統合失調症とともにいきる 第四回

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ここからは少し私の生い立ちについて、少しだけ話したいと思います。


私は生まれたときに美咲という名前をもらいました。母がつけてくれたこの名前を、私は心の底から気に入っています。

私が3、4歳のある日、母が運転した車と向かい側を走ってきた学生の車とが、ぶつかり、私達家族は事故にあいました。家族の中で、父一人が腕を骨折したのみ、かと思われましたが、我が家はさらに致命的な痛手を負うことになったのです。母がシートベルトによって重傷を負い、入院することになったのです。


母は過去を振り返って、3つのことをよく言います。1つは「あんなに忙しい、忙しいと言ってる人(父)が毎日のように見舞いにきてくれた。」ということ。もう1つは「何もたべられないほど辛いものはない」です。そして、あの時誰も死ななくて良かった。死んでたら人生かわってた。と。


小さい頃の私は、母の事を随分ヒステリックな人だと思っていましたが、それは病気を抱えた母が精一杯いきる証だったんだよね。(今は完治したのかな。その後をきちんと聞いてないだめな娘です(汗))

というような事が過去にあったのを知っていたので、私が病気(統失)になったときも、死ぬ、死なないという中で、死ぬというのを選ぶのは本当に辛い事でした。でも死ねなかった。だって、命は大事だったから。そして、もう1つは旦那さんと父が必死に止めてくれたから。


治療薬のおかげで、幻聴が薄れてきたとき、病気とともにいきようと思ったんです。

精神病になった方の中には、家族に見捨てられてしまったり、協力が得られなかったりする方たちがいます。

そして、治療薬があわないせいで、幻覚や幻聴が起こり続けている方達もいます。

薬をたくさん飲んでいるから、頭がボーッとしてしまって、社会復帰が難しい方たちがいます。

友達からも縁を切られることもあります。


そんな中で、家族は心の支えになってくれました。

死のうとしても、こっちだよ、って、正しい世界に強く引き戻してくれる家族がいました。


美しく咲くにはどうしたらいいかずーっと今まで考えてきました。ね、死ぬなんて、とんでもないことですよね。名前に恥じる生き方はしないって、小さい頃から思ってきたんですもん。


友達もだまーって話を聞いてくれました。それも縁を切ったりせず。


こんなに恵まれてることってないよ、ってお医者さんにも言われました。私も、そう思います。

だから、これは当たり前じゃないんだ、って思っています。


という訳で、今回はこの辺で終わります。

毎回、読んで頂いてありがとうございます! 

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日常生活にどうやって戻っていくのか、病気と付き合っていくことに対する覚悟とか、自分らしさを見つけ出していくまでどういう経緯や周囲のサポートがあったのだろうかとか、尽きません。

Izumi Shinichiさん

コメントありがとうございます!色んな方の体験を聞いたりする中で、私は家族、友達や病気の程度など、恵まれていることが多い、ということがわかってきました。当たり前の幸せが、一番幸せだと、病気が教えてくれました。毎日を大事にいきるってなかなか思えないと思いますが、少しでもそういう風に生きていけたら、と思っています。

病気と一緒に寄り添ってくれる家族や友人は大切なんですね。

林渡邊 美咲

2012年に統合失調症を発症。現在は主婦兼アルバイトをしています。へこたれる事もありますが、毎日を自分らしく生きていく事をモットーにしています。どうぞよろしくお願いしますヽ(*´∀`)ノ

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林渡邊 美咲

2012年に統合失調症を発症。現在は主婦兼アルバイトをしています。へこたれる事もありますが、毎日を自分らしく生きていく事をモットーにしています。どうぞよろしくお願いしますヽ(*´∀`)ノ

林渡邊 美咲

2012年に統合失調症を発症。現在は主婦兼アルバイトをしています。へこたれる事もありますが、毎日を自分らしく生きていく事をモットーにしています。どうぞよろしくお願いしますヽ(*´∀`)ノ

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