Obesityー肥満

Obesityとは英語で「肥満」のことである。

私の半生は「肥満」が原因で天国と地獄の両方を経験することになる。


生まれたときは巨大児だったわけでもなく、いたって普通・3000g健康優良児。

両親は日本人の平均的体型、若い頃は美男美女。

そんな父と母の良いところを受け継いだ長身でモデル体型で美人な妹は、私が勝手に応募した「国民的美少女コンテスト」でモデルエージェンシーの目にとまり中学の時からティーン・ファッション誌で活躍していた。

そんな華やかな妹とは正反対の私。

私といえば毎食ご飯お茶碗3杯は軽く平らげ、おやつも大好き。

確実に周りの子たちよりもぽっちゃりして、それはそれはよく食べた。

美味しいものを食べることが大好きなまん丸い食いしん坊な子供だった。


初めて会う大人の人たちに妹は「かわいいねえー」「大きくなったら美人になるよー」といわれ子供の時からチヤホヤされていたのに、私への言葉といえば「体格がいいねえ」「よく食べるねえ」・・・

繊細な私は子供ながらに、この明らかな見た目差別にとても傷ついていた。 

朝目覚めたら、美しく痩せていて素敵なドレスを着ていて、みんなに「可愛いね!」「モデルみたい!」って賞賛されまくって喜んでいるっていう妄想をたびたびしていた私。

学校では、明るく面白おかしく振舞っていたから、みんなの人気者だった。子供時代って、大人基準の「醜美」よりも「楽しい」「面白い」「わくわく」の感覚で物事を選ぶことが多いですよね?

「太ってるから」という理由でクラスでいじめられたことはなかったが、やっぱり、平均より太った子豚みたいな醜い肥満体をものすごく気にしていた。

そんな私のダイエット初体験は小学3年生。

母にねだって健康食品「マンナン・ライフ」を買ってもらった。こんにゃくから作られたパウダーを食前に飲むと満腹感が得られ食事の量が少なくなるという物。しかし結果、ぜんぜん効果なし。満腹感もあまり感じなかった。楽して痩せるなんてそうは問屋が卸さなかった。

肥満の私をかわいそうに思った母は夏休みに肥満児用の短期集中ダイエット合宿プログラムに入ったら?と提案してきた。しかし、運動が大嫌いなのと、知らない人と一緒にすごすのに抵抗があった私はこれを断固拒否。 

そして、小学5年生のとき雑誌の通信販売が目にとまる。いかにも効果ありそうな商品!「痩せるマッサージ器」の広告だ。海藻から抽出されたエキス配合のムースを気になる部分に塗り、L字型のマッサージ器(普通のバイブレーション)をあててマッサージするとその部分の脂肪が燃焼されるという。痩せたいがために必死だった私は痩せる効果の全くない詐欺誇大広告に騙され、購入してしまう。

楽して痩せるなんて虫の良い話なんかないのに。。。


中学時代はブラスバンド部に所属。バリトン・サックス担当。

しかし文化部なのでいっこうに痩せる気配なし。

このころになると「体型なんてどうでもいいや」となげやりに。

「外見じゃないよ!中身が大切なんだよ!」

と開き直り。

人より太っていたことで良かったこともあったしね。

すっごい力があってケンカが非常に強かった!背筋力とか握力とか確かものすごかった。

誰にも負けない自信があったし、いじめは皆無だったね。

中三の時は食欲が異常で給食は登校拒否のクラスメートの分、2人分食べていた!だから体重も増えてしまい、この時の体重は100kg近かった。中一で65キロくらいだから3年で30キロ以上増えた。身長もぐぐん~と伸びて165cm。

学校の友達が大好きで毎日学校いくのが楽しくて「デブキャラ」を謳歌した中学時代であった。

そして巨体は高校入学。

お年頃の私は、初恋をする。好きだったあの男子を振り向かせたくて、本気ダイエットの一大決心。

友達から借りた「あなたは永久に肥満から解放される」YOU CAN BE FAT-FREE FOREVER

という翻訳本を読み、そのダイエットを実行。

そのダイエットは水を1日2リットル飲み、高蛋白、低炭水化物の食事を取るもの。(現在のローカーボ・ダイエットに近いもの。)

3年間でなんと100キロから48キロへと50キロも大幅減量!!小さい子供二人分!

中学の同級生や学校の先生もそりゃもうびっくり!

最低体重48kg(身長165cm)モデル体型になる。

ずっとあきらめてたダイエットだったが、「私だってやればできるじゃん!」と大喜び。自分に自信がつく。

痩せたことで胸はなくなったが、妹の服が着れる様になり、靴のサイズも小さくなり、足幅が広く甲が高くてはけなかった靴が履けるようになった。

だけれど、いくら痩せてキレイになっても好きなあの男の子はまったく振り向いてくれなくて、結果私の初恋は実らず。

そして、受験を終え、大学進学。

高校三年の受験時代は体を動かさなかったせいか体重が65キロまで戻ってしまった。ぽっちゃり女子大生としての新しい生活が始まった。このときもまだ、自分は痩せたら幸せになれると信じて「ダイエット」の言葉に敏感に反応し日々いろんな方法を試していく。

この大学生の時に試した痩身グッズは下記。

マイクロ・ダイエット。→失敗。どう考えてもあの飲み物だけじゃむり。空腹感で挫折。

通販の筋肉運動をさせる低周波の機械。→ぜんぜん効き目を感じず。

通販のバンテージセラピー。→身体をぐるぐる巻きにしてみたが、ぜんぜん痩せない。通販の家庭用のサウナ。→温風を送り込んで発汗させるが効果がみえない。

妹のように「カッコいいスリムなモデル体型になりたい」というのが当時の夢だった。

痩せてモデル体型になったら、洋服も似合ってきっとモテるだろうし、彼氏もできるだろうし、もっと楽しく幸せになれると思い込んでいた。


忘れもしないぽっちゃり大学生65キロ18歳の夏のこと。

ファッション誌の広告ページにでていた「痩身専門エステ・サロン」。

おもいきって長期の夏休みを利用しバイトをしてみた。

その当時、痩身専門エステサロンは花盛り。全国に100店舗くらいはあったんじゃないだろうか?

だから、バイトも大量募集していた。時給は昼は900円、夜は1000円。

私の仕事はお客様を簡易サウナにご案内してタイマーを15分セット、

そのあと施術ベッドにご案内。お客様の体に低周波を取り付けたり、電気の耳バリをしたり、吸玉(鍼灸で使う透明なカップ)を経絡にそってつけたり。

夏なんかは、お客様より自分の方が痩せるほど忙しかった。

そんな中、疑問に思ったのは

「エステってこんないいかげんでいいの?トレーニングもろくにしてないじゃん・・・」

次第にそんな杜撰なエステでバイトするのが嫌になって、まじめで正義感の強い私はそのいい加減さにあきれてバイトを辞めることにした・・・・

しばらくすると、大手エステ各業者はこぞって「スリム・コンテスト」なるものを開催しはじめた。痩身専門エステサロンのPRの一貫である。当時、女性誌の後ろの方のページにはいつもコンテストのスリム比較写真の載ってる広告が掲載されていた。

そして、ぽっちゃり19歳の私も痩せたい一心で、おもいきって応募してみた。

大学時代4年間で受けたコンテストは全部で4つ。

エルセーヌ、たかのゆり、スリムビューティーハウス、もう一つが東京に店舗が4つあるローカル・エステ。その中で無料エステが受けられたのは3つ。

つまり・・・4年間の間に大幅減量を3回もした。

当時の私は身体も若いので20キロ、30キロなんてすぐに痩せられる体だったのだ。

これらの痩身コンテストは、第一次選考(履歴書)が受かり、第2次選考(面接)までパスすると無料エステが受けられるというシステム。

そしてさらに減量が順調で第3次選考まで受かると会場コンテストに参加できる。

どこのエステも施術内容はだいたい同じ。まず体重と体のサイズを測る。(体脂肪計はない)

その後簡易サウナに20分閉じ込められる。

そ してエステルームに案内されビニールシートとヒーとマットがしかれたベッドの上に寝て、低周波をとりつけること30分。低周波は筋肉運動を自動的にさせ、 代謝を高め、身体を引き締めるという働きがある。普通は運動して筋肉を動かすんだけどね。肩こりの治療器の大きい版みたいな感じ。もちろんプロ用は出力も ある。さらに、ビニールシートにくるまれて発汗。

その後パラフィンパック(ロウ)を全身に塗りビニールシートにくるみ30分サウナ状態、これが・・ものすごく熱い苦しい。拷問のよう。

そして、シャワーを浴び体重を量って終了。

スリム・ビューティーハウスはこれにローリングマッサージベッドのトリートメントとカッピングという鍼灸の吸玉を経絡にそってつけたりする施術をした。

食欲を押さえるという電気の耳バリも。これに週に3回(一日おきくらい)通う。

1ヶ月もすると10キロ近く減量できたのは事実で、2ヶ月で20キロ、3ヶ月で30キロ。

だんだん体が軽くなっていく・・・・。そりゃそうだ。しかし、エステに通い施術を受けるだけでは・・・こんなに痩せられない。実は重大なポイントは「食事制限」にあった。

(ほとんどこれが大切なことだったのかもしれない)毎回採寸のたびに少しでも体重が増えているとエステシャンに注意された。

エステティシャン「あ~、ちょっと太っちゃいましたね」

私「あんた太ったって言ってるけど、でもこれって、「脂肪」じゃないんじゃないの?バカ女!」

と突っ込んでやりたかったけど、余計なことは言わないほうが良いと思い、いつも「わかりました。気をつけます」と良い子でいた。

つまり何の知識もないアホ・エステシャンにぐだぐだと言われたいほうだいいわれてたわけ。

その食事制限のお粗末な内容は・・・・

まず、「水分を取りすぎないこと」。明確にその「取り過ぎ」量を言っていないエステサロン。

私「体の70%は水でしょ!?」水分取らないとまずいだろう。そうは思わないのか?

コンテストに出場したいので仕方がないのでとりあえず、エステティシャンの言うとうり、まじめに極力控えてたら・・・

なんと「血尿」が!!!

便器の水が真っ赤に染まったのであった。

これはさすがに生命の危機を感じたので、そのエステ専属の女医さんに診断してもらう。

でも女医さんといっても東洋医学の先生だ。

全身検査されるのかとおもいきや、問診だけで「もうこれ以上はエステに通ってはいけません」といわれた。

え!?たったそれだけ!?

これでいいのか?日本のエステサロン。

顧問の医者を雇ってもも意味ないじゃん。私はてっきり体をなおしてくれるのかと思ってたのに。

なにか漢方薬などの薬をくれるのか、鍼灸などの施術で治してくれるのかと思ってたのに。

そんな日本の「痩身専門エステ」のやり方に疑問を抱き、「ホントのエステとはどんなんだろう??」

という好奇心で英国留学を決意したのが大学4年の時だった。

日本は、資格がなくても高卒でさえあれば、だれでもこの職業につけたし、人はすぐ辞めてしまいサイクルのはやい業界でもあったのだ。

苦労しなくて誰でも簡単に仕事に就けるということは、その仕事に誇りやプライドをもちにくいし、技術というか、口のうまさの営業の売り上げにより誰でも店長になれ、勘違い女が蔓延している業界でもある。

さらに日本に限らず、世界各国共通なのは・・・・・

美を提供するエステティシャンのくせに、喫煙者が非常に多く、酒ものみジャンクフード食い放題。

そんな人間の多い矛盾した世界である。自分の自己管理もできないくせに、人に指導できる立場か!という人間がほとんどの業界。

好奇心旺盛で、海外に住むことに大きな夢もあり、ヨーロッパには絶対ホンモノのエステがあるはずだという確信があった自分。

本場のエステってやっぱりヨーロッパ!フランスのエステも興味あるけれど、フランス語に自信がない。

大学の時にとっていた外国語クラスは英語とスペイン語と中国語。

あんまり頭が良さそうじゃない人だって海外で・・しかも英語でエステの資格とってるし、

海外の大学に入るわけじゃない、たかがエステの美容学校だから英語だったら何とかなるだろうと思った。留学を決めたと同時にもっとエステについて理解を深めるため、日本エステティシャン協会主宰のエステティック理論・通信コースを受講した。

大学4年、クラスのみんなが就活しているとき、私は一人ブリテッシュカウンシルに行って学校をリサーチしたり、実際にイギリスにエステ留学し資格を取得した人たちにあって資料や情報を集めた。当時はネットもなかったから、全部人に聞いたり、雑誌や本、美容関連の協会などに問い合わせ、自分の足で調べなければいけなかった。

初めての海外留学。2年間イギリスに留学して、アロマとエステ、ネイル、メイクなどの国際資格をとった。これがあったからこそ、英語がしゃべれるようになったし、海外の人たちと仲良くなれた。

語学学校ではいろんな国の友達ができたし、英国に住んでいたから、周りの国々にも旅行にいけた。スイス、フランス、イタリア、私の大好きなヨーロッパの国。

ロンドンの人気クラブも遊びに行った。

この2年では、そんなに体重の増減はなく、60キロー65キロをキープしていた。

でも、エステの学校で少し増えてしまった。というのもお料理の上手な家庭にホームステイしていたのと、田舎だったので車ばかり運転してかなりの運動不足だったからだ。勉強も大変だった。

2年間の留学は本当に素晴らしい経験だった。


帰国後、いくつか美容コンサル経験を経て、

資生堂の高級エステに就職。

待っていたのは地獄。

苦労してとった資格が生かせないし、底意地の悪い上司に精神的いじめを受けていた。

呑み込みが遅い私は、新しい技術の習得に時間がかかり(職場のいじめで)なかなかお客をとらせてもらえなかった。女だけの職場なので、いろいろ陰湿な嫌なことは沢山あった。こんなところにいたら潰される!って一抹の不安がよぎっていた。

店長にもっと痩せてもらわないと困るといわれ、入会金100万円の会員制高級ジムに強制的にいかされたり、エステの設備をつかっていいからとにかく痩せろと言われた。高級サロンだからデブが働いていたらみっともないのは分かる。しかし、そんな会社にとって負担のかかるような人材は最初から雇わなければいいだけじゃないのか? なぜデブをやとったんだ?お前のストレス発散でいじめるためか?人格否定するような

こんな嫌がらせをアメリカでしたら、訴えられるぞ!!


精神的いじめによりつらい毎日だった資生堂の高級エステ時代はそう長くは続かなく10か月で幕を閉じた。よく遊びに行っていた表参道のレストランオーナーが私にチャンスをくれたのだ。青山に場所があるから、そこでアロマセラピーサロンをやってみないか?とのお話である。夢だった自分の店をオープンできるのである!

陰湿ないじめからも逃れられる!私は自由だ!

私は試行錯誤しながら、サロンの立ち上げ、集客、PR、企画、個人アロマスクールをすべて自分のちからで成し遂げた。とにかくこの数年でたくさんの人たちと出会い、関わり、成長していった。

自分としてはとても楽しくてわくわくしていたのだが、

この4年間で体重のほうはなんと100キロを超えてしまったのだ。35キロ以上太った。

ひょんなことからイギリス人のゲイと友達になり、外人好きの日本人のゲイたちと仲良くなっていって、自分の周りはガイ専のゲイばかりになった。彼らはインテリが多くて、とても面白かった。ストレートの男達より100倍楽しい。しかも、イケメンが多い。考え方が一般的でなく奇想天外ユニークなのだ。それに、彼らは女性が性的対象でないので、私がデブだからといっていじめることもなく、傷つけることも言わないし付き合うのがとても楽だった。毎日笑って楽しく暮らしていた。

スクーターも購入し、歩かなくなったうえ、食事の量は痩せの大食いのゲイ友達に合わせていたのもありどんどん太っていった。また、ノンけの異性に興味が無くなったので自分の見た目を気にしなくなっていった。モテたいとかきれいになりたいとか彼氏がほしいとか思わなくなっていった。

100キロ超えても卑屈になるどころか、巨デブを謳歌していた。

度が過ぎたデブなので、TVやCMのキャスティングしている友達からもスカウトされ、ミュージックビデオやTV、CMの仕事などもちょくちょくやるようになっていった。

私を容姿でいじめる人もいなく、それどころか今までものすごくコンプレックスに思っていた肥満体を褒めてくれる。

環境が変わり、巨デブであることが楽しくて幸せで、明るく輝いて生きていた。

地獄のあとの天国気分である。以前よりも気持ちはよい方向に向かっていった。


そんな時、「これでいいのか?」という疑問も芽生えてきた。


実は、帰国してから「日本から早く脱出したい!」とずっと思っていたのだ。

2年の英国留学では不完全燃焼だった。海外は楽しくて仕方なかった!日本に帰りたくなかった!

日本はいろいろと制限や世間体があって窮屈で暮らしにくい。

出る杭は打たれるので、日本社会は生き辛い。同調圧力強く、底意地の悪い国民性。

自分はもっともっと外の世界が見てみたかった!自分が楽しくわくわくする国で生きてゆきたい。

そんな時に出会ったのが、ニューヨークから仕事&遊びできていたパトリシアフィールドのナイトライファーチーム。

パトリシア率いるNYCクラブキッズチームは、リッチ―リッチ、アマンダルポール、ソフィアルマー、トレバーレインもきていたし、トベルヴォンカルティエ来日もあった。

同じ人間とは思えない!なんだ!?この魅力は??

わーーー!こんな世界があったんだ!!!

この人たちともっと仲良しになりたい!!

ニューヨークに行ったらこんな人たちがたくさんいるんだろな!

彼らとの出会いは私の人生を変えた。

このまま日本に居ても

そして、私はニューヨークで暮らすことを決意したのであった。


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