若手トレーナーと、とある女性コンサルの話。①

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若手トレーナー駆け出し編。

「どーも僕です」と言えば通じるくらいになりたいものだが、

まずは自己紹介。

今は東京都内でパーソナルトレーニングジムをグループで3店舗(うち直営2店舗)、トレーナー8名と経営メンバー、事務メンバー合わせて12名の組織で活動している。

いわゆるパーソナルトレーナー、パーソナルトレーニングジムをやってる人だ。



まずは僕の経歴を簡単に。

(と言いながら長くなりそうな予感)


シンプルに田舎者だ。

南の体育大学を卒業し、入社したフィットネスベンチャー。

神奈川県を中心に、3000名〜8000名規模の総合型フィットネスクラブを作り、運営する会社だ。

総合型とは、フィットネスジム、グループレッスンスタジオ、プール、スパなどいろいろ備わったジムの事を指す。ターゲットは一般の顧客で本格的なトレーニーではない。

◯ナミさん、◯ントラルさん、◯ネサンスさんなどをイメージしてもらうと分かりやすい。

大手と異なるところは母体となる企業などはなく、自社で全て行う点だ。

出店におけるエリアマーケティング、競合マーケティング、建設、内装、マシン設備、集客におけるチラシ(本気でティッシュ配りやポスティングを自力でしたもんだw)、HP、キャンペーン施策、サービスにおける、マニュアル作成、プログラム作成、研修、クレーム対応、顧客管理、インストラクター管理、アルバイト管理など様々な部分を自店舗で行う。

それは非常に大きな経験となった。

広く学べた事でフィットネスクラブというビジネスの全容が見えたし、サービス業としての部分、専門職としての部分、仕事の仕方などを学ぶ事ができた。まぁ勤めたのは2年間なので甘々なのだが。

最も僕に影響を与えた3つ上の先輩は今でいうパワハラに近かったが、成長要因だったと間違いなく思う。(パワハラ肯定ではなく、僕に合わせてそのような指導をしてくれたと信じたいw)


同時に田舎の大学から出てきた僕は、元来好奇心旺盛であった。(女性関係もそうだったかもしれない・・・w)

スポーツもいろいろ興味を持ち、チャレンジし、変に器用にいろいろできるタイプになってしまった。


そんな事で上京してから休みの日にはいろんな人に会うようにしていた。

交流会だの、パーティだの、人が集まりそうなものには積極的に参加。1日に3つハシゴする事もあった。そして名刺交換などすれば必ずfacebookで申請したりしていた。

当時の僕は、この安易な薄い人脈作りに気持ちよくなっていたが、自分には最初何も武器がなく、無駄に数だけ増えていた。今facebookは3000人の友達、1000名程度のフォロワーがいるがこの時のアナログ戦法の成果は大きいであろう。


とにかくいろんな人に会った。

同世代の活躍している人に刺激を受け、自分より下だと思う人を見て安心し・・・

まぁ若いうちの人脈作りなんてそんなもんだろう、とか今は思うのだが。


中でも思い出深い出来事がある。

23歳の時に銀座のパーティに招待を受けた。

生まれて初の銀座だ。ドラマの世界だ。

当時は神奈川県に住んでおり、都内に出る事でもテンションが上がるレベルで、銀座とは足がすくんだものだ。

参加費は10000円。当時の僕はその金額にかなり気が引けたが思い切った。

僕なりにお目かしし、緊張のせいか、無駄に早く銀座に降り立った。

軽く散策、というかただ道に迷っていただけだが、時間を潰し、会場へ。

確か地下のレストランを貸し切っていた記憶だ。

ドレッシーな女性達、男性陣はだいたいジャケパンであった。

僕はおそらく大学時代に買った古着屋のシャツだったろうか。僕の中ではお目かしだったのだが、明らかに雰囲気が違う。(ジャケパンてレオンとか出てる伊達男が着るんじゃないか・・・)

ワイングラスを片手に交流し合う男女、ビジネスの話を熱く語るジャケパンメンズ、女性は明らかにワザとらしい反応・・・

「世界が違う・・・・・」瞬間的に僕の脳はそう判断し、エネルギーの供給をストップしたのだろう。

終わってみれば僕は誰一人とも会話をしていなかった。

2時間の時間、隅っこで一人人間観察をしていただけだった。

今でこそ、体型である程度気にかけられたりするものだが、当時はバルクもなく。

話せなかった。

しかし、それよりも誰も僕の存在を気にしていなかった事がショックだった。

「お一人ですか?」とか。「一緒に飲みませんか?」とか。

ないんかい。

誰も僕を相手にしていなかった。


解散となり、よくあるパーティの余韻に浸る権利もないので、真っ先に階段を上がった。

10000円を払って参加したパーティで、誰とも話せず、帰る事になったのだ。

屈辱的すぎた。


「自分ショボ・・・」


小田急線の窓越しに都会の洗礼を受けた自分を眺めていた事を今でも鮮明に覚えている。

読んでよかった
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岡崎 秀哉

2012年独立後、フィットネスを軸にモデル、イベント事業を展開、その後「RIZAP」にて教育、プログラム開発を担当、「FiNC」アドバイザーを経て、現在は都内でパーソナルトレーニングジム(直営2店舗、FC1店舗)を営んでます。幅広い人脈と視野が持ち味。

岡崎 秀哉さんが次に書こうと思っていること

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岡崎 秀哉

2012年独立後、フィットネスを軸にモデル、イベント事業を展開、その後「RIZAP」にて教育、プログラム開発を担当、「FiNC」アドバイザーを経て、現在は都内でパーソナルトレーニングジム(直営2店舗、FC1店舗)を営んでます。幅広い人脈と視野が持ち味。

岡崎 秀哉

2012年独立後、フィットネスを軸にモデル、イベント事業を展開、その後「RIZAP」にて教育、プログラム開発を担当、「FiNC」アドバイザーを経て、現在は都内でパーソナルトレーニングジム(直営2店舗、FC1店舗)を営んでます。幅広い人脈と視野が持ち味。

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