私は特に止めることもなかったし、理由も決して詳しくは追求しなかった。人間予想もしていない衝撃な事実を聞くと何も言えなくなるのだなと今考えると当時の私の行動は納得出来る。


衝撃的な別れたいという告知を受け、片道5時間ほどの帰り道の運転中私はラジオをただひたすらランダムに流していた。特に聞いているわけでもなくただ流していただけだと思う。


ふとした瞬間、私の耳にある人気絶頂の芸能人が芸能活動をやめアメリカへ留学するという情報がラジオから入てきた。当時私も一人のファンとして振られた状況の中ダブルショックを受けたのは今でも覚えている。


記者からの報道の答えとしてその芸能人は『自分のやりたいことを見つけるために海外に行く』とのみ頑なに公言していた。


その情報を聞いた数十分後、私はコンビニに立ち寄りコーヒー、封筒、A4の用紙、のり、ペンを購入しそのまま漫画喫茶に立ち寄り退職届を作成した。今考えるとあの時の私の行動力は異常だと思う。


翌日上司に退職の旨をつげた。とうぜん理由はニューヨークでやりたいことを見つけるため。おそらく当時私の上司は、頭でも狂ったのではないかと私に対して思っただろう。




           準備


退職してから3週間ほどは実家に戻り日本でやり残していること(主にさようならの挨拶や携帯電話の契約解除などの事務処理 )を済ませ必要なものはすべて現地で買えばいいと思っていたのでスーツケース一つで日本から約直行便で約15時間離れたニューヨークへとたびだった。


もちろん生活する上で必要な住居、ビザ維持のための語学学校の入学手配事は事前に行っていた。とはいえ当時の私は予算にも限りがあったためニューヨークでも格安な家賃のエリア、学校に申し込んでいた。


目的があくまでも語学の向上ではなく何かを見つけてくるといった一風変わった理由でしたので。




           殺人首都


ニューヨークときいて思い浮かべるのはおそらく自由の女神、タイムズスクゥエアー、セントラルパーク、エンパイアステートビルディングなどといった華々しい世界だと思う。ニューヨークに着く前の私もそのうちの一人でした。


しかし私の移住地は格安な物件を手配したため、ブルックリンのブラウンズヴィルというあの有名なマイクタイソンの生まれ育ったエリアだ。

鍵の引き渡しの待ち合わせの約束の時間になっても管理人がこないのでしばらく私は道に座り、この辺りのスーパーをgoogleで検索してみた。目を疑った、、、googleが表示するのは全米1危険エリア、殺人首都。

そう、ブラウンズビルは、人口が約12万人。そのうち7割がアフリカ系米国人で、2割がヒスパニックという人種構成。ブルックリンの中央に位置するこの地域は旅行者にとって最も危険な地域。ドラッグの問題や、低所得層が集まる場所として知られている。学校や公共施設の入り口には金属探知機さえ置かれている。ニューヨーク市も環境改善に努めてきたものの、強盗、発砲などの凶悪犯罪が絶えない。また、通りの電線や金網にスポーツシューズがぶら下がっている。これはその通りでヘロインなど麻薬取引があることを示す。特に何もないので観光で来ただけなら行くことはないと言われているエリアだった。


畳3畳ほどの自分のスペースはあったもののキッチン、シャワーは顔も知らないフロァーの人とシェアしなくてはいけないシステムだった。ネズミ、ゴキブリと遭遇するのは当たり前。正直言うと日本から来た私にとってはもはや地獄図だった。


         

        New Life


日本から持ってきたものは必要最低限の衣類、パソコンのみだったため一通り家のチェックを終え日用品を買いに行こうと外へ出ることにした。もうあたりは暗くなり始めていた。


歩き始めしばらくすると全身タトゥーだらけの体の大きな男性(いかにもhiphopといった感じ )一人がCDを持ちながら満面の笑顔で何か私に話しかけてきた。外国人にまだ慣れていない私にとってそれは少し迫力があった。


英語が全くと言っていいほどわからない私であったがどうやらその男性は私に自分が作成したラップのCDを無料でくれるといっているようだった。


無料なら問題ないかと思い快くそのCDを受け取った私が馬鹿だった。そう、この国では日本のように無料という言葉はないと考えてもいい。その場を立ち去ろうとするとどうやらその男性は私にチップを求めているようだった。マジかよと思いつつも、仕方ないので私は実際に音楽が入っているかも分からないCDだったので3ドルほど渡してその場を立ち去ろうとした。


その瞬間その男性が私の足を踏みつけ私は身動きが取れなくなった。と同時に後ろから体格の大きな男性の連れ4人ほどが加わり私を取り囲んだ。その瞬間私は気がついた。恐喝だ。


仲間の一人が拳銃を私にちらつかせてきた場面は今でも忘れはしない。私は命の危険も感じ、その場で持っている有り金すべてを渡した。(200ドル余り日本円で約二万円ほど) 

200ドルで自分の命を守ったと自分に言い聞かせ一度部屋に戻り気持ちを落ち着かせようとしたがその日は外に出るのを諦め我慢して寝ることにした。

時差や衝撃的な体験のせいもあり初日の夜は全く眠れなっかったのは今でも覚えている。これが日本から渡米して来て数時間後に私に起こった現実とは今考えても思えない。

今このように記事を書いているということは命に支障は無かったということは読者の皆様も承知のことだと思う。





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