自分の可能性は自分が思っている以上にある①-落ちこぼれが大学教員になる

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□落ちこぼれが大学教員になる:自分の可能性は自分が思っている以上にある

「たった15分間、勉強机に座ることができない」、「漢字が読めない」、「高校時代の偏差値は40程度を行ったり、来たり」・・・そんな自他ともに認める「落ちこぼれ」が、現在、国立大学(鹿児島大学)の准教授をしています。その「落ちこぼれ」とは、私のことです。


 私の経歴を知っている学生や教員は、あまり多くありません。別に、隠していたわけではありません。話すきっかけがなかっただけです。まさか、唐突に、「今まで、いろいろと紆余曲折があったんですよ・・・」と切り出すのもおかしいわけで。このサイトの存在を知り、よいきっかけになると思いました。なので、学術的な論文とは全く異なる、単なる雑文に過ぎませんが、少々書いてみたいと思います(論文ではないので、読みやすいように、「ですます調」で書いています)。


 それにしても、なぜ、こうなったのでしょうか?


 結論を先取りすると、①「私の可能性は私が思う以上にあった」ということ、そして、②大切なことは、才能の有無や能力の程度よりも、自分の「使い方」であるということ。


 私が大きく成長できた、短大時代の話を中心に述べたいと思います。


□大学受験に失敗!

 高3の私は、教室の壁に貼られたある表を呆然と見ていました。その表は、全国大学および短大の偏差値ランキングです。上のほうに位置する大学は私と関係のない世界なので、もっぱら、下の辺りを見ていました。最初に受験した大学は偏差値45くらいだったと思います。見事に落ちました。さらに、目線を下げて、その下の大学を選び受験して、また失敗しました。またさらにその下の大学を受験し、見事に失敗。とうとう受験する大学がなくなってしまいました。


 ところで、私の高校時代の成績は・・・、あまり、思い出したくありませんが、非常にお粗末なものでした。高校は一学年430人ほどいましたが、私の実力テストの成績は426番でした。情けない結果です。数学や国語は偏差値30くらい、英語に関しては偏差値28ほどでした。確か、1問しか合っていなくて・・・、もちろん、まじめに解いての結果でした。そして、私より下の成績の4人は、3教科すべてのテストを受けていませんでした。原因は、早退か遅刻のどちらかでしょう。3教科すべて受験した学生のなかで、私はビリだったのです。定期試験の方も、もちろん、芳しくありませんでした。赤点をとることはなかったのですが、テストの点数はいつも平均以下でした。

 そんな、当時の私も勉強を実はしていました。定期試験1週間前には、計画を立て、頑張っていましたが・・・結果は振るいませんでした。語彙力がまったくなかったので、英単語、毎日5個ずつ覚えようとしたが、たった5個の単語もすべて覚えることができず、3-4日で挫折。参考書を買いに行ったのですが、何が良いのか分からず、適当に2、3冊買ってきて、少し読んで外れたと思って、放り出すだけ。勉強机での勉強に飽き、こたつで勉強すると、必ず途中で寝てしまって、次の日の試験は大惨事。・・・そんなこんなで失敗ばかりでした。

 私が通った当時の高校では、成績上位一割くらいの生徒のみが国立大学に現役合格していました。私は下位の一割にはいっていましたから、「国立大学受験は、挑むだけ無駄。偏差値の低い大学にすべり込めれば、ラッキー」(当時は、不合格者が極端に少ない、Fランクと呼ばれる大学はまだありませんでした)、そう思っていたのですが・・・。


 しかし、現実は厳しく、淡い期待も裏切られてしまい、私は、浪人するしかないと思っていました。しかし、「大学に進学できないのであれば、短大に進学すればいい」という母親に言われるまま、熊本県にある中九州短期大学を受験しました。合格する自信はまったくありませんでしたが、辛くも合格できました。


□短大の恩師の一言:「勘違いからはじまった編入試験への挑戦」

 私は、幸いにも、短大の「商経学科」に入学できました(短大には「学部」はありません)。学科では、主に、経済学や商学について学びました(この学科は、現在「経営福祉学科」に名称を変え、その中に一コースとして継続しています)。

 短大での、私の成績は、高校時代同様、まったく振いませんでした。後に、ある先生から「なんで、こんな酷い成績の学生が、九大に合格できたのかな?」と言われたほどでした。他の優秀な学生が多くいるなかで、私はやはり落ちこぼれだったといえます。

 そんな私に、短大の加藤先生が次のような発言をされました。「日野くん、九大の「編入試験」に挑戦する気はないかい?」       


「編入試験」とは、短大、高専あるいは専門学校を卒業した後、大学の3年時に入学するための試験です。あまり知られていませんが、ほぼすべての大学が実施しており、有名国立大学や有名私立大学等の受験も可能です。一般入試と異なり、受験科目は多くありません。専門と英語(場合によっては面接)で一定の学力に達すれば、合格可能です。

 

 商経学科には、「四年制大学編入コース」があり、編入試験用の専門的な講義が開かれていました。私は、一応、そのコースに所属していました。もちろん、自分から進んで所属したわけではありません。教育熱心だった祖父の言いつけに従っただけです。

 私は、勉強ができなかったですし、勉強が嫌いだったので、加藤先生の発言を聞き流すことにしました。先生の意図がまったく分かりませんでしたし、からかっているのかとも思いました。しかし、その後も、加藤先生は、懲りずに、というか、むしろ楽しげに、私を見かける度に、上記の発言を繰り替えされました。正直、うっとおしいという気持ちがないわけではありませんが、いつしか、「他ならぬ加藤先生がこれだけおっしゃられるのだから、きっと合格できるのだろう」と安易に思い込みました。「おめでたい」の一言に尽きますが、結果的には、この無知が幸いしました。当時の私は、次の2つのことを知りませんでした。

 

 まず、加藤先生の発言には、からくりがありました。私は勝手に「自分だけ」に向けられた発言であると、勘違いしていました。しかし、加藤先生は、コースに所属していた学生達に声を掛けられていました。私は、ただ、その一人に過ぎなかったのです。私が、特別期待されているわけではありませんでした。

 そして、大変恥ずかしいことですが、私は九大がどういう大学であるか知りませんでした。広島出身なので、そもそも、九州の大学のことはあまり知りません。ましてや、偏差値の高い大学は私にとって無縁の存在であり、視野にありませんでした。九大が九州でもっともレベルの高い国立大学であることを知ったのは、随分後のことです。もちろん、その時は、血の気が引きました。

 知らないから始められたのです。

 


□ 勉強方法(①環境を作る、②手分けをする、③自分(の能力)を否定せず能力の「使い方」だけを否定する、④不動の目標をもつ)

 (私が受験した当時)九大の編入試験は、9月にありました。私が受験を決意したのは、11月の終わりで、後述の通り、本格的に勉強を開始できたのが1月からでした。とにかく、時間が足りない、そして何よりも学力が足りない。

 全般的に学力を向上させることは、はっきり言って無理です。複数の大学受験は断念し、九大一本に絞って、勉強を開始しました。試験問題は、経済学を題材にした英語の長文問題でした。「なので、「英語」と「経済学」の勉強だけをすればいい」。当時は、そう思っていました。

 さて、勉強を始めよう。「でも、勉強ができず、何よりも嫌いな自分が、本当にできるのだろうか?普通にやっても、どうせダメ。過去の過ちを繰り返すだけ」。そこで、いろいろと対策を考えてみました。


 私の勉強方法のポイントは、次の4点です。


第1に、「環境を作る」ことです。

 高校時代は定期試験の時こそ、さすがに少しは勉強をしていましたが、高校3年の終わりから、その時点まで、ろくに勉強をしていませんでした。なので、驚いたことに、まず勉強机に長時間座ることができませんでした。もちろん、1.5時間の短大の講義は、椅子に座って聞く事ができます。しかし、勉強をしなければならないと思うと途端に、なぜか、こめかみの辺りが急に痛くなり、気分が悪くなってくるのです。体が拒んでいるように思えました。結局、当初は、勉強机に、15分間座ることができませんでした。そして、気がつけばテレビのリモコンを握ってしまう。これでは、勉強になりません。だから、図書館で勉強をすることにしました。

 最初の一週間は、勉強机に座る練習から始まりました。「今日は、20分間、座ろう」。「今日は、昨日よりも長く座ることに挑戦しよう。そうだな、40分間、座ろう」。勉強机に座る練習なんて、小学校へ上がる前の子供でもやりそうにないですが、仕方ありません。

 やがて、勉強時間が長くなると、図書館の閉館時間以降も、勉強ができるようになってきます。そうなると、家で勉強するしかない。しかし、家には、勉強の邪魔になる数々の誘惑が存在します。残念ながら、私は、それらの誘惑に勝てません。「勝てるかもしれない」とは思いません。どうせ、無理なのだから。

  そこで、勉強がしやすい「環境」作りに着手しました。手始めに、①テレビのリモコンを壊し、②電話回線を抜き(当時は、携帯電話があまり普及していませんでした)、そして、③ちらちらと視界に入るギターや漫画を押し入れの奥深くに閉い込みました。テレビのリモコンを壊したのは、正解でした。おかげで、 テレビの誘惑に、惑わされる事がなくなり、家の勉強机で勉強をするという当たり前の作業が可能になりました。結局、家でまともに勉強ができるようになるまでに、一ヶ月以上の間がかかりました。

 

第2に、「手分け」をすることです。

 「手分け」とは、少し固い表現を用いれば、「分業」と言い換えられます。分業とは、仕事を分け合うことです。仕事を分け合うことで、生産性は高まります。たとえば、折り鶴を折る時、一人ですべての工程を担うよりも、複数人で別々の工程を担った方が、生産効率は高まります。ただし、分業は、通常、複数の個人の存在が前提となります。しかし、勉強は自分1人でしなければならない。そこで閃いたのが、「一人時間差分業法」です。通常の分業と異なり、「過去の自分」と「現在の自分」と「将来の自分」で仕事を分担し合うのです。これは、具体的なノウハウというよりも、より良い考え方の方向性を示すものといえます。それにしても、知識も学もない当時の私が、なぜ、こんなことを思いついたのでしょうか。答えは簡単です。分業は、私が学んだ経済学の基本だからです。短大の授業で習いました。

 さて、私が最も苦戦したのは、英単語の暗記でした。高校時代はもちろん、中学2年くらいから、英単語をまともに覚えたことがありませでした。語彙数が圧倒的に足りていなかったので焦った私は、4月から1日に200個の英単語を覚えることにしました。無謀な挑戦であることは重々理解していましたが、そもそも、九大受験自体が無謀な挑戦なので、無謀な挑戦を否定することは許されません。睡眠時間を削りながら、4月以降、一日も欠く事無く、200個ずつ英単語を覚えていきました。

 今から思えば、よくがんばったと思いますが、しかし、当時の私にすれば、200個でも少な過ぎると考えていました。「圧倒的に、語彙数が足りないのだから、もっと努力すべきだ」。その焦りを抑える役割を果たしのが、「一人時間差分業法」でした。


「「今の自分」がすべての問題に対処する必要はない。「明日の自分」もいれば、「明後日の自分」もいる。「今の自分」が、最大限にできることをしたのなら、それでいいじゃないか。「精一杯がんばったよ」と言って、 「明日の自分」にバトンを渡せばいい。一日の作業はそれだけでいいんだ」。


 そう考えると、気持ちがかなり楽になりました。

 よく、「効果的に勉強をするには、計画を立てる必要がある」と言われます。しかし、私は、結局、詳細な計画を一度も立てませんでした。というのも、詳細な計画は、私にとって有害でした。

 その理由は、第1に、能力が少しずつ持続的に向上しているため、一ヶ月後の自分の勉強のペースを把握できないためです。第2に、計画を予定通り実行できなかったら、ストレスが生じるためです。そのような無駄なストレスを、毎日背負い込むことはご免被りたい。第3に、「1人時間差分業法」で、自分のことを信用できていれば、詳細な計画はそもそも必要ありません。「今日を頑張れば、それでいい」。そう思って、毎日勉強をしました。

 

 第3は、「自分(の能力)を否定せず能力の「使い方」だけを否定する」ことです。

 結局、勉強を続けても、目に見える成果はそう簡単にでませんでした。九大の過去問を加藤先生の指導のもと、定期的に解いていましたが、6月くらいから成績が まったく向上しなくなりました。語彙の充実により、確かに、英文の読解は、以前と比べ物にならないレベルになっていたにも関わらずです。

 焦る気持ちがつのってきます。「一人時間差分業法」で気持ちを落ち着けるのも良いでしょう。しかし、「一人時間差分業法」は、「精一杯がんばった」と言える自分だけに許されることであって、がんばりが足りないと自覚している自分への言い訳に使ってはいけません。

「何かが足りない。あるいは何か間違いをおかしているのではないか」。原因を探るべく、自分の欠点と向き合いました。自分の欠点と向き合う作業は精神的に、極めて辛いものです。自分のダメさ加減を再確認する作業だからです。また、油断すると自己否定という谷に落ちてしまいます。自分を否定してはいけません。これほど生産性のない作業はありません。自分(の能力)を否定してしまっては、「そもそも何をやってもダメ」という気持ちになってしまい、勉強ができなくなってしまいます。創意工夫がいくらでもできる、能力の「使い方」だけを否定する。的確な解答ができない原因「だけ」をとにかく探りました。

 辛い作業でしたが、原因らしきものを2つ探り当てました。第1に、経済学の知識の欠如であり、第2に、文章読解力の欠如です。そして、事実、これが、停滞の原因でした。経済学の知識の欠如は、自明のことでした。それ以降、残された時間をフルに活用し、経済学の本を読み漁ることにした、・・・いや、したかったですが、残念ながらできませんでした。なぜなら、文章読解力が私には、まったくなかったからです。たとえば、新聞を読んでみました。思った通り、まったく文章を理解できません。原因は、①漢字が読めない、②文意の把握ができない、の2点でした。漢字が読めない箇所を赤色のマーカーペンでサインしながら、一時間かけて、新聞の「一面だけ」を やっと読み終えました。新聞は真っ赤でした。

 日本語の文意の理解もおぼつかない人間が、英文を読んで理解できるわけがありません。極めて、当たり前のことでした。残された時間を使って、とにかく、たくさんの文章を読むようにしました。その2週間後から、経済学の本を読み始めました。

 

第4に、「不動の目標をもつ」ことです。

 単純な精神論というわけではありませんが、自分の能力を否定し続けながら、こんな無謀な挑戦を続けられた理由は、目標を終始持ち続けることができたからです。もちろん、それが可能だったのは、私だけの力ではありません。加藤先生の励まし、また、加藤先生といっしょに私を指導して下さった村橋先生の激励があったからです。

 何事に臨むにも、目標は必要です。とくに、私のような人間には不可欠です。ちょっとしたことで、すぐ躓いてしまい、自己否定の谷に落ちそうになるし、実際、高校時代までは頻繁に落ちていました。しかし、勉強中は、落ちそうになると、いつも目標を確認しました。進む道が見えていれば、ずれた軌道も修正できます。「絶対に合格する。だって、合格するために努力しているのだから」。無駄になることのために、人は努力をできない。少なくとも、私には無理です。だから、そんなことは考えませんでした。

「不動の目標をもつ」理由は、もう1つあります。それは、周囲の反応を押し切るためです。残念ながら、加藤先生と村橋先生以外のほとんどの人は、私の挑戦に冷淡でした。もちろん、冷淡だけでなく、あからさまに、「無謀だ、やめろ」と言う方もいました。以下の発言もありました。


「何が、九大受験だ。勉強もまともにしたことのない人間が。世の中をなめるな!」


 それは、至極当然の指摘でした。私の過去の行いの悪さが誘発した発言です。高校時代に、もっとまじめに勉強していれば、周囲もきっと応援してくれていたでしょう。なので、そのような発言をされた方々に、とくに思うところはありませんでした。その一方で、過去をもう一度、やり直したいとも思いませんでした。今、その過去の自分から脱却しようとしているからです。また、その実現のために挑戦しているからです。


 私には、自己の、そして周囲の、変化を押しとどめようとする力を振り切るために、「不動の目標」が不可欠でした。そして、短期的には、見解の相違があるかもしれませんが、いずれ、私の行動を理解してもらえると信じて、勉強を続けました。


□評価

 結局、九大受験は、合格という結果で、あっけなく終わりました。九大一本に絞り、九大だけを受験し、合格したのです。本格的に勉強をしたのは、正味8ヶ月間といったところです。やれば、できるんです。挑戦に、早いも遅いも、ありません。

 合格を確信していたのは、私を含めて、村橋先生の2人だけでした(もちろん、私の場合は、「確信」というよりも「願望」に近いのですが)。実は、加藤先生は落ちると思われていたそうです。一年後が、本番であると考えられていたようでした。


 ということで、誰しもが驚く結果になりました。短大は揺れ、私の親戚一同は驚愕しました。ほどなくして、予想した通りの言葉が、私の耳に届きました。

「日野くんは、もともと優秀だった。良くやったね」、

「日野が出来る人間だってことは、最初から分かっていた」等々。

 人は、他者の評価から逃れられません。ただし、他者の評価を絶対視することもできません。多く場合、「時間的ギャップ」があるためです。私の例でいえば、「合格という結果が出る前の私」の挑戦に対する評価のほとんどは、「挑戦前の私の状態」に基づいています。つまり、過程(プロセス)の評価がありません。過程を評価することは、実際かなり難しいことです。結果から逆算する方が楽です。高校時代までの「落ちこぼれの私」に対する評価が、「合格する直前までの私」の評価でした。それが、上述した、周囲の冷淡でした。しかし、だからこそ、合格という結果が出た途端に、私という人間を低評価していた人達が、一転して、高評価し始めました。うれしいことでありますが、素直にそのすべてを受け入れませんでした。

 結局、より正確な評価は、自分でするしかありません。その際、他者の評価は、その参考になります。

 

□まとめ

 さて、以上の内容をまとめることにします。


 まず、私がなぜ編入試験に合格したかといえば、答えは単純です。「勉強をしたから」です。そもそも、「勉強ができるから、頭が良い」わけではありません。 勉強は頭を良くするためにするものです。もともと、頭が良かったかどうかは、ほとんど重要ではありません。言い古された表現であるが、「才能」よりも「努力」の方がはかるに重要です。

 また、勉強は自分の「能力」を高める作用がありますが、それ以上に、自分の能力の「使い方」を向上させる(あるいはその訓練になる)作用があります。同じ「能力」 でも、「使い方」が向上すれば、結果は変わってきます。切れ味の悪いハサミでも、「使い方」次第で、結果が変わるように。私の環境作りは、まさにその好例です。

 能力のない自分を自明のことと受け入れ(「自分には隠された能力がある」等と嘘をつくことなく)、その能力のない自分をどう使うか、考え実践したのです。ありのままの自分を受け入れることで、見栄や傲慢で視野が狭まることを回避でき、本当のスタートラインに立てられたのだと思います。また、毎日の勉強によって、能力は少しずつ向上しますが、絶えず疑い、使い方の向上を求めることで、成長を続けられました。現状に満足すれば、成長はそこで止まってしまいます。もちろん、そのような努力の実践は、「九大合格」という「不動の目標」を原動力としており、また「一人時間差分業法」による「使い方」の管理があったから可能でした。

 

 ところで、九大合格を「自分の力だけで達成した成果」と言い切れないことは明らかです。そもそも、すべてのきっかけは、私のなかにはありませんでした。すべては、他者から与えられたものです。たとえば、加藤先生の言葉であり、祖父や母親のすすめです。考えてみれば、九大受験を決意した私よりも、(複数人の一人に過ぎなかったとはいえ)私に受験をすすめた加藤先生の方が、よほどすごいと思います。後に知ったことですが、私が受験する一年前、九大の先生が短大を訪問し、編入試験のPRをされたそうです。また、同じ時期、加藤先生と村橋先生のなかで、「国立大学合格生(私以前には、国立大学を受験した学生は一人もいませんでした)を出す」という目標が共有されたのでした。そう、私は、「運」が良かったのです。私は、他者からチャンスを与えられたのです。私がしたことは、実は「そのチャンスを必死になってつかまえただけ」なのかもしれません。ただし、次のように言い換えることもできるでしょう。

他者によって(あるいは他者のきっかけによって)、自分自身の可能性が開花した」と。上記で述べたように、自分自身に対するより正確な評価が欲しいなら、それは自分でするしかありません。しかし、どれだけ正確に評価したつもりでも、自分自身の可能性を開化できるきっかけが、自分自身の中だけで完結していない以上、その評価は絶えず不完全なものにならざるをえません。

 なんだか、小難しい表現になってしまいましたが、言いたい事は、「自分の可能性は、自分が思っている以上にある」ということです。いろんな人に会ってみる、いろんな環境に身を置いてみる。さまざまな交流・経験を経ることで、思いもよらない変化が、自分自身に起きても、実は、まったくおかしいことではありません。とくに成長期なら、なおさらです。

 私が身を置いた、短大あるいは大学は、年齢も国籍も違う、多種多様なバックグランドをもつ人達と交流できる場でした。成長できる最高の舞台だったといえます(私は、学生達に、「在学中は、一所懸命に学ぶことと同時に、積極的に交流し出会いや縁を大切にして欲しい」と、いつも言っています)。


 さて、その後の私は、大学院に進学し、結局、研究者になりました。というわけで、無謀な挑戦は続いたのです。山あり谷ありの日々でした。そして、明らかに谷の方が多い日々でした。しかし、苦しい時は、目標を確認し、自分(の能力)は否定せず「能力の使い方」を否定し修正を試み、複数の自分達と力を合わせて乗り越えていきました。もちろん、多くの人達の支えがなければ、努力を続けることはできなかったでしょう。


 以上です。

 最後に、最後まで読んで下さった方に、御礼申し上げます。


【一部内容を修正しましたので、それに合わせてタイトル(旧タイトルは、「元落ちぼれが国立大学の准教授をしている話」) も変更しました(2016.3.6)】




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人はいつの間にか自分の限界を自分で決めているのかもしれません。成績のいい人を”勉強ができる”とはよく言ったものだとこの話を読んで思いました。結局勉強することができる人が成績を上げることができるということなのかな。私も目標を設定したくなりました。

感想ありがとうございます。非常に嬉しく思います。

今現在、編入学試験に向け勉強をしているものです。
勉強には全く自信がなく、映画にはなおさら自信がないです。この記事を読んで自分にも少しは可能性があるのではないかという気持ちになりました。
質問なのですが英語では単語を暗記することを中心にやったと書いてありますが、文法などは勉強しましたか?もしよろしければお聞かせいただきたいです。

日野 道啓

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