ただ、私を好きになりたかった④

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この年までとうとう逆上がりができなかった。

できる友達の逆上がりを何度も見て研究したし、

練習もたくさんしたがとうとうできなかった。

できないことを恥じていたし、

どうせできないのだけれど練習して

あわよくばできるようになればいいと思っていた。

自分にはどんなに努力してもままならないことがあって、

それは、隣の友達がいとも簡単にやってできることでも

私だから、無理なのだ。

でも、練習を真面目にしたらできるのかもしれない。

自分は怠け者だから、その練習をするエネルギーさえ出てこないのだ。

私だから、無理なのだ。

無理である自分は恥ずべき存在で

この世から消えて無くなってしまいたい衝動にかられることもあった。

逆上がりができないだけなのだけれども。

もう直ぐ9歳になる息子がいる。

彼は、逆上がりも二重飛びもできない。

前飛びさえ、数回で引っかかってしまう。

「できないんだったら、練習しなさい」

と、彼にハッパをかける母である私。

彼は決まっていう。

「どうせできないし」

どうせできないことにして、ゲームをしていたいようだ。

私には、「どうせできない」と言う勇気すらなかった。

どうせできない自分は恥ずかしく、できるだけ隠したかった。

もしくは、もっともらしい理由を考える。

努力すること、できるようになることは素晴らしく、

できないこと、それを肯定していることは恥ずかしいこと。

私はそれが正しいと思って生きてきた。

そういう教育をされてきたと思っていたけれど、

親も先生もそんなこと言ってなかったのかもしれない。

私がそれを信じただけなのかもしれない。

今、彼は、

「できないこと」を恥ずかしいとは思っていないようだ。

私のように考えられないことに、不安を抱くこともある。

それが、怒りになることもしばしば。

バランスは大事だと思う。

だから、私の考えも押し付ける。

だけど、彼の考えも尊重する。

そんなやり取りから生まれるものを目撃したい。

それは、彼が私に教えてくれているものなのかもしれないから。

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