『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第16章「自分の核をみつけること」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第15章「展示会と、ルポの仕事と、震災と」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第17章「イラストレーターに向いていない、かもしれない」

その1「大震災の影響と、家族の大問題と」

2011年5月。東日本大震災の影響と不安感は、
まだ世間に色濃く残っていました。そして外の世界
だけではなく、実は家族や自分自身においても、
この時期は不安な事がたび重なりました。

まず昨年春に重い脳梗塞で倒れてから、
この1年間自宅でリハビリを続けていた父が、
今度は緑内障の手術を受けました。
しかし残念ながら手術は上手く行かず、この後
父は少しずつ視力を失い、ついには失明してしまいます。
目の見えない病人がいる事は、家族にとって非常に厳しい
介護が始まる事を意味しました。

また妹にも大きな病気が見つかり、緊急に手術をする事に。
こちらは命に係わる大病でした。なんとか無事に成功して
安堵したのも束の間、今度は私の左目に、いきなり
大きな影が現れました。あわてて眼科に行くと
「これは飛蚊症で、治らないです」との診断が下されました。
飛蚊症にも様々なパターンがあるようですが、私の場合は
運悪く、目の中央にずっと滞在する、かなり大きな黒い影でした。
それ以降、なかなか目の焦点を合わす事が難しく
視力にも影響してきました。

そしてこれら全てが、どういう巡りあわせか
同時期に一度に起こりました。
その間も、地面は余震でグラグラ揺れています。
身体的にも精神的にも、不安な事この上ない。
そして、これだけでも十分な激震なのに、追い打ちを
かけるように、生活の為に仕事をしていたアート系の施設でも
上司が代わり、なにかと厳しい嫌がらせを受ける様になったり、
その上司に媚びる同僚との人間関係にも悩まされ、更には
恋愛もうまく行かなくなり…と、今までの順調さが嘘のように覆り、
周囲から人の気配も、運気もザーッとひいて行きました。

後で知ったのですが、私はこの年から大殺界が
始まっていた様です。占いを鵜呑みにするわけでは
ないけれど、どうも「普通の大殺界」ではなかったらしく、
大殺界に天中殺に、その上運気のバイオリズムも
落ちている時期だった…と、とにかくありとあらゆる
項目が全て悪い。実に4パターンぐらいの運気の悪さが、
一度に押し寄せて来ていた「もう例えようがないぐらい酷い」
時期でした。

今となっては「命を取られなくて良かったなぁ」と思える程に
辛い日々が、この先3年間続きました。それはまるで
茨道の上を、猛吹雪に遭いながらやみくもに歩いているような、
精神的にも、肉体的にも、更には金銭的にも、
厳しい厳しい時期でした。


その2「カフェで個展を行う…が」

世間も、私個人も、ネガティブになりつつあったこの時期
イラストレーターになって初めて個展を開かせて
もらったギャラリーから「展示をしませんか」との
お誘いがありました。但し、ギャラリーは数年前に
改装してしまい、今はカフェになっているとの事。
なので店内の壁を利用した、カフェギャラリー展です。

けれど大きな個展もグループ展も、昨年したばかりです。
出すものは全て出し尽くし、ストックがない状態だった
のですが、折角のお誘いです。色々鬱屈していた
時期だった事もあり、少しでも何か活動をした方が
気も紛れるだろうと、急きょ開催を決めました。
こうして行われた「新緑ピクニック展」は、小粒で
穏やかな感じの展示会になりました。

けれどこの展示会、どうも声をかけて下さった
ギャラリー側のご意向は、昨年行った大きな個展の様な
集客力を期待されていたのかもしれません。なので
打ち合わせ当初は「今後、毎年企画展を開催しませんか」と
言って下さったので「とても気前がいいお話だな」と思ったのですが、
実際にはこの展示の開催後は、連絡が途絶えてしまいました。

通常のギャラリーと違ってカフェで行う展示会は、
ほとんどの場合そこで何かをオーダーして、作品を
見ると言う形式をとっています。お店の集客を狙って、
空いている壁を利用させて頂くので、借りる料金も安いのです。
その上、自分で企てた展示ではなく、今回の様にギャラリーから
声をかけて頂いた企画展の場合、借り賃もタダです。
なので集客が見込めれば、売り上げも伸びてギャラリー側と
しては誘った甲斐もあるのですが、そうではないと…。

実は、私は来てくれた人にお金を使わせてしまうカフェ展は、
元からあまり宣伝しないようにしていました。先方の意図に
最初から気づいていたら、そうお伝えることも出来たのですが…。
お役に立てず、ちょっと心苦しい思い出になってしまいました。
展示会も、色々なのです。


その3「連載が終了する。そして仕事が止まる」

この年の8月。
1年間続いた旅するイラストルポの仕事が終了しました。
色々と難局を乗り越えたので、終わった時は
「事故もなく、無事に終了して良かった」と安堵しました。
しかし、その後は(他社含め)どんなに営業をしても、
どんなに良い企画が立ち上がっても、なぜか一向に
仕事には繋がりませんでした。
もがいても、もがいても、全く仕事が取れず、気がついたら
次の仕事を得るまで、2年4か月間と言う最長のブランクを
味わう事態に陥りました。

そんなに長期にわたって表だった活動が出来ずにいると、
いよいよもう、イラストレーターとは名乗れないのではないか?
それだけではなく、世間にも忘れられてしまうのではないか?
もしかしたら、このままもう二度と仕事が取れず、強制的に
イラスト業を廃業する事になってしまうのではないか?
そんな焦燥感溢れる日々を送る事になりました。

ただ震災後は、私自身も人に会うのがすごく億劫に
なりました。介護や体調のせいもあったかもしれませんが
外に出て誰かに会うのが、しんどいのです。
それに「何かをしよう」と言う気力も、全く湧きません。
なので次第に都心に出て、ギャラリー巡りをする回数も減り
日に日に内向的になっていきました。


その4「ヨガを始める」

イラスト活動が思うように行かなくなると、生活の糧は自ずと
副業の仕事に頼る様になりました。けれどこのアート施設の業務も
この頃から職場内での人間関係が、全体的に不穏な雲行きに
なっていました。
本筋のイラスト活動とは関係がないので、詳細は省きますが
毎日毎日仕事に行くたびに、どす黒い感情が溜っていきました。
これはまずい。その内に私は、ストレスで禿げてしまうかもしれない。

そんな折、自身の心だけでなく、体も硬くなっている事に
気づきました。実はこの時は、マシン系のスポーツジムに
通っていたのですが、それがどうも合わなかったようです。
そこで「体をほぐすスポーツに切り替えよう」と思い、
近所のヨガスクールに通う事にしました。
結論から言うと、これがすごく良かったのです。
私の暗黒の3年間は、描く事と、ヨガに救われたと言っても
過言ではありませんでした。

ヨガは単に体がほぐれるだけではなく、呼吸法のせいで
精神的にも安定出来ました。日々のどす黒い感情を、
ヨガに来ては吐き出す。溜めては吐き出す。吐き出す…。
その繰り返しでしたが、どんどん溜め込むよりは
遥かにましでした。

そしてヨガは、心の中を「無」の状態にするため、色々と潜在的な
イラストのアイデアも、レッスン中に浮かんできやすくなりました。
辛い日常に直面すると、人は自然と自分を助ける術を
見つけ出すのかもしれません。人間は、容易には負けないように
出来ているのかもしれません。


その5「自分の核を見つける」

調子が良い時期はとんとん拍子で事が運び、
人脈も広がります。例えば名刺を何十枚作っても、
すぐになくなってしまうぐらい、何処を歩いていても、
すごい勢いで人と出会うし、仕事も舞い込みます。

でもこの年、配った名刺は10枚にも満たなかったのです。
名刺を持って歩いても、なぜか街中や行く先で
全く人に出会わないのです。
長く活動していると、そういう時もあるんだなと思います。

なのでこの時期は、静かに自分と向き合っていました。
以前、作品を見てもらった方に「自分の核を掴みなさい」と
アドバイスを受けた事がありました。忙しい時は、あまり
気にも留めていなかったけれど、動きがなくなった
この停滞期に改めてじっくりと、その意味を考えてみました。

そうする内に『私は絵を用いて、記録を残したい』という
以前もふと断片が浮かび上がって、そのままにしていた
考えに行きつきました。そう言えば、今まで描いてきた
ルポやマップなども、そういう記録を残すような類の
モノですし、絵具で描いた人々の日常風景も、
そこが根底にあると、改めて気付きました。

もっと振り返ってみると、ノーマン・ロックウェルに
惹かれたのも、あの作品が人々の日常をテーマにして
描かれたものだったからです。
「そうか、私が大学に進む時、美大ではなく史学科を
選んだのも、人々の歴史や営みに興味があった
からなんだ」と言うように、どんどん今まで歩いてきた
道の中に、おのずと「自分の核」になる答えが
見つかっていきました。

今までもなんとなく「自分の核は、これじゃないか」と思う時は
ありましたが、震災を経た事で改めて「何気ない日常生活が、
一番尊くて大切な事」と再認識しました。
その情景を、描いて残していきたい…と。世の中も人も、
出会いは一時(いっとき)で、移ろいやすいものだから、と。

そして自分が描きたいテーマ(核)が掴めたことで、
この先の制作も、より絞り込んで描く事が出来るように
なりました。でも本音を言えば、もっと早くに核を
掴めていたら良かった。そうしたら色々回り道せずに、
もっと効率が良いイラスト人生を送れたのに。

でも時間や手間をかけて「ああでもない、これも違う」と、
自分でひとつひとつ辿って、確認して、納得しながら
歩いてこないと行きつけない場所があるし、身につかない
考えもある気がします。

それに気付くことが出来た、活動16年目でした。

続きのストーリーはこちら!

『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第17章「イラストレーターに向いていない、かもしれない」

著者のかぶらぎ みなこさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。