障害のある子の親になる
長女をNICU(新生児集中治療室)のある病院で産んで、
ハンディのある子の母親は鬱になってしまうことがある。と聞いたときに最初ピンときませんでした。
退院する前の最後の晩……。
婦長さんが病室にやってきてこうおっしゃいました。
「この子を産んだことを後悔することがあると思うけどそれで当たり前なんだから自分を責めちゃダメよ」
この時も
「え!そんなことが?!っていうか、私たちそんな大変なことになってるの?!」
という感じであまり実感がありませんでした。
わたしは娘を抱いてさえいれば幸せだったから。
でも障害って、家の中では思わないけれど、一歩外に出て、対社会、対学校とかになった時にやっぱりすごい壁を感じて、この壁が「障害」なんだなと思いました。
ハンデがあるとわかっていて産んだのは私……。なら私ひとりでこの子たちを産んだことの責任を取らなければ……という感じでひとりで背負おうとしたときにパニック障害の発作に襲われました。
自分のキャパシティを超えたストレスがかかった時に多分そうなりやすかったと思います。
先の話で婦長さんが私に言ってくださった事が実はもう一つあって、ハンデのある子を育てていく上で最もポイントとなる、重要なことかもしれないと私は思っています。
それは
「あなたを受け入れて、愚痴を聞いてくれるともだちを作って、なんでも話してね」
ということでした。
今になって振り返ってみると、さすがNICUのある病棟の婦長さん。的確で実践的なアドバイスだったと思います。
私が今までなんとか、ハンデのある三人の娘を含む五人の子育てをやってこれたのは、まわりに恵まれていて、状況が整えられていたからだと思うのです。
ひとりで育てているような気持ちになってしまえば絶対にしんどくなって自分が潰れてしまっていたと思います。
そういう方々に出会えることは普通より少し大変なこどもを授かったからこそのご褒美というか役得だなぁ…とよく思います。
発達に遅れのある子を育てるということは、長い長いマラソンを走るようなものです。
そしてそのコースはきちんと整備されていない大変さがあります。
私に限らず、家のなかでは比較的容易に、発達に問題があろうとなかろうと可愛いわが子だと自然に思えるようになり、前向きに子育てできるものですが、一歩外へ出ると様々な壁を感じて悲しくなってしまう。
他人事として見つめる目。迷惑そうな表情。初めからいろいろな機会を与えてもらえないこと。大変さを理解してもらえず、こどもにハンディがあるためにほかの親よりも負担が大きいが、努力してそれをやっても当たり前と思われること。何をするにしても普通の何倍もエネルギーがいること………。
社会の障害に対する現実を見せつけられ、自分の心に余裕がないと、そのような世間が敵だと思えてくるのです。
そして親は、自分だけがこの子を守ってやれる。守り育てなければとがちんがちんになってがんばっていくんです。
そんな時に障害児の親同士の関係から離れた、世間に近い存在として、専門家や友だち、今これを読んでくださっているおひとりおひとりのような存在、理解者がいてくださると、だいぶ身も心も軽くなるのです。
時には沿道で精いっぱい応援してくれ、時には伴走してくれ、少し離れたところからアドバイスしてくれたり…
一緒に走ってくれる、一緒に泣いたり笑ったりしてくれるサポーターの存在は、本当に心強いものなのです。
今回ここに載せてみようと思った文章は、二年前に私がごく少数の私的な友人たちにむけてFacebookに投稿したものです。
話すことで表現するのは苦手な私は、Facebookで自分の思っていることを発信するようになり、たくさんの人と繋がり、精神的に支えられてきました。
「ねぇねぇ!聞いて聞いて!今日こんな事があってね、私はこんな風に感じたんだよー」って
NICUの婦長さんのアドバイスにしたがってお友だちのみなさんに支えられて、心の健康が保たれてきたわけです。
でも、毎日毎日、娘たちと共に生きて感じること、伝えたい事がたくさんあり過ぎて、そのためのツールとしてのFacebookに少し限界を感じてもいました。
長い文章はやはりFacebookには向いていないからです。
今回こちらのSTORYSという媒体を教えていただき、ここに書いてみたらとすすめてくださった方がいて、これもご縁かもしれないと…
なかなか集中して書けなかったり、文章も読みにくいところもあると思いますが
少しずつ今まで投稿してきたものを載せていきたいので、ちょっと大変そうだけど、案外そう大変でもない普通の私たちの日常、よかったら読んでみてください。
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