生んでくれて、ありがとう。生きててくれて、ありがとう。

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高1の冬、あなたに出会えた事で命が救われた。

それまでの私は「自分なんて生まれて来なければ良かった」と思っていた。

とうとう、決定的な事があったから、私は生きていたくなくなった。

大量に風邪薬を服用して、お風呂の中でウトウトして死にかけたりした。

何度も死のうとしても死ねなくて次第に自分を痛めつける事をしていた。

夜まで遊び歩く、育ての親の祖父に反抗して心配かける等、悪そうな友達が周りに居るような、警察に補導される、そんな、どうしようもないことをしていて、ほとほと自分が嫌いになり絶望していた。

辛い事を消そうとして自分を余計に傷つける事で逃れたかったのか、堕ちるところまで堕ちて何になるんだろう?

その頃の自分に会えたなら正しい道へ連れ戻してあげたい。

そんな日々に、あの日から変化が訪れた。

あなたに高1の冬に出会えてモノクロの世界だったのがカラーに変わった瞬間だった。

初めて会った人だから、もう2度と会わないだろう…って思っていたからか、今まで誰にも話せなかった事を話した。

私の両親が物心ついた時には離婚していて、父親が違う事、小1の時に母親が30歳で、相手が19歳で再婚した事、それから母親へのDVが酷かった事、ある時、母親が父親と車の中で口論して走行中の車から飛び降りてムチウチ症になり、全身擦りむいて、まるで、いつか見た、火垂るの墓を思い浮かべるような包帯ぐるぐる巻きになったのを境に母親が帰って来なくなり、私と8歳下の弟、当時2歳と10歳下の赤ちゃんの妹を置いて、しばらく帰らなかった事、それから小5で私が小さいお母さんになった事、私が再婚相手に懐かず反発する程、母親への暴力がキツくなり、ついには私が嫌われた事、再婚する時に私が懐かず反発した事で母親が、ずっと私の事を生んだ事を後悔していた事…それは日記帳を見てしまったから知った事…再婚相手が家を出て行く前に祖父の家の壁を殴って穴を開けて出て行った事…その後、私は不登校気味になり毎日、小さい妹や弟の世話をして生きてきた事、2人が飲みに出かけて朝帰りの時に2歳の弟が鍵が開いてた為に誘拐犯に連れ去られホテルに連れていかれ日本刀持ったおじさんが、ホテルの従業員の人の通告により捕まった事、私が風邪をこじらせて肺炎が進行して辛くて、その時、のり塩のポテトチップスとコーラを飲んでた事、ついには食べるものがなくなって生人参をかじったり生米を食べてた事、お母さんが祖母のスナックの手伝いしていた時にストーカーに狙われていてストーカーに遭遇してしまった事、ずっと行事に参加して貰えなかった事、不登校になった私を母親は無関心で代わりに何も知らない祖母がタクシーで来て体が痣になる程に打たれた事、そんな祖母に私はパチンコ台を取らされたり、その隣の喫茶店で2000円渡されて1人でお昼ご飯を食べてた事、その当時はアーケードゲームが置いてあり何十円か入れるとインベーダーなどが出来た。私は、いつも決まったメニュー、ハンバーグとパフェを頼んでいた。

たまに知り合いの寿司屋で待たされてた事もあり1人で4歳頃から寿司屋のカウンターに座り後払いで食べていた事、その時は、ひたすらカッパ巻き、たまごしか言えなかった。

夜は祖母のスナックで、演歌を子守唄に祖母のGUCCIの200万の毛皮の上で寝ていた。

だから私が知ってる歌って童謡じゃなくて、お久しぶりね〜とか、男と女のラブゲームだとか…

深く傷つき、更に自らを傷つける事でしか生きられなくなってた。

自分なんて、どうでもいいような気がしてた。

何も感じない心と体になれば良いと思った。

自分なんて、どうなっても良いんだって思った。

そんな中で何で初めて会ったばかりなのに、この人は泣いてるんだろう?

そして私に何も触れようとしなかった。

ただ、話を聞いて泣いてた、そして、私の事を「辛かったね、俺が一生守ってあげる」

「死ななくて会えて良かった、会う為に生まれて来てくれて、ありがとう」

なんて言うんだから、私は正直初めての事で

何を言えば良いのか分からず、ただ熱い涙が流れた。初めて泣いた夜だった。

小1の終わり頃から、ずっと泣く事も笑う事も出来ずピエロのように生きていた。

母親を暴力から守る為に、嫌な事も我慢していた。

だから傷つくことに慣れたつもりだったのに、何で、この人は優しいんだろう。

よく分からなくなった…

初めて後悔して、叫んだ夜。

自分が薄汚くみえて辛かった。

会えた事を喜んでるのか悲しいのか分からなくなった。

声にならない声だった。

抱きしめられて温かくて、どうして良いか分からず、ずっと、何で?何で?って彼の事を両手をグーにして叩き続けたんだ。

あの日から、私が矯正された。

善悪の判断をする事や行儀とか挨拶だとか今まで知らなかった世界の事を教えてくれた。

皆んなには普通って言われる事が私には理解できなかったし、それを教えていくのって大変だったよね。

彼のすごい所は私の性質を分かっていて、素直で良い子だって信じてくれてる上で良い所は伸ばして、叱るべき所は愛情持って本気で叱ってくれた事だ。

今まで褒められもせず叱られもせず、感情ぶつけて向かって来てくれた人は居なかったから私には、ちょっと辛い事も沢山あったし、反発して暴言を吐いた事もあった。

とにかく目が離せない小さい子のような私を彼は一生懸命に見守り続けてくれていた。

私の荷物を半分背負うって言ってくれた。

17歳で人生決めちゃって、彼は私と違って普通の家庭で大切に育てられて、運動も勉強もできて人気者、明るいところへ居る人なのに、本当に良かったの?

影を背負って歩くって辛いよね。

4年半、彼は千葉、私は神奈川で中距離恋愛をして20歳の時にデキ婚をした。

19歳の時、厄年で子宮内膜症と流産をした。

20歳で千葉へ来て、また流産しかけた。

主人の家で引越しの準備の1週間だけ面倒みてもらうことになり、その際に大量出血した。19歳の時の流産した時も私は夜におじいちゃんと、いつものように2人きりで、寝ていた時に腹痛で悶えていたら、みるみるうちに血が流れて来て1人で救急車に乗り込み、そのまま入院して処置をしたんだ。

そんな悪夢が蘇って来た。

その当時、私は自分の価値を見出せず、何かやってやろうって気持ちから、モデル事務所に所属していて、2度、怖い目にもあった。

「番組に出たいんだろ、出してあげるからさ…」

彼と出会ってなければ、一体どうなっていたんだろう。

私は変わった。

出産前後は、知らない地で主人と二人三脚で乗り越えた。

又しても、私は母親とは縁がなく、主人の母親にも嫌われた。

私は、やっぱり普通って環境には似合わないのかもしれないって思った。

だけど、主人は私の過去を背負って、自分の両親より私を大切にして今も側に居てくれてる。

20歳の時に生まれた子は、今は中2、そして下の子は小5になった。

赤ちゃんが出来た時の気持ちは正直、

自分は愛された記憶がなく愛情が分からないから、愛せるのか不安だった。

だけど生んでから私の中でパステルカラーのようなポップな世界が広がったんだ。

毎日、寝不足だったけど辛くはなかった。

幸せって、こういう事なのかな?って思った。

19歳の時、先生からは流産をしやすい体質で赤ちゃん出来ても育つか難しいと言われていたけれど、2人の子供に恵まれた。

私は良い母親になれてるかは分からないけれど、生まれた時から、夜寝る前に「生まれて来てくれて、ありがとう」って言うようにしていた。

そんな微笑ましいエピソードと共に時が流れ、下の子が2年生の頃に寝る前に「お腹痛くて大変なのに、生んでくれて、ありがとう」って言ってくれた。

感動して涙が出た。

それは、2度目の温かい涙だった。

気付けば、私は笑う事も泣く事も出来るようになっていた。

それは、主人に出会えた時「生まれて来てくれて、ありがとう」って言われた時、子供に「生んでくれて、ありがとう」って言われた時に私の中で化学反応が起きたんだと思う。

愛情って何?って考えて苦しんでた20代半ばまでは、私は、まだ自分が小学生のままの感情でワガママな感情を出してしまうことが度々あり困らせてしまった。

だけど、家族が私に愛情を沢山与えてくれたおかげで、大切なことを教えられて、当時と比べて大分、丸くなったなぁと思う。

徐々に、お母さんって人になれた気がするし、普通の感覚とは違うって家族も分かってるけれど、受け入れてくれて、そんな私を好きだと言ってくれる。

10代の頃、ボロボロだった時、自殺しかけて無茶をした時もあった、モデル事務所に入り、ホリプロスカウトキャラバンに出た時もあった…だけど彼と出会えて地道に生きるって選択肢が出来て某化粧品会社に入社して、美容部員になった。

私には学歴がないけれど、その時に出会った課長が良い人で、面接に厚底とホットパンツ履いて行った私の事を採用してくれたんだ。

私には、そういう所があって、悪運が強い割に周りの人には恵まれていたのかもしれない。

20歳まで、親代わりだった祖父には感謝しているし、祖母の妹と娘さんが私に幸せな思い出を作ってくれた。家族の思い出が何もない中で唯一、一度連れて行ってくれたディズニーランド、富士山の麓での山菜採りといちご狩りの事を今も鮮明に覚えている。

私はギリギリの所で温かさに救われていたんだ。

例えば小1で家出をした時、探してくれたのは、祖母の妹だった。

祖父は私が結婚して出産した後に安心したのか癌で亡くなっている。

その日、同時に2人目の妊娠が判明した。

だから生まれ変わりだと思う。

愛情って与えられて芽生えるもので、そこから育つものなのかもしれない。

私は一生懸命に優しい人格の主人を真似したりしたけど、そんなの続かなかったし余計にストレスになった。

だけど今は、ありのままの自分でいるのに何故か皆んなに愛されてる自分になれた。

それは周りの人に会って優しさに触れて、ここまで来たんだと思う。

あの時、生きてて良かった。

今は、そう思う。






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