35年間いつも側にいてくれた人と別れたいと思った理由【7】普通コンプレックスからの卒業
あとどれだけ続くのか、先が見えない介護生活から 、ある日突然解放された 。
そして、ヒロと私と娘、3人だけの生活が訪れた。
義父母の 介護をしていた時は、たまに親子3人で外出しても、
「たまには、お外で食べて帰りたい。」と訴える娘を
「じぃじとばぁばが待ってるから、お家で皆で、食べようね。」
と、なだめて帰っていたのだが、そんな事も、しなくてよくなった。
ヒロは短期間に、立て続けに両親を失った為、私は燃え尽き症候群に陥った為、 二人ともなんとなく、無気力に過ごす日々が続いた 。
それでも1年、2年と、時は流れ、娘は中学生になった。
私たちはようやく、親子3人だけの生活に、慣れてきていた。
そんなある日の出来事
2014年10月2日の夜から、自宅3Fの水道が、使えなくなってしまった。
最初は、水道料金の滞納のせいで、止められてしまったのかと思って、水道局に足を運んだのだが、
「先月分はお支払い済ですし、こちらでは、止めてませんよ。」
と、言われ、三階以上の住居なら、タンクからの汲み上げ式だろうから、そっちの問題ではないかと、指摘された。
家に帰って早速、 ヒロに伝えると 、「この家を建ててから、かれこれ25年くらい、ずっと使っているから、きっと交換しないとダメなんだな。」
ということだった。
それなら、さっさと修理の手はずをして、早く直して欲しかった。
ところがヒロは、修理を見積もってもらうどころか、
「何か他の方法で乗り切ろう。」
と言い出した。
私は仕方なく、2階の部屋の水を、3階に汲み上げて、家事をするようになった。
本来なら、2階で生活をすれば済む話なのだが、恩ある人の荷物を、破格の値段で置かせてあげて(いわゆるトランクルームのように)使われていたので、寝泊まりは出来なかった。
なので、トイレとお風呂は、それぞれ下へ降りて、それ以外、要は、主婦が必要とする、炊事用の水は、いちいちペットボトルなどで、汲み上げないといけなかった。
レバーを上下すれば、水が出る生活に、慣れきってしまっている私たちにとって、今更、水道が使えないということは、とてつもなく大きなストレスだった。
私と娘は、何度もヒロに
「タンクを直してほしい。」
と訴えたのだが、
「直したくなくて、直さないわけじゃない。お金がない。」
の一点張りで、私と娘は、ずっと不自由を感じていた。
ある時、私は、
「自分で都合して、20万円用意するから、修理してほしい。」と頼んだのだが、ヒロは、
「そんなお金があるのなら、いざという時のために、取っておいてほしい。水は今のままで、生活できている。」
というのだった。
さすがに、私は納得いかなくて、
「どうして、この水がない生活に、疲れきっている、私や娘の気持ちがわからないの‼」
と詰め寄ったら、逆に
「なんで、そんなに、水道から水が出ることが大切なのか?俺には意味が分かんない‼」
と言われた。
そんなヒロが、私にはわからなくなった。
そして、そのことが、私にとっては、最終的な引き金となり、別居を申し出た。
本当は、離婚してしまいたかった。
でも、父親のことを大好きな娘が、どうしても嫌だと言うので、
「とりあえず、別居させて下さい。」
と言い切り、2016年4月。
娘の高校進学と同時に、ヒロのもとを離れた。
私は心に決めてから、10年かけて、やっと、父親の元から、親離れした娘のようだった。
最初は、ありのままの自分を受け入れて、守ってくれる、頼もしいパートナーだった。
でもだんだん、恋人というよりは、父と娘のように、逆らえない関係になってしまい、守られると同時に、新たな世界に飛び立つ、そんなチャンスも、奪われていたのだと思う 。
実際、自分に、そんな自信も、行動力も、なかったのだが…。
それでも、15歳の少女だった私は、25年かけて大人の女性に成長し、そして、器の小さな自分を、それ以上のものに見せようと、あるいは親(ヒロ)の期待に応えようと、自分を偽って、頑張りすぎて、とうとう一度壊れてしまった。(鬱になった)
そして、そこから、自分の本音に気づき、再生して、ヒロの元を飛び立つ覚悟を決めた。
さらに10年かけて、やっと行動することができたのだった。
ヒロのことを、嫌いになったわけじゃない。
ましてや、憎んでなどいない。
だが、世の中には『好き』だけでは、どうにもならないことが、たくさんある。
今回の、私の直接的な行動『別居』の理由が、【水道の水が出ないこと】というのは、ヒロには、理解ができないらしい 。
もちろん、そのことだけが理由ではないけれど、水道が使えないことで、どれだけ私に、精神的にかつ身体的に、負担があったのか、その訴えが伝わらない。という時点で、この大きな価値観の差は埋め難く、
『この先、一緒に生活はできない』と、私は感じてしまったのだ。
それでも、1年半、我慢した。
友人には
「まだそんな生活していたの⁉」
「いざという時ってなに!?
それより今、こんな生活を続けている事の方が問題でしょ!!」
「もう、充分頑張ったよ!」
と言われた 。
私も、それが世間の【普通】だと思いたい。
こうして、やっと、私は、ヒロの【普通】から卒業したのだった。
ヒロと別居してから、もうじき1年になる。
娘は、平日は私の元から通学し、休みの日には、父親のもとに、泊まりに行ったりしている。
私と娘が家を出てから、ヒロは、自分では料理もしないからと、三階は、ガスも止めて、電気だけで生活しているらしい。ある意味あっぱれだ。
両親が残していった借金と、自らがパチンコ依存症で、作ってしまった借金があるので、私には、経済的な援助をしてくれないのだが、娘の事は、可愛くて、心配で仕方ないらしく、バイトがある日は、必ず迎えに行って、家まで送り届けてくれているらしい。
35年前、毎日、私を寮まで、送り届けてくれていた事を思い出す。
ヒロの想いは、あの頃と、なんら、変わりないのかもしれない。
ただ、愛情を注ぐ相手が、私から娘に変わっただけだ。
そう、私が変わっただけ…。
寂しくはない。
後悔もしたくない。
これで良かったと、思いたい。
【普通】になりたくて、一人の男性(ヒロ)の【普通】に縛られて、やっと、その【普通】の呪縛から、卒業した。
【普通】じゃない私の、【普通】コンプレックスの話。
最後まで、読んで下さった方。
ありがとうございました。
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