メロスを超えた日

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ーメロスは黒い風のように走った。犬をけとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでいく太陽の十倍も速く走ったー

 私の大好きな「走れメロス」の一節だ。この部分を読むと、私の十二年間のこれまでの人生が走馬灯のように重なって過ぎてゆく。


「じっとしていなさい。落ち着きなさい。」

 これが私が母に十二年間言われ続けた母の口癖だ。小さい頃から、一時もじっとなんかしていられない。生まれてから今まで、私みたいに落ち着きのない人に出会ったこともない。

 赤ちゃんの時からよく動き、はいはいのスピードはもうれつに速く、毎日のように諸突猛進してくる私は、小さい闘牛みたいで怖かった、と今でも母は言う。また、はいはいをすると、そのスピードに体がついていかなかったのか、よく膝の皮がむけ、新しい膝当ても三日でボロボロになった。そんな高速ハイハイで赤ちゃんの時にすでにアップや筋トレを終えた私が一歳になった。むろん、一歳に成長したからといって、私の動きが落ち着いたわけではない。歩き始めた私は、もっとたちが悪かった。一瞬にして親の視界から消えるはなれ技を編み出したのだ。私が一歳のころの母親の主な仕事は、私の捜索だった。また、単に消えるだけではなく、茂みやぬかるみ、水たまりなどの障害物にわざわざ吸い込まれていく傾向もあったので、毎日私も母も無傷ではいられない。そんな毎日、毎時、毎分、毎秒、動き続ける私を見た周りの人達は、苦笑しながら、

「この子は、サーカス団に入れるか、スポーツを極めるかの道しかない。」

と口々に言ってくれたという。母もその通りだ、と本気で思ったという。

 かといって、まりつきや羽根つきなど物を使うスポーツはてんで苦手だった私を見て、母は私が小学生になるのを待って、取り合えずかけっこ教室に入会させた。これが私の陸上との出会いだ。


 そこは、飛んだりはねたり、走ったり、まさに私にとって天国のような居場所だった。しばらくは、順風満帆に楽しみながら速く走れるようになっていった。学校の運動会やかけっこ大会などの成績もうなぎ上りで、私も母も幸せだった。しかし、世の中そんなに甘くはない。自信をもって臨んだ二年生の陸上大会でのかけっこ競争で、決勝にも行けないほど散々な結果になった。そう、一年生の時より二年生の陸上人口が多くなったので、より競争率が上がったのだ。今まで自分が一番とたかをくくってきた私の出鼻が思いっきりくじかれ、上には上がいると痛いほど思い知った瞬間だった。


 しかし、この痛くくやしい日が、私のそれからの小学生生活を一変する忘れられない思い出の日になったのだ。大会を一部始終見て、応援し続けてくれた母が帰り道に、

「今回の結果は、あなたの陸上への思いや練習に対する気持ちと頑張りを示してくれたと思う。くやしい、それでおしまいなら、陸上はやめていいと思う。そんな甘い気持ちで続ける世界ではないと思ったから。それでも続けたいなら、今日から毎日家の周りを走って、他の人よりも努力をしなさい。それは、自分との戦いよ。」

と言った。母の厳しくて温かい気持ちのこもった言葉だった。私は、自分の体に刻み込まれた多くの傷を見た。小さい頃から走り、転んでついた無数の傷がいまだに消えずに私の体にくっきり刻み込まれている。この傷は私の勲章であり、今まで私が一生懸命生きてきた証だ。


 私の心は決まった。よし、頑張ろう。もっと走ろう。それからが私の本当の陸上生活の始まりだった。それまでは、まだ陸上トラックにも立っていない状態だったのだ。毎朝、体操、坂道ダッシュ、マラソンのメニューをこなしていった。大雨や台風の日以外は、雨の日も寒い冬の日も私は走り続けた。そんな毎日が、最初は楽しくて楽しくて仕方なかった。なぜって、私は走るのが大好きだから。実に、そのころの作文には将来の夢は陸上でオリンピックに行くことだと堂々と書いていたくらいだ。努力すれば、努力するだけ結果がついてくると純粋に信じていた時だ。そんな私の姿を母も優しく見守ってくれていた。


 しかし、いつしかその純粋な私の心にも、誘惑の悪の声が宿る日が来た。その頃の私の最大の敵は、いくら寝ても寝足りない睡眠欲と、いくら走っても思ったようにタイムが伸びない自分の実力への不信感だった。毎朝走る時間にもう少し寝ていられたら、どんなにいいだろう。なんで、私だけ走ってるの。私がこんなにきつい思いをして、何か変わるの。それなら、その一分一秒寝ていた方がましだ。でも、母親には頑張ることを約束し、陸上を続けることにしている。毎日頑張っている素振りは見せないと。こんな葛藤の中、私が思いついた方法は、毎朝、母に走っていないことがばれなければいいから、その時間、マンションの下のソファーで寝ていればいい、という非常に安易なものだった。この誘惑の悪の声は、非常に甘く魅力的で、私は一瞬にして打ちのめされた。こんな負け犬の朝の生活がしばらく続いたある日。

 その朝もまた私は、ソファーで気持ちよく二度寝を満喫していた。ところが、その気持ち良い眠りが誰かの怒鳴り声とともに瞬時にかき消されたのだ。大きくて怖い聞き覚えのある声。恐る恐る目を開けると、その先には、顔から火を出している鬼の形相の母の顔。取り付く島もなく、私はあわてて起き上がった。どうやら、あまりの気持ちよさに、二度寝を長く満喫しすぎたようだ。私は、おどおどと話し出す言葉さえ見つけられずにいた。

 いつかこういう日が来るとはわかっていたが、甘い睡眠の誘惑には勝てなかった弱い自分がそこにいた。言うまでもなく、母にはこっぴどく叱られた。そして、陸上を続けるためにがんばることを誓ったその言葉を思い起こさせられた。母の言葉が心に悲しく響いた。

「あなたの戦わなくてはいけない相手は、ママじゃないでしょ。ママに取り繕ってどうするの。本当の敵はあなた自身よ。自分が認められる自分になることでしょ。」

その通りだ。今思うと、その人生最大の危機、凍り付くような恐怖の瞬間がなければ、私はいまだに自分に嘘をつき、陸上に対する心も走力もどんどん落ちていったことだろう。そう考えると、あの一瞬は、神様からいただいた贈り物だったのかもしれないと、やっと今になって思える。それから私は変わった。母もそれから今まで以上に早く起き、朝食の用意をした後、ストップウォッチをもって私の朝練に付き合ってくれるようになった。まさに、母と私の二人三脚の新たな陸上生活の幕開けだ。


 その頃、私は自分の短距離の実力に限界を感じていた。母も同じことを思っていたらしく、短距離をあきらめ、中距離とハードルを勧めてきた。私たちは、そちらに方向転換し、そのための朝練メニューを組み、練習を始めた。しかし、いくら練習しても中長距離には慣れない。苦しくて苦しくて仕方がない。しかし、この期に及んでそんな弱音は吐けない。ただただ走るだけだ。


 その夏、私は自由研究でマグロのことを調べた。マグロは非常に速く、持久力が半端ない。その時私は、マグロになりたいと思った。そうしたら、私の足の速さと持久力は、たちまち日本どころか世界にも打ち勝てるものになる。マグロはいいなあ、と思いたいところだったが、マグロは止まると死ぬ、という宿命がある。また、泳ぎ続けることはマグロの生き行くための使命であり、賜物などだ。たから、私がうらやましがるのはおかしな話だ。同じように、私より足の速い子たちをうらやましがるのも違う。その子たちも、その速さに見合った練習と努力をしているからだ。外を向いていても仕方ない。真の敵は自分自身にあり。走るよりほかはない。メロスのように、動けなくなるまで走ってみようじゃないか。私の心は固まった。


 六年生の夏。その日、私は陸上人生最大の舞台に立っていた。周りの大歓声が風のように聞こえる。陸上の全国大会東京都予選、六年ハードル競技。私は、この日のために、毎日陸上競技場に通いつめ、二~三時間ハードルの練習に明け暮れた。そして、隣にはいつも母がお弁当を持って見守ってくれている。学校のことも二の次、もちろん、テレビや音楽などに費やす時間はもうとうない。学校でも友達との話題に全くついていけなかったが、そんなの全く気にならなかった。ただただ、こんなにがんばっている自分は間違いなく勝つと信じていたから。

そんな私が初めて心から辛いと思った時が来た。この東京都予選の舞台。信じていたものが見事に粉々に砕け散った日だ。結果は一位どころか、四位という散々な結果。ゴールで私は、呆然と立ち尽くし、私の周りの音は全て本当の風になっていた。我知れず、目から涙があふれ出ていた。

 そんな私のところにいち早く駆けつけてくれたのは、やはり母だった。私は母にすがりついて泣こうと近づいた瞬間、母はあろうことか隣にいる一位の子に駆け寄り、

「すごいね。おめでとう。がんばったね。」

と、満面の笑顔で祝辞を送っていた。二重のショックだった。しばらくして、複雑な顔をしている私に気づいた母は、

「あなたもがんばったね。でも、一位になった子はあなたよりもっともっと頑張ったんだよ。すごいよね。」

と、私の涙にお構いなく言った。

 母は、私の甘えを見透かしていたのだ。そう、私は頑張った。でも、母と一緒に頑張ったのだ。二人で一人分、私一人だと、二分の一人分しかやってこなかったことになる。そう、やろうと思ったら、朝も一人で起き、陸上競技場だってもっと早くから一人で通えていたはずだ。そう考えると、当然の結果だった。自分に完敗だ。そんな私に母は、

「あなたの結果は、それでよかったのよ。これで、あなたが一位にでもなっていたら、もうそれ以上がんばらなくなっちゃうでしょう。このままでいいんだって思っちゃうでしょう。それでいい訳ないのにね。もう一回聞くけど、陸上は続けるの。」

 ずしんと重い直球の言葉に打ちのめされたが、陸上に対する思いに迷いはない。即答で、うんと言った。そんな私に母は懲りない子だな、というように苦笑しながらうなずいていた。あきらめないしつこさと立ち直りの速さ、これが私の唯一で最大の武器だ。何があってもめげない。そう、メロスみたいに。メロスもそうだった。

 メロスも何度も立ち止まりそうになった。妹の婚礼で未練の情にほだされた時、急いで渡ろうとした橋が破壊されているのを見た時、山賊を倒してさっさと峠を下って本当に疲れ切ってしまった時。そんな時、メロスもこう言った。

「私は負けたのだ。」

 しかし、物語はこれで終わらなかった。メロスがあきらめなかったからだ。そして、また走り出した。そう、私も。また、走り出す。人生のゴールは自分自身が決めるまで続いている。また、新しいスタートラインを自分で引けば、また新たな目標に向かってスタートができる。それが人生の素晴らしさだと思う。


 私は、今までの人生で、常に新たなスタートラインを引き続けきた。そのあきらめない人生を様々な飴と鞭が支えてきた。もちろん、鞭の方が断然多かった。全く結果に結びつかない空回りの中途半端なつらい日々。でも、その中の少しの小さな飴がたまらないほど甘くおいしくて、やめられなかった。


 例えば、ハードル練習のため陸上競技場に行ったとき、一レーン丸々潰してしまう私の練習のために、周りの知らないお兄さんお姉さんが快く譲ってくれたり、時にはハードル運びを手伝ってくれたりする。こんな時、陸上をやっていて本当に良かった、と心から思う。小さな事かもしれないが、この感動は陸上をやっていなければ味わえないものである。


 そして、私の陸上人生の中で一番大きな飴は、なんといっても先日の校内駅伝大会だ。四年から出場してきた駅伝大会の最終章。泣いても笑っても小学校最後の駅伝大会だ。うちの学校は各学年四クラスあり、四年から六年までの各クラスの代表、男子三名と女子三名の混合チームで、第一区から第六区を走り、順位を争う。十二チーム、七十二名の選手が出場する。


 当日、私はまるで心臓が耳の隣で動いているのではないかと思うほどどきどきしていた。数々の大きな陸上大会の舞台に立ってきた私だが、その中でも群を抜いた緊張だ。なぜかというと、私は各クラス一番のエースが集結する第一区を任されたからだ。しかも、第一区は他の区間より距離が長い。もちろんのことだが、他のクラスの一区のエースたちは皆男子だ。まさに紅一点の戦々恐々とした戦いになるのは目に見えている。それまで、私はこの一区という一番緊張し、一番苦しい難所を何とか他のだれかになすりつけようとしていた。そんな私のずるさを見すかしてか、駅伝の担当区間を決めている時期、家で待ち構えていた母は、

「だれが一区になったの。」

と聞いてきた。答えられずもじもじしている私を見て、母は追いかぶせてきた。

「ママは、あなたが一区に行った方がいいと思うわよ。一区が今まであなたのやってきた努力の証を見せつけられる舞台になると思うから。もちろん、クラスのためにも。」

確かに。とはいえ、私はそれから本当に悩んだ。一区は本当に怖い。あからさまに結果が周知されてしまうからだ。母が言った、努力の証を見せつけられる舞台になるかもしれないが、同時に努力が粉々に打ち砕かれるのを皆に見られる舞台になるかもしれないのだ。でも、私は前者にかけた。山あり谷ありの中(ほとんど谷だったが)、必死にもがきながら六年間続けてきた私の陸上だ。このもがきを知らない人たちなんかに負けるわけにはいかない。私の負けず嫌い根性と陸上魂に火が付いた。そして、とうとう自分から、

「私が一区行くよ。」

言ってしまった。思わず言ってしまった。私が一区に行くことになってからは、その後の走順はとんとんとスムーズに決まっていった。その様子を横目に、後悔ばかりがふくらんでいった。


ー覆水盆に返らずー

私は、自分で引き受けたことなのに、なんであんなことを言ってしまったのだろうと、大会当日までずっとずっと緊張に押しつぶされ続けた。夜寝る時も、すぐ眠りになんかつけない。ずっと、

「どうしよう、どうしよう。」

と、何百回も何千回もつぶやき続け、その度に何百回も何千回も母に、

「自分を信じて早く寝なさい。」

とさとされた。長くて短い大会までの日があっという間に過ぎてしまい、気づいたら大会当日まで時間は進んでいた。


「一区の人、並んでください。」

「バンッ。」

あっけなく、スタートの合図が鳴った。私は何も考えずにとにかく必死に走って走って走った。メロスの最後の走りを思い出しながら。

ー最後の死力を尽くして、メロスは走った。メロスの頭はからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力に引きずられて走ったー

まさに、私はその時メロスと一緒に走っていた。私を信じて送り出し、今もなおゴール地点で声をからしながら応援をし続けてくれているであろうセリヌンティウスのような素敵なクラスメート、そして私の背中を押し続けてくれた母と自分自身の信頼に報いなければならぬ。ただ、その事だった。走れ、私。呼吸もままならず、口の中に血の味がしみ渡った時、私は心の中でひたすら呪文のようにそう唱えた。


 そして、気づくと、大絶叫のような大歓声と共に、ゴール近くに戻っていた。そこで、やっとたすきを無事につなぐことができることにただただ一安心した。しばらくして初めて前を見ると、誰もいない。後ろを見ると、たすきを持って、一生懸命追いかけてくる違うクラスの男子エースたち。

「ああ、やったんだ、私。」

私はやったのだ。ずっと夢見てきた第一区での区間賞。そして、何より自分自身に初めて勝ったことへの喜び。色んな感情が、自分も気づかぬうちに涙としてあふれ出してきた。ようやく前を見ると、そこには母のくしゃくしゃな笑顔があった。言葉ではない涙と笑顔の変な会話だったが、一瞬で私と母は語り合えた。私はその時、本当の幸せを知った。まさに、メロスを超えた幸せの瞬間だ。メロスは三日間必死に走ったのかもしれない。しかし、私のように六年かけて走り続けたわけではない。私の受け取った幸せは、まさにこの六年分の幸せだと胸を張った。


 振り返ると、私は生まれたころからずっと動き、走り続けてきた。いくら転んでも起き上がり、ひたすら走り続けてきた。私にとって、生きるということは、走るということ、そして何度も転ぶことでもあるが、それでも何度も何度も起き上がるということだ。そのうちに、今度は前より上手に転べるようになり、前より早く起き上がれるようになる。いくら痛くても、涙を飲み込み、自分で傷の手当の仕方も覚える。こうして人は強くなれるものだと私は思う。それが成長なのだ。

 いくら痛くても、つらくても、転ばないように手を抜いて走りたくはない。一生懸命走って転んで、起き上がって走り続けていたい。なぜって、走ることが私の人生そのものだから。

 私は、新たな目標を胸に、今また人生のスタートラインに立っている。私の勲章として消えずに刻み込まれている無数の傷が私に語りかけてくる。もう私は、全てのエネルギーを満タンにした。やる気、くやしさを乗り越えた強さ、そして自分を信じる自信、これら全ての燃料補充完了。

ー走れメロス。もっと走れ私ー



 













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