けい子がたどった道2

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<小学校時代>

小学校は家から3分。ってか家から見えるし。朝の通学は近所の高学年のにーさん、ねーさんと班で登校。

1年生>担任は小倉先生。あたし、算数が大の苦手で、それ以外の教科は普通に授業受けてたのになぜか算数の時間は先生に目をつけられてた気がする。

2年生>担任は鈴木先生。優しかったな~。あまり記憶ないけど。

3年生>同じ鈴木先生。遠足の準備してるとき、なんとお金の計算ができないこと発覚。父と母は驚いて、遠足の前日にお金の計算の猛特訓を受ける。眠いのにやらされていい迷惑だったけど、3年生になるまでお金の計算できなかったんだっけ。

4年生>担任はスナガ先生。初の男性の先生。滑舌があまりいいとは言えなかった。教え方も上手って感じじゃなかった記憶がある。列でプリントを集めてあたしが先生のところにもっていったら、突き返されて理由がわかんなかったあたしは、そのまま突っ立ったまま。そのプリントを拾うこともなく、なんで突き返されたのかをぐるぐる考えてた。その先の行動をどうすればいいのかわからないんだもん。先生はあたしがプリントを投げたように見えたらしく、それが気に入らなかったんだって。えー?!投げてないしって思った。

5年生>先生との毎日の日記に、一緒に帰ってる友達にいじめられたって書いた。今考えると嫌味を言われ多くらいだった気がするが。。意外とおおごとにされた感じで、呼び出されたり話を聞かれたり。呼ばれた男女の友達達はなんのことかさっぱりわからなかった様子。あたしもあー、書かなきゃよかったって後悔した。

6年生>担任は阿部先生、、だったかな?肋骨が1本多くて座高がやけに長い先生だった。この頃になると、クラスにグループができてて、先生がひいきする目立つ組と普通組とおとなし組。あたしは普通組。就学旅行の部屋分けとか、目立つ組に2人移動しなきゃいけなくて、勢いよく手を挙げて仲良かった友達と移動したけど、気持ちよくない。会話も違うし、同じクラスの子なのに上級生みたいな態度の子達だったから、付き合いずらかったわ。引っ越してきた子でかわいい子には、こっちおいでよ~とか言っちゃって。今考えるとウケるわ。


小学校のときは、至って普通。学校で目立つこともないし目立つこともしないし。近所の下級生とよく遊んだ。夏休みのラジオ体操は休まず通った。同じクラスの恵美ちゃんと仲良かったから、毎日のように恵美ちゃんちに行ってスーパーマリオやってた。どっちかというとのろかったほう。通信簿に丁寧だけど、時間かかりすぎるって書かれた。

友達の妹に、あたしの机の上にあった500円取った?って聞いたことあった。結局ばあちゃんが取ったんだけど、それを友達の妹が自分の母親に話したらしく、夜うちのお母さんに電話がかかってきて、めっちゃ怒られた。家の外に出されて、暗い中で泣きながら謝ってた。野良犬が近よって来て怖かったわ。妹が呼びに外に出てきたんだけど、あたしが泣きながらブツブツ言ってるのを見て引いてた。次の朝早く起きてその子の家に誤りに行ったんだけど、玄関まで行けずに、家の前の道で突っ立ってたら、その子のお母さんが出てきて『もういわないでね』って言われた。

妹が悪いのにしょっちゅうあたしのせいにされた。いつもわけわかんないうちに怒られて、ぶたれた。おねーちゃんなんだから的なことだったと思う。なのに妹が怒られてるのを見るとかばってたらしい。けなげなねーちゃんしてたな。妹にはねーちゃんをかばうなんて気持ち、微塵もないのに。

毎日のように仕事を家に持ち帰ってきてたお母さんには、夕飯を作る余裕なんてなくて、いつもばあちゃんが作ってた。ハンバーグ1回しか作ってもらった記憶ない。いっつも怒られてたって記憶しかない。一方的に怒ってあたしの気持ちすら聞くことをしなかった。自分が正しいって思ってたのもそうだろうし、母親と父親の2役をこなさなきゃいけないのと、山盛りの仕事量で余裕なんてなかったんだと思う。あたしはさみしかった。夜布団で寝てて、さみしくて大声でおかあさんを呼びながら泣いてたことがあったけど、なかなか来てくれなかった。来たと思ったら、やっかいもの扱いされて、ひどく傷ついた。ただ抱っこしてほしかっただけなんだけど。そんな甘えはできない感じだったな。

けいこ
自分の子供がさみしがってるのに、この対応でええんか??

このころってバブルだったのか、結構はぶりがよかった。おかあさんは小学校の教員、お父さんはゼネコン。洋服を買うときは大体銀座の三越行ったし、おかあさんも街のブティックでいつも洋服買ってた。ピアノの発表会とかミニ発表会のときも三越に買いに行ったもん。ピアノの先生も富裕層に近い家柄で、お母さんは着物が好きでほしい時に買ってたんじゃないかな。あまり値段見ずに。ボーナスは今とケタが違うと思う。

ピアノの先生
その服どこで買ってきたの?いいわね!

ミュージカルも帝劇とか日生劇場によく観に行ったし。開演時間に間に合わないからって、学校を早退したことが1回あったな。帰りは終電近くて、酔ったおっさんが電車の中で軽くゲロってたり。

けいこ
ゲロ!!マジかよ!おえっ!!

普段着るものは、東武ストアとかイトーヨーカドーで買ってたけど、周りの友達って東京に出るってあまりなかったように感じる。だからといって自慢もしないし、至って目立たない、どこにでもいるふっつーの子。あ、でも面白いことをしてたのかな?遠足のバスの中でレク担当に抜擢されたことが1回だけあったな。あとバスの中でカラオケ歌って、アンコールもらった(笑)

松田聖子を熱唱のけいこ
天使がウィンク~♪僕には見える~♪


この時代は、めっぽう光GENJI。松田聖子、中森明菜、シブガキ隊、少年隊、チェッカーズとかとか。歌番組多くて、CMの間に風呂に入るっていう、なんて無謀。。。CMなんて30秒しかないのにさ、湯船に一瞬浸かるだけ。今考えるときちゃない。。


小学校低学年で算数が苦手と言ったけど、ある時期から夏休み、お母さんが帰ってきた後の夜は、低学年の算数の教科書を持ってこいといわれ、算数の授業が始まった。。。

けいこ
地獄じゃ。。。

スパルタもスパルタで、音読が早くて頭ぶたれるわ、意味わからなくてぶたれるわ、答えがわかんなくてぶたれるわで、いいことなかった。優しさなんて微塵もなかったし。すぐぶつし。そっか~そうやって考えればいいんだ~なんて思えるわけもなく、恐怖でしかなかった時間。これがきっかけであたしは今後の算数も数学も”覚える”ことにシフトした。記憶問題じゃないのに。。。数字をみただけで拒否反応だし、単位とか%とか割合とかいう言葉を聞く、見るは思考停止。ヒア汗もん。むつかしく考えすぎちゃって、頭パニック。できるのは+-÷×の計算問題のみ。テストでいう大問題1だけ。大問題2は、なんか文章があって、ちょっとした応用っぽいんだけど、もう解けない。その後も解けない。証明問題だって、応用になると点でわかんない。食塩水の問題なんて、問題文と式を覚えて高校受験に臨んだ。運よく同じ問題が出て、難なくクリアしたけど。単純作業しかできない頭になった。。これって痛いよね。衝撃的だったけど、実はお母さんって教え方下手なんじゃないかって思った。まあ誰でも身内には厳しいとは思うけど、ぶつことないでしょ!!だからバカになった。なんでわかんないんだ?って言われても、わかんないんだもん。わかるように教えてくれるのが先生っちゅーもんじゃねーのか?って、このころに戻れたら突っ込みたいけど、その時のあたしは、そんなこと言えるわけもなく言われるがまま。が―――!って言われる、ぶたれる、、、何も言えないっしょ。

夏休みの夜、よく遊んでた近所の下級生達が楽しそうに花火をしてる声が聞こえてきて、行きたかった。次の日、なんで誘ってくれなかった?のと聞いたけど、誘いずらかったみたい。近所の子たちにも恐れられていたうちのお母さん。。

近所の下級生
おたく、さそいづらいのよ~

そんな中、うちの妹は見て見ぬふり。

しら~

お母さんは妹にはあたしにしてるようなスパルタなことしなかった。算数のテストの点数がよかったのか?妹は妹で、1クラス30人も満たないクラスで、クラスのみんなと仲よかった。クラスの中で1番に足が速かったし、まあまあかわいかったみたいだし、字もうまいって習字や硬筆の選手だった。年代が違うってのもあるけど、あたしのクラスはマセてる感じの人が数名いたから、ちょっと雰囲気違うのよね。そういう子の親もなんか派手だったし。似るよね。田舎にいる大将的な感じ。男子ともあまり交わらなかったな。勉強できる子とか積極的な子は近寄りがたくて、そういう子とは話したことないわ。同じスイミングスクールに通ってた男の子とは仲良かったけどね。


授業参観で、勉強できる子の親が来てて、うちのクラスは体育。で、ドッチボールを親も交えてやるってことになって、最後は勉強できる子とその親の対決みたいになってて、楽しそうだったな~その家は、兄弟多くて、見た目には両親は好意的な感じ。自分の子供にも。なんかクリエイティブさを感じた。田舎の古臭いしきたりとか自分の考えなんかを押し付けるんじゃなくて、そう思うのはどうして?とかこっちの見方もあるよ、って世界が広がりそうな考えをもった両親って感じだった。のびのびしてる印象だったもん。うちとは大違い。お父さんは頑固だし、自分の思い通りにいかないとだめだったし、豪酒で。自分が世の中を作ってるんだって感じ?ほとんど向上心を感じなかったかな。現状維持。それはお母さんも同じ。だって、正社員が一番偉いと思ってるんだもん。1つの会社で長く勤めて安定した生活を送る。まあ、物語ってるよね。地方公務員にゼネコンだもん。ま、バブル終わったらゼネコンだって落ちたけどね。


小学校6年のときの席替え。忘れもしないわ。班長だけ先に選ばれて、その班長が班員を選択することができるってルールのときがあった。同じ班員を選んだときには班長がじゃんけんできめんの。当然班長以外のクラスメートがいないところでね。なぜか班長にあたしが選ばれて、班員を選んだわけですよ。結果的に、私の班は他の班長が選ばなかったクラスメートで固められた。あたしもじゃんけんに負けまくってたし。仲良かった友達もほかの班長に取られる形になっちゃった。給食とかクラス内のこととか班でかたまって作業することが多々ある。なんかどよーんとした雰囲気の班になった。暗かったな~。


小学校って、なぜか勉強できるか運動できるか、ムードメーカーとかが『長』って呼ばれるものに選ばれる傾向が多いよね。先生もそれに対して何も言わないし。情熱を感じる先生なんていなかった。本当の声を聴く先生なんていなかった。。と思う。


小学校5年か6年のとき、隣の席の男の子が座るときに椅子を引いたことがあった。彼は、しりもちをついて後ろの机に後頭部を打った。彼は頭を抱えて泣いた。クラスで一番に勉強ができる子だった。あたしは滑舌が悪い先生に怒られた。当然か。

滑舌悪い先生
なにやったんだ!

先生が濡れタオルを持ってきて、あたしが彼の後頭部にタオルを当てて冷やした。なんで引いたんだろ?今思うと、椅子を引いたらどうなるんだろう?って思ったんだ。一瞬の出来事。その一瞬で行動に出た。軽い気持ちだったんだ。したら、彼が泣くんで大ごとになった。当然か。。。夜、お母さんにそのことを伝えた。何を言われたかは覚えてない。でもちょっといいようにデフォルメして伝えた気がする。滑舌悪い先生からもお母さんに電話があって、事情を説明されて、お母さんはその子の家に電話して謝って状況を聞いてた。彼は何もなかったように家でお兄ちゃんと鬼ごっこして遊んでたらしい。


その子の両親って2人とも学校の先生なんだよね。で頭よくて、賢い。それなりになんでもこなす。羨ましかった。あたしのお母さんも小学校の先生だった。お父さんはサラリーマンだけどさ。自分の中で劣等感があったんだよね。先生の子供なのになんで勉強できないんだろう?って。一般的にみんなそう考えるはず。先生の子供は頭がいいって。小学校がすっごい愉しいわけじゃない。家に帰ってもちょっとのことで怒られる。一方的に怒られてあたしの気持ちは聞きもしないし受け止めてももらえない。私がなんでそういうことをやったのかも聞かれない。悪いものは悪いとすべてあたしのせいにされた。あたしの居場所は、『お姉ちゃん』という立場だけ。それしか主張できるものがなかったから。お姉ちゃんだからとか、お姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんなのにって何度も何度も何度も何度も言われた。お姉ちゃんだってさ、泣きたいときも主張したいときも褒められたいと思うのに。でもお姉ちゃんだから褒められるだけ。けいことしてはない。あったかもしれないけど覚えなんてない。あたしの記憶には、怒られたかぶたれたか、お母さんの機嫌なんて関係ない。家の中だけじゃない、場所なんて関係なかった。外出先でもおんなじ。皆の前でもやられた。うどんのつゆをこたつ布団にこぼしちゃって、隠してて見つかった時、ぶたれた。いうこと聞かないと怒られた。反抗なんて怖くてできなかった。泣くしかなかった。言いたいけど、感情が先に出て言葉にならない。叫ぶしかない。

けいこ
劣等感のかたまりっしょ
けいこ
怒られないように、顔色を見て行動するしかないっしょ

大人になってから感情を出してぶつけてみたことがあったんだな~。泣きながら想いをぶつけるあたしにお母さんが言ったセリフ、

お母さん
(困った顔して)
コミュニケーションの勉強しなおしなさい

それをそばで見てたパピコにお母さんが言ったセリフ、

お母さん
けいこは、あなたに対してもいつもあんな感じなの?
お母さん
なんかやって、洗脳されてるの?

後でパピコが教えてくれた。

けいこ
お母さんは、あたしの本当の姿を知らない!!

って、その時初めて感じた。これはあたしが30歳前後の時。お母さんに想いは伝わらなかった。一番伝えたかった人だったけど。この1回だけだけどさ。親に拒否られるって子供として悲しいぜ。金貸してくれって言ったほうが、簡単じゃ。すんごい困った顔してたもん。あたしの想いがどんなもんかって考えてもないだろうし、

お母さん
これがあたしが育てた子?


って思ったんじゃない?

血が繋がってる家族だけど、感情をもつ1人の人間=個だよね。『子』じゃない。

きっと今でもあたしの本当の姿を知らないと思う。


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溝渕 じゅりあ

2014年からバンコクに生活を移しました。 過去から今までの自分をデソシエイトしてアウトプットを。次のステップに繋がれば、とただただそれだけです。

溝渕 じゅりあさんが次に書こうと思っていること

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