37歳からのベビーステップ

このエントリーをはてなブックマークに追加
6



「早く隣の部屋から紐を持ってきて。あんたの首を絞めるから。」小学校に上がる前の年に、私は母からそんな頼みを聞いた。首に紐をかけられた、までの記憶があるが、その後の記憶がない。きっとあまりの恐怖に、脳が記憶をシャットアウトしてしまったのだろう。
ただ、「私は生まれてきてはいけない子だったんだ。」とその時に思った。

 以前から母は神経質なところがあった。(今思えば鬱病だったと思う。)幼い私には、そんなことはわかるはずもなく、その出来事があって以来、いつもにも増して、母を気遣うようになった。小学校に背負っていくランドセル姿を母に見せることによって、母の機嫌が良くなるだろうか?と、内職をしている母の傍に日課のように、見せに行った。

 小学校に入学後、それとなく友達らしき子もできたが、いつも自分に自信がなかった。私には4歳上の姉がいる。私よりも見栄えがよく、リーダーシップを発揮できるキャラクターで、周囲の評判もよかった。容姿について、はっきり姉と比較されたことも何度となくあるし、母からも「どうして同じように育てたのに、こんなにあんたはかわいげがないのかね。」と言われた。それから、「私はかわいげがない人間なんだ。」との自己評価が追加された。

 生まれてきてはいけない人間は、自分のやりたいことや意見なんて、言う権利がない。親の希望=自分の希望になる。思えば、母が病弱だったために、幼稚園の七夕の際、「お母さんの病気が治せるよう、お医者さんになりたい」と短冊に書いた記憶がある。その頃から自分の願望なんて何もなかったのかもしれない。

 高校の進路を考える際、自分としての第一志望の学校があったが、受かるかどうか微妙なラインだった。三者面談で、親と教師の間で、知らない間に合格安全圏の高校を受験することになっていた。「まあ、私は親が希望しているところに合格さえすればいいか。」と、それで終わった。田舎だったため、公務員信奉が強く、将来公務員になることも、既にその時には決まっていた。折しも、中学3年時に、父が心臓病で倒れた。一命をとりとめたが、次に倒れた時は、亡くなるのは間違いないとのことだった。「今度いつ倒れるか分からないから、学費のことを考えると、県外の大学には行かせられない。地元の国立大学に行ってくれ。」と。高校入学前に、私の進路は決定していた。

 こんな私でも、親に反抗したことは数知れずある。母親に酷いことを言ったことも。今思えば、幼少期に欲しかった愛情が受け取れなかったから、反抗することによって、私に注目してほしかったのかもしれない。ただ、いつも反抗した後は「全部私が悪いんだ。私なんか生まれてこなければよかった。」という自責の念しか生まれてこなかった。



 高校生活もそれとなく送ることができた。ただ、誰にも心を開いていなかったのかもしれない。通学途中に、親友に「〇〇は本当に私のこと、友達って思ってくれている?」と聞かれた。即答できなかった。いつの頃からか、ストレスがたまると過食をするようになった。

 高校生活を真面目に過ごし、地元の国立大学に無事合格することが出来た。父が合格発表を一緒に見に行ってくれた。番号を見つけて握手をした際「お前の手、冷たいな。」と言われた。普段滅多に父とは会話をしないが、今思えば、父との会話で覚えているものの最後がその言葉である。

 大学三年生の夏に父は他界した。私は反抗期真っ盛りだったため、その時はまともな会話なんか何もしていなかった。「どうしてお父さんじゃなくて、いらない私が死ななかったのだろう。」と母に言ったら、激昂され、号泣された。

 大学卒業後、無事公務員となった。初めての一人暮らし、同期の仲間。安定した生活。遠距離だが彼氏もいる。それなのに、いつも不安から解放されず、私の過食はその後もずっと続いた。何に対しての不安なのか、その当時も今もわからない。

 就職5年目で、転勤で地元に帰ってこられることとなった。その時は既に姉は結婚して実家を離れており、私と母との2人暮らしとなった。母との暮らしは緊張そのものだった。愛してほしい、受け入れてほしいと思いながらも、それをうまく表現することが出来ずに、お互いものすごく神経が尖っていたと思う。ほどなくして、私は1人暮らしをするようになった。

 こんな人間なので、恋愛の価値観がずれているのかもしれない。自分に自信がないため、相手に告白されるような場面があったとき「こんな私でもいいんだ。」という理由で付き合うことが多い。中には、私の自己否定感に乗じて、モラハラをするような人もいた。いや、むしろ私がそういう人間にしてしまったのかもしれない。愛情を受け取ること、与えることがどういうことか分からず、愛情確認として、物をあげたり、もらったり、性行為をすることでしか、自分が愛されている存在だということを確かめることが出来なかった。

 就職9年目にして出会った人と、最初から遠距離の状態で結婚。30代という年齢で焦ってした結婚だった。仕事を辞めて、上京したあとに待っていた生活は、主人の度重なるモラハラ発言の上に浮気。挙句の果てに「好きな人が出来たから、離婚して出て行ってくれ」と言われた。わずか1年の結婚生活だった。その時も、「私が悪いから、私がダメな人間だったから、彼は浮気をしてしまったんだ。彼に私が慰謝料を払わなければいけない。」と本気で考えていた。

 無職(専業主婦)だった私は、また働きだした。無職だった際に、唯一発見できたことは、自分が働くことが好きだったということだ。折角東京に出てきたのだから、東京で一生懸命働いて、好きな服を買おうと思った。そういえば、私は服を買うことが好きだったんだな、ということも思い出した。

 就職して3年ほどたち、そろそろ私も彼氏が欲しいと思った。バツ1で30半ばの女は、普通の生活をして出会うのは、ハードルが高いなと思い、最初から情報開示が出来ている、婚活サイトに登録した。そして、素敵な人に出会うことが出来た。

 無事に付き合えることとなり、幸せだった。ただ、私の考え方の癖は治らず、不安になること、気を遣ってしまうこと、頼り切ってしまうこと。物でしか愛情表現を示せないこと。彼はいつもポジティブに励ましてくれた。今まで付き合ってきたタイプの人とはまるっきり違っていて、とにかく私がしたい、ということには、「いいね、やってみなよ!」という回答が返ってきた。職場の人間関係の問題や、2人の将来についての問題や不安が重なり、どんどん私が笑わない日が増えて行った。

 職場を休職し、実家に10日ほど帰省していた。不思議と母と話すのが楽になってきていた。彼氏のことを話たり、本当に他愛のない話を、緊張をせずに話すことができた。また東京に帰ってきてからも、何くれとなく連絡をくれたり、こちらからも電話することが出来た。

 そして、ある日電話で話していて、切り際に「〇〇、生まれてきてくれてありがとう。」と言われた。ビックリした。私は生まれてきて良かったんだ。生きてて良かったんだ。と本当に生まれて初めて思えた瞬間だった。ものすごく泣いて泣いて泣いた。


 母との関係性は少しずつ改善されてきているが、1番近くにいる彼に頼りきっている自分、偏った思考回路の自分、小さなころからの抜けきれない自己否定感。これを変えない限り、私は完全には変われないと思った。そんな中で、セルフカウンセリングとヨガに同時に出会った。セルフカウンセリングは自己認知療法をベースにしつつする、カウンセリングで、最終的に、自分で自分をカウンセリング出来るようになるもの。ヨガはいわずもながだが、自律神経に作用し、神経を穏やかにするものである。

 少しずつでも変わっていければ、と思い、彼にその2つをやってみようと思う旨を告げた。彼は、彼なりに色々悩んでおり、「〇〇が努力をして、少しずつ変わってきているのは、傍で見てすごくいい方向に向かっていると思う。ただ、正直なところ、今の〇〇と一緒に生活するとか、結婚とかは想像が出来ない。〇〇が僕に依存するのではなく、きちんと自分の足で立って、やっていけたら嬉しい。今期待していることは、〇〇が4月からまた働き始めて、職場の人といい関係を築き、『職場の人と飲みに行ってきたよ』とかいう、楽しい出来事の報告を聞くことだ。」と言われた。ただし、「ずっと待つとは言い切れない。」とも言われた。そして、お互いしばらく距離を置くこととなった。

 ただし、完全に別離するのではなく、カウンセリングやヨガに言った報告をしたりなど、日常的なLINEをしたりすることは続けることになった。

 36年間の思考の癖を急に変えることは正直難しいと思う。ただ、今ここで変わらなければ、せっかく母親が生んでくれた人生をすごく無駄に遣ってしまうことになる。そして、この癖はきっと治ると信じている。

 「もう大丈夫!」となったときに、再開し、彼とまた元の関係に戻れるか、それとも戻れないかはわからない。ただ、「もう大丈夫!」となったときには、自分の足で立っているから、きっとどういう結論に至ったとしても大丈夫なんだろう。

 私は明日から37歳。世間から見たらもう十分立派な大人だけれども、ベビーステップで自分の足で立っていくことを始めたい。

 私のことをいつも支えてくれている人たちみんなに感謝しています。ありがとうございます。





読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

|

最近「読んでよかった」がついたストーリー

違和感を感じたら、さっさと居場所を変えましょう

逆境の中でも夢を諦めたくない女性へ

15年間以上悩んだ自律神経失調症を1日で克服させてくれた父からの大切なプレゼント

ワイルドな顧問と出会い、バスケ部の男子マネージャーになった話。

カースト制度とその内側

【社会人編①】夢破れ、社会人に…でもいきなり挫折からスタート

★9★シングルマザーが子供二人を連れてイギリスに母子留学。 心の洗濯して帰国したら、グローバル企業正社員への道が待っていた話。【夜中に洗濯機が走るこわーいお話】

19歳でフランス外人部隊に入隊。22歳で戦場に行った話。その1(入隊)

【THE九州男児な父へ】45年勤続した会社の最終出社日を迎えた父に贈った娘のお手製『私の履歴書』

★2★シングルマザーが子供二人を連れてイギリスに母子留学。 心の洗濯して帰国したら、グローバル企業正社員への道が待っていた話。【ビザ!ビザ!ビザ!】

★0★シングルマザーが子供二人を連れてイギリスに母子留学。 心の洗濯して帰国したら、グローバル企業正社員への道が待っていた話。【プロローグ】

「お腹の子は、無脳児でした。」~葛藤と感動に包まれた5日間の記録~

【メンバー募集】「そういうわけで、僕たちはバスケットボールを始めることにした」

中度難聴だと知って変わったこと

子育てを通して感じる保育・教育

CHIHARUさんの他のストーリー

  • 37歳からのベビーステップ