餃子の歴史をきっかけに台湾できゃりーぱみゅぱみゅを全力で踊って超絶モテモテ!そしてフロリダディズニーのおねえさんとなった話。

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2010年、夏


大学で国際文化系の学部に所属していた私。


英語は必修で、それから、更に第二外国語としてフランス語、韓国語、ドイツ語、中国語の中から1つを選び履修することになっていた。


「う〜ん、どーする?

あんたはどれにすると?」


高校時代からつるんでいて、

大学も同じ学部に入った友達と

そんな会話。


「中国語さ、漢字でしょ?一緒やん!なら簡単やけん、これにしよ」


そんな理由から中国語を一緒に履修し始めた。


初めての講義。

みんな決まって後列に座りたがる。


遅刻気味のわたしと友達も、

後ろから数えたほうが

早い列に座った。


ガラガラ、、、

教授が入ってきた。

白髪頭で眼鏡をかけており、常に笑顔の気の良さそうなじいちゃん。


その手にはなぜかシャンプーの詰め替え用みたいな容器と、黒くてでっかい、いかにも年季の入ったラジカセ。


「ニイメンハオ。はい、みなさんはじめますよ。ど〜してみんな後ろに座りたがるかな」


優しそうで面白そうなじいちゃん先生にわたしと友達は、


「こりゃ、単位いけるんやない?」

とニンマリ笑った。


教授は名簿を見て

「え〜〜〜、イエンヨン。イエンヨン」


教室のみんな、うっすら笑いながら、

ハテナハテナ??の状況。


「学籍番号、10112006のイエンヨン?」


「?!ハイ!」


びびびっくり。

イエンヨンとは私のことだった。


「あなたは今日からイエンヨンですよ」


えっw

「は、はぁ、、」


「日本語あいうえお、では1番上にあなたが来ますね。はい、では1番前のここ座りましょうか」


えー席決められるんかい!

とちょっとがっくり。


でも、続いて

「ジームウ、ジームウ」

と呼ばれ、なんとたまたま私の友達が横に座らせられた。


それから教授は立て続けに

「ドゥオーチゥダオ」

だとか、


「ティエンチョン」

「ドゥービェン」

というふうに、


みんなを中国語名で読み上げ席を指定していった。


順天堂ドス 


可愛いパンダの顔面が表紙のテキストを、一斉に皆で目を通していく。


すると教授、

「ジュンテンドー ドスかあ」


クラス全体もうハテナである。

みんなを置いてけぼりにしてるのに気がついたのか、


やっと

ここよ!ここ

と指をさしていた。


そこには

任天堂DS


ニンテンドーディーエスの文字。


どうやら任天堂DSとパンダのテキストがコラボしており、アプリか何かをダウンロードすると中国語の音声が聞けたりするもののようだった。


そんなこんなで


天然、ゴーイングマイウェイのじいちゃん教授のご指導の下、中国語を3年間学んだ。


教授が手に持っていた

シャンプーの詰め替え用みたいな容器。

彼はこれをおもむろにを吸い始め水分補給。


どうやら山登りなどアウトドアスポーツで使用される、"折り畳める水筒"だったよう。


でもそのとき、クラス全体は

あのじいちゃん教授のことだから、

先生何飲んでんの・・・??

と、心配ムード全開だった。


講義は、いつも教授が持参していた

横幅があり分厚い、黒くて大きいラジカセ。


これを用いて

壊れたんじゃないか?というほど

同じ文をリピート再生させる。


それにほぼ間髪入れず、生徒皆で

リピートをする。



「ウォーダファンジェン ザイジーロウ」

「ウォーダファンジェン ザイジーロウ」

(ちなみに"私の部屋は何階ですかの意)



これをうそだろ位リピート。



そしてやっと次の文、

「ザイスーロウ」

「ザイスーロウ」

「ザイスーロウ」

(4階ですよ)



これをはたまた永遠リピート。

はたから見れば

かなり怪しい団体である。

饺子的来历(チャオズダライリ)



マイペースおじいちゃん教授の

クレイジー講義を1年間受け続けた頃から、

クラスのみんなの中国語発音に変化が見られ始めた。


みんな、おしなべて

べらぼうにうまくなっていたのだった。


中には1年間の中国留学に行く子も増え始め、みんないつのまにか中国語が大好きになっていった。



そして中国語履修2年目に突入する。



そこで大学内で行われるイベントの第一回目が開催される。

「中国語スピーチコンテスト」である。


2つある課題文から

ひとつを選び、

最優秀賞と優秀賞を決めるというもの。



当時、おなじみジームウ(友達)

と一番前の席にも関わらず、

じいちゃん先生が

面白すぎて爆笑したり、と

お喋りが多かった

イエンヨン(私)とジームウ。(友達)


発音がべらぼうに上手くとも、

授業態度に併せ、小テストの結果がよろしくないため、単位が危うくなり始めた。


そこで、コンテストに参加したら

加点するよとおじいちゃんに聞き、出場を決意。


私は、

課題文①の饺子的来历(チャオズダライリ)を選んだ。


その名も、「餃子の歴史」


そして数日が経ち参加者の内訳を聞いたところ


参加者は全員で10人


中には1年間の留学から帰ってきたばかりの子、留学経験者の大学職員やら。



参加者全員留学経験者かよ!



全部で3分ほどの課題文を暗唱し、

発音、表現力も問われる。


私は片っ端から大学内の中国、台湾からの留学生の友達に発音指導を頼み込んだ。


あるときは携帯のボイスレコーダに

その友達の声を入れ、

自転車での移動中などに聞き、中国語独特の抑揚やリズムをたたきんでいった。


あるときは母の作るご飯もそこそこに、1日で100回暗唱した。


そのときの手帳に書いた正の字は狂気の沙汰である。


当日、審査員となるじいちゃん教授にもなんとか頼み込み、最終チェックをしてもらった。


準備は万全、

もはや私は餃子のエキスパートだった。


餃子のエキスパートとなった私は

いつもならギリギリで行動するが

その日は違った。


会場後方には

私をたくさん指導してくれた、たくさんの中国、台湾の友達が見にきてくれていたからだ。


もう1つの課題文はちなみに

②福到了

(福が逆さま)である。


参加者の半分が餃子、

残り半分が福を選んでいた。



もはや餃子で負ける気はしなかった。



この、学内スピーチコンテストといっても、

協賛は中国春秋航空となっており

これは絶対、絶対、

旅行券が当たる気がした。


単位もだが、旅行券が欲しすぎて

ますます餃子熱が高まった。



そして第一回目の発表が始まった。


私の順番は6番目

イーショウ チャオズ・・

(みなさん、餃子といえば、焼き餃子のことを思い浮かべますでしょう?)

で始まる餃子の歴史の課題文。


餃子組が何人か発表したが

緊張で文が出てこなかったり

途中が飛んでしまったりと。


もはや私の前に敵はいなかった。



そして、、

来た。

「イエンヨン」

私の番。

ジームウ爆笑



充分な練習の成果で

スラッスラと次から次へと文が出てきた。


その安心感から会場を見渡し

審査員を見渡し、

手伝ってくれた友達に微笑む余裕さえあった。


ただジームウ、

私の高校からの友達で、

となりの席で中国語を受けた彼女だけは大爆笑している。


あまりに必死な姿の私に

笑いをこらえずにいられなくなったらしい。


そんなこんなで

無事、第1回目の発表は終えた。


これを基に、第2回目の発表へ進むことができる者が振り落とされる。


その数、半数。


餃子では私がぶっちぎり1番だという自負があった。


第1回通過者3人。


実際通過したのは3人とのアナウンスがあった。


1人目、私と同じ課題文の餃子を発表した留学経験者の大学職員


2人目、留学経験者であり、課題文「福が逆さま」を発表したドゥオーチゥダオ。


そして最後3人目に


わたしの名

イエンヨンが呼ばれた。


さて、

ここからが本番である。



課題文「福が逆さま」を選んだ

ドゥオーチゥダオの表現力には

目を見張るものがあった。


中国本土で得てきた滑らかな

唄うような発音。


それに福と書かれたボードをくるくる持って


表情も、物語そのまま

表現力豊かに発表していた。



ここまできたら、

優勝したかった。



餃子で優勝して、

タダ航空券で中国の点心を食べまくる。

もう心の中では片足、中国本土に入り込んでいた。


あたりを見渡す余裕があったものの

両手はほぼ身体の側面に置きっぱなしだった私の発表。


第1回と同様、第2回目の発表でも素晴らしい演技をしたドゥオーチゥダオ さん。


このまま、何かせずにはいられない。


作戦変更のときがきた。

オーバージェスチャー作戦である。


3分間の餃子の歴史のスピーチの中で、


聞き手に問いかけをする、寒がる、餃子の具を刻む、などいくらでもジャスチャーできるところはあった。


急遽だったので、あまり考えず、


その都度スピーチをしながら思いつくものをかなりオーバーに、何十個もジェスチャーしていった。


目をひんむいて必死なってる際、

またもや爆笑しているジームウが目に入る。まさに悪友。

つられて笑いそうになる。


会場にいる人全員の頭上には

『さっきよりアレンジしてるやん、、』

と書いてあったけど


もはや恥かしさなど無かった。


むしろ

これを見よ!!の態度だった。


ぶっつけでジェスチャーをぶっこんだ為、出来はもうよくわからなかった。でもやりきった。


そして結果発表。


第2位から先に名前が呼ばれる。

半分の私が全力でいける!いける!と叫んでいて、

残り半分の私が えっそんなに自信満々じゃ恥ずかしいよ という。


そして、、

第2位!

イェンヨン!!!


わたしの名前が先に呼ばれてしまったとき

あーーーー!!!!!っと

頭を抱えた。 


でも、すぐ気を取り直し前に出た。


第1位はやはり、"福が逆さま"のドゥオーチゥダオでした。

前にある壇上に上がり、総評が行われる。


発音が〜とか、表現力が〜とか言われるなか、会場のみんなから

「こいつ絶対一位と思ってたやろw」

と見られている気がして、恥ずかしくなった。


持たされた賞状と盾を持って

ジームウのとこへ戻ると、

珍しく大爆笑はしておらず、

素直にがんばったねーと言ってくれた。


ん?!

つか!!

旅行券は?!


1位のドゥオーチゥダオに聞いても、

いや〜なんも無かったよ〜と笑


うぉおおおい!!

半分中国大陸に突っ込んだ

あたしの片脚返せw


と、そんなこんなで中国語は単位も足りて、その後も面白おかしく続けました。


大学では、部活三昧だった私、


ひょんなことから 流暢になった中国語を試したくなり、

かといって長期留学するお金も無いので台湾へ三週間の留学に行くことに。



留学と書いてこの場合飲み食べ遊ぶと読みます。



場所は南部の高雄、

文藻大学。うぇんざお 。

台湾の台北に続く第二の都市高雄にあり、

外国語学部が細かく分かれ

国際教育に力をいれている文藻大学。



日本語学部、フランス語学部など

言語ごとに建物が分かれている。

早速大学内の国際課へ行き、申し込み。


どうやら、申し込み期限ギリッギリのようで

定員に達しているかもしれず、参加出来るか定かではないとのこと。


日本にある他大学から

参加する人が結構いるのか〜


そのときは、他の参加者が

「どんな感じで中国語学んできたのかな〜

まさか餃子の歴史は言えまい 」

という位に考えていた。


そして

国際課より、なんとか許可がおりたと連絡があり3ヶ月後位に出発と聞いた。


出発当日。


地元の空港から、わずか3時間ほどで到着した初めての台湾、桃園国際空港。


なんとも言えない漢方のような、

香辛料の匂いと、

とにかく湿気がボディーブローのようにすごかった。


流暢だと思っていた中国語は

「〜へ行くにはどうすればいいですか?」


も言うことができず出鼻からくじかれ、

いかに自分の中国語のボキャブラリーが

餃子の歴史に偏っているかを実感させられた。


でもほぼ一緒の漢字を使っている

中国語!


困ったときは筆談!

でほぼすんなり通じた。


到着した台北の空港から、

高速鉄道で南部、高雄へ。


広々とした車内で、指定された席に座っていると前から赤ん坊が顔を覗かせていた。


小声で、餃子の歴史を話してあげた。


赤ん坊のお母さんは、私を見て台湾人だと思ったらしく、


おそらく「あやしてくれてありがとうね〜〜」みたいなことを言って

先に降りて行った。


3時間ほどで第二の都市高雄へ到着。


ここも変わらず湿気がボディーブロー。


そこから、目指す文藻大学までタクシー。


タクシーの運ちゃんは、確か

「君はなんて言っているか分かんないけど、

発音はいいねぇ」

と言ってくれた。


そして、運ちゃんが荷物を門まで運んでくれるサービスもうけ、普通に大学へ到着


中華街の門みたいなものがあったりと

とにかくでかい大学だった。


どデカイスーツケースを転がし、

歩いていると、


真向かいからスタッフ風の水色のTシャツを着た子が何人かやってきた。


「study program?」


台湾なまりの愛着ある英語で、留学生だね?みたいなことを確認してくれ、


またもや荷物も持ってもらい、一緒にいまから暮らす寮へと歩いて行った。


少しは聞き取れると思った中国語が

全く分からん!!汗

でもたまに聞き取れる。


その子は何度も

あっつ〜〜!という仕草と共に

ニィエン ニィエン ダ!

ニィエン ニィエ ンダ!

と言っていた。


後から知ったが、

どうやら(台湾の天気は)ベッタベタするね

ということを言っていたらしい。


雑談をしながら、受付らしきところに到着。


すると長机の上に

名前と、その出身国の国旗が書かれた名札が置いてあった。


久しぶりに、周囲で

中国語以外の言葉を耳にする。


イタリア語、フランス語、スペイン語、

韓国語、英語、タイ語、それからベトナム語も飛び交っていたようであった。


私が言い慣れた風に

自分の名前、イェンヨン ファンツァイだと伝え、日本から来たことを言うと、

一度その受付の3、4人とも手を止め、私を見て


アイ〜!!!っと

日本人だ 日本人だと凄く嬉しそうだった。


日本のどこなの?と聞かれ


「佐賀ばい」と答えると


「佐贺大妈!」

(ズオフー ダーマ!) 

とさらにテンションが最高潮に。



台湾で、「佐賀のがばいばあちゃん」が上映されたばかりの年ということもあり、ものすごく歓迎された。


ここから、

衝撃の事実を知る。


参加国、アメリカ、スペイン、ベトナム、イタリア、タイ、フランス、ベルギー、韓国、日本の9カ国。

参加者40人越え。


日本人、私1人。


まじか!!


台湾人で私のお世話係になった

レベッカという子が、

習っている最中の日本語で

「知らなかったの〜?ダイジョブー」

と励ましてくれた。


そっから

クレイジーな三週間が始まる。


寮は、2人部屋だと聞き

向かった先には、恰幅のいい、おっぱいが半分出てるアメリカ人がいた。


ハ〜イ!


と言われ、自己紹介を簡単に済ます。

中国語できるの?

ときくと、自信満々に

できるよ!!!とタップリのマスカラがのった目をバチバチさせながらいう。


ニー↓ハオ↑!!

発音をやり込んだ私からしたら、

めちゃくちゃなニーハオ!だった。


どうやらニーハオ!だけ

話せるようなので

そこからは英語でお互いのことを話して

笑いあった。


確実に年上と思ったクリスタルは

なんと3つ下の18歳だった。


すでにお買い物袋をぶちまけており、


思ったことは全部いっちゃう!顔に出ちゃう!わかりやすいアメリカの女の子だった。


ど素直で正義感強く、

自分のことはプリンセスと思っている


クリスタルのことを、私は大好きになった。


ウェルカムディナーが

どこかの講堂であり、そこで初めて

全員と顔を合わせた。


私がとにかく仲良くなったのは

お世話係をしてくれた台湾人のレベッカ、

フランス人のルイーズ、ジェニー、

韓国人のシヨル。


簡単なテストでレベル分けがされ、

3つのクラスに分けられた。


私が入ったのはルイーズやジェニー、

シヨルらと一緒の1番上のクラス。


日帰り探索の日や

朝から太極拳の日、買い物に行く日

常に行動を共にした。


お互い違う言語を話す国から来たのに、

同じ言語を学び、同じネタで笑う。


ラードーズー

下痢。


世界各国、下ネタ大好き。

授業中のペアワークでは

言い間違いが面白すぎて、

笑いすぎて腹筋が痛くなったり

お互いをイジり倒し笑い死にそうになっていた。


ある日はフランスの二人組が

私の部屋で

フレンチブーブス!!

(フランス産のおっぱいや!)

と言いながら即興のダンスをしたので


そのビデオを撮ってフェイスブックにアップしたり

(あとからめちゃめちゃキレられる)


私がフランスのルイーズが持ってきた

かなりピチピチのパーティドレスをきて

お尻を掻きながら


ジョルキュッ キムガーッツ!!

(あたしの可愛いケツがかゆい)

と言うなど。


お互い変なことを言わせ、言わせられ

ゲラゲラ笑いながら日々過ごした。


ある夜は、クラブに行こうとたくらみ

寮の門限をめぐって

台湾スタッフ側とフランス、イタリア、アメリカ側で大モメ。


寮の門限は22時となっており

それ以降は鍵がかけられ中に入ることはできない。


そのことが

ナンセンス!ありえない!と

22時以降に外出しようとするパーティーピーポーたち。


わたし、日本と韓国側は

う〜〜ん、決まりだから仕方ないかな〜

とリアクションの違いでお国柄がでた。


結局、わたしや韓国の子らも含め

参加者の半数ほどでクラブにいざ出陣!

クラブの入り口で

私はVIPだとか言いながら

はいはいと入れてもらうフランス人。


暗く広いクラブ内には

いくつかソファーがあり、

留学生組はそこを陣地とした。


そこで、初めての体験。


参加者の1人、イタリア人のクラウディオ。


テキーラを口に含み、みんなとキスしまくる。


まさかと思ったが、ついに私の番がきてしまった。


必死になり

彼氏いるから〜〜!!と抵抗する私。


それを見て爆笑する周り。


クラウディオがささやく。

「僕はゲイだから大丈夫☆」


と半ば強制的にチューされ

テキーラを飲まされた。


そんなこんなで、クレイジーな

台湾でのクラブナイトは、


気付いたら私がポールダンスしていたり

ダンサーさんが一定時間おきに上がるステージに留学生組が上がり込み

好きなように踊りまくるなど

めちゃくちゃやりたい放題して幕を閉じた。


結局朝まで寮の玄関が開けられないので

マックのキッズコーナーで

大の大人たちが雑魚寝した。


ちなみに私はキッズの滑り台で逆さまに寝ていた。


全員二日酔いの状態で帰宅し

軽くお説教をうけ、

また何時間か後にある

太極拳クラスに備えた。


ある日は、ふざけあいじゃれ合っていた時に

フランスの二人組のせいで

私が後頭部を床に打ち付ける事態が起きた。


深夜の病院でスキャンを受け、

怖くて泣きじゃくる私は

車椅子に乗せられ

無事何もなく、次の昼には寮へ帰還。


寮の部屋で寝ていると、

責任感を感じ、申し訳なさで

泣きじゃくったフランス二人組が

入ってきた。


手には近くの1番美味しいケーキ屋さんで

買ったというドラえもんの顔

そのまんまのケーキ。



何回も謝ってくれて

ドラえもんの真っ青な色したクリームを

食べさせてくれた。


仲直りして

迎えた書道の時間では

墨をたっぷりつけた筆で

お互いの顔に落書き、


フランスのルイーズは

中国語で馬倍倫 (マーペイルン)

といったので

腕やら頬に、馬と書きまくった。


二日酔いの風の馬だとか、

下痢気味の馬、

太り気味の馬、

ガリガリの馬と書き分けて

身体中にいろんな字体の馬を書いた。


お返しに、

「なんでそんなに漢字書くのが

上手いんだよ〜〜ずるい!!!」と

訳のわからない漢字を至る所に書かれた。


そんな中、帰国まであと一週間と迫った日


来週、文化之夜 

ウェンファー ジーイエ!

「文化の夜」

というのがあるよ!

とレベッカから教えられた。


どうやら、各国それぞれが出し物をする夜らしい。


各国?!


それ日本代表て あたしだけやん!!!!

レベッカ「そうなるね〜ははは」

他の国は4〜9人ずついる。


ヤバい!と思い

相変わらずフランス人の2人と

おバカな日々を過ごしながら

何をするか練っていった。


日本文化が大好きな台湾人が

周りに多くいたこともあり、ありがたいアドバイスを受けながら

高校時代に夜中youtubeで意味なく

猛練習した

涼宮ハルヒのハレハレユカイ


きゃりーぱみゅぱみゅの

PONPONPON

を踊ることに。


今でこそアニメは世界で市民権を得ているが、その頃は本当に適当に

これぞ日本文化でしょ!!!


と根拠のない自信のまま、毎晩練習していった。


国代表といっても、

ただ1人なことを心配してくれた何人もの台湾人のスタッフたちが、

手伝う!!と言ってくれて


ハレハレユカイは

わたし+台湾人4人の計5人で踊るという謎の構成になった。


ハルヒ役の私を中心に、何人かがサブキャラを演じながら踊り、私を引き立ててくれた。


高校時代の記憶を元に、

中国語でアニメソングのフリツケを台湾人に指導する自分が面白くてたまらなかった。


みんな持ち寄ってきた白いブラウスに

ミニスカ、可愛らしいバンダナなんかで

準備万端だった。


うち1人の台湾人は私よりキレッキレな程だった。

二曲めのきゃりーぱみゅぱみゅは、

私のソロパートかのように1人で一曲踊ることになった。


元来適当な性格な私は

基本的な動きは大体、練習したら

細かいところはもう自己流でしてやろう〜

という気でその日を迎えた。


ご丁寧にリハーサルも終え、

私のために両手手ぶらで踊れるように

ヘッドセットのマイクも準備されていた。


大講堂で行われたその文化の夜は、

学長の挨拶から始まり、

今までのフラッシュバックのように

思い出の写真がスライドショーで流され

台湾人スタッフの出し物と続く。


ベトナム、韓国、ときて

タイ組のゾウのダンス

フランスの飲み会ソングなど

各国の文化がありありと出し物に表れ

ついに7番目、日本の番がきた。


横でスタンバイしている時点で、

加油!ジャーヨウ!

とか、

ヒュウーッとか声がした。



そして本番。



司会の一声で幕開けである。

イーベン!!!(日本!)


台湾で、こんな大音量で

聞くはずのないアニソンが流れ出す。


私よりしっかりした

台湾人の4人組もしっかり位置についている。


テッテテテ〜〜

テッテテテ〜〜♩




ゆめ★ゆめ好きでしょ♩


サービス精神の旺盛さが全開になり、

大ウケしているのが楽しくなり


練習より倍のキレキレさで踊った。


さいごのハルヒのポーズ、

くるっと回ってビシッ!!!

絶対、パンツ丸見えだった。


でもどうでもよかった。

ウケさえ取れるなら

パンツなんてくれてやる。


そして4人の愛する台湾ガールズが

ステージからはけ、

私1人のオンステージ。


続いてまたもや台湾で流れるはずのない

きゃりーぱみゅぱみゅ。


♩あの交差点で〜

から始まる歌詞は、覚えてないので

口パクだったがノリでなんとかした。


ぽーんぽん。

うぇいうぇいうぇい!



でもポンとウェイが早すぎて、多すぎて

いつの間にかひっくり返り

めちゃくちゃに。


会場一体が、真似しながら大ウケ。

練習の時あまり意識していなかった

間奏の部分。


本番で気付く。


長い、、!!

このSTORYS並みに、長い、、!!


そこでとっさに思いついた

先日クラスみんなでやった朝イチの

太極拳の型!!


間奏が終わると同時に

太極拳の最後のポーズをねじ込み、

タイチー!タイチー!(太極拳かよ!!)と


みんな大爆笑。


気付いたら会場は

私の名前の大コール。


気づくとみんなが

スタンディングオベーションで

私の名前を呼びながら大声援と拍手を送ってくれていた。


ステージを降りても

みんなの興奮冷め止まず、

PONPON〜とか

ウェイウェイ〜〜とか言われ続けた。


完全にやりきった、、!


もう台湾でやり残したことはなかった。


文化の夜の幕が下りた時

三週間濃い日々を共に過ごしてきたみんなが

ぎゅーっと、抱き寄せてくれ

初めて、これが海を越えた友情かと実感し

涙が止まらなくなった。


相変わらずフランス組は

バカみたいな事ばかりして

私を泣き止ませようとしてくれ、


この出し物を見に来ていた学生でもない普通の地元民からは

お守りと共に感動した!とお金を持たされ、

私との2ショットを撮るために

台湾人スタッフ、留学生たちそれから地元民の長蛇の列が出来た。



帰国の日。



それぞれが空港へと向かうタクシーに乗り込み、ある人は涙し、ある人は笑い、


再見!

とその漢字の通り

また再び会いましょうと言葉を残し

去って行った。


そして私が乗り込むタクシーが来た時。


1番仲よかった台湾人のレベッカが

ぎゅーっと

「また会おうね」と言ってくれ、


韓国のシヨルが

流暢で、韓国なまりのある中国語で


「いろんなことあったけど、

本当にクレイジーだったね、また会おう」

と言ってくれた。


そこにはフランスの二人組はおらず、

私は寝てんのかなー、

見送りくらい来てほしかったなー

と思っていた。


すると、

白いまぶた、目の周りを真っ赤にして

走ってくる2人。


フランスのルイーズとジェニーだった。

興奮しすぎて、

英語とフランス語と中国語が

混ざっていたけど、

どうやら、別れが寂しすぎて

部屋でおいおい泣いていたらしい。


いつもふざけまくっている2人が

ここまで涙しているのは初めてだったので

私も心の真ん中がじわっと温かくなり

涙腺が崩壊し


またフランスか、台湾か、日本か

どっかであおう!!とギューっと抱きしめた。


帰りのタクシーから見る風景は

まるで違って見えた。


運ちゃんの小言も聞き取れる余裕があり、

ああ、あれが美味しかった水餃子屋さんだ

あ、あれあの時のマックだ

と濃すぎる三週間を振り返っていた。


、、、、、、、、、、、


あれから5年。。。。。


台湾のレベッカは現在沖縄で仕事をしており


フランスのジェニーは再び文藻大に戻り中国語を本格的に勉強している。


フランス人のルイーズは中国の四川大学にて学生を続けている。


私はというと、フロリダ州のディズニーワールドでの仕事を終え、



フローリダ??



おおお〜

ここが、ミッキーちゃんワールドか〜


フロリダのオーランド。

その街に着くと、

街全体がもうミッキーちゃんだらけだった。


台湾でウケた経験を生かしたいと世界に出たわたし。


プルートも、プードルも

チップもデールもどっちがどっちか分からんが!

来てしまった!


ミッキーちゃんワールド。


人種のメルティングポット(るつぼ)

と言われるアメーリカで、


さらにもっともっと

世界中から人が集まる

フロリダ ウォルトディズニーワールド。(WDW)


この街には、ディズニーランドのようなパークが脅威の4つもあり

その周辺のリゾートホテルなどとも、モノレールで繋がっている。


その4つの中で

エプコットという

巨大なゴルフボールがドカンとあるパークで、私は働くことになったのである。



このゴルフボールのすぐそばに

巨大な人口湖があり


その湖の周りを、11カ国の建物が並ぶ。




年がら年中、世界万博ゾーン!


ここへ出勤するバスなんて、

超カオスなわけです。


キャストメンバーはみんな寮に住んでいて

そこからエプコット行きのバスに

11カ国はたまたそれ以上!の国籍の皆さんが乗車。


国民性でまくりの車内は

ハプニングあり、笑いありロマンスありプチバトルあり。


ここフローリダでは、台湾よりももっと、多国籍なお付き合いをすることに。


特にルームメイトのイタリア人

アンナちゃんとは、オンオフよく過ごしました。


アンナは私より少し遅れて

フロリダ入りし、

私の住む寮にやってきた。


ガチャリ


ゴロゴロ・・(スーツケースを転がす音)

アンナ:ケッパーレ・・!(ふう疲れたー)


カンナ:オッ!ハアイ!


ウェルカムトゥージャパン!

(日本へようこそ)




実はこの時、私の住む寮の家は

なぜか5人とも日本人で


夢の国際生活う〜!いずこへー!

と私は少しガッカリしていました。


そのまるで日本!の環境に

最後の6人目、

パッキンキンのイタリー。




「オーカンナ?」

「オウ!アンナ?」

『HAHAHA!』

(似てるな!)


となり、


アンナはフランス語も話せたので、

台湾であのフランス人が教えてくれた

「ジョルキュキムガーッツ」

(私の可愛いケツがかゆい)


だとか、

「今日は暑すぎて働く気がしない」だとかを披露。


それからセーラームーンの歌を歌ってあげたり、

(なぜかイタリアのアンナ世代でセーラームーンが大流行していた)


お互いの国の下ネタを話し爆笑。


イタリア語の飲み会ソングを

教えられたので、うまーく発音したら

はたまた大ウケし、


お返しにアンナに


「ノンデノンデノンデー♪」


と言わせたら、

あまりに流暢に仕上がり

私も大ウケ。


アンナ
Oh well I was so worried that I heard there're only Japanese at the apartment that I'm supposed to live in! (もー実は日本人しか住んでないって聞いて、結構不安だったわけよー)
カンナ
Awww I know how you're feeling. But don't worry Anna, I'm super happy that I can welcome you as my family! (まーそうよね、でもアンナ心配しないで!あたしアンナが来てくれて超うれぴよだから)


到着したその日めちゃくちゃ意気投合し

そんまま、寮のプールいこ!!となり


2人とも、ムダ毛処理もあまあまに

2人でぷかぷか泳ぎに行ったのも思い出の一つ。


そこでなぜかカルマ(輪廻転成)についてとか、

飲み会ソングについてだとか、

男とはについて語り号泣。


私の英語力は今を10とすると

このとき6くらいだったので、


かなり英語が達者な(特にキタナイ英語は特に達者)アンナに相当鍛えられることに。


アンナは話していて

「やっと英語でウケを取れる人が見つけた・・!」感が半端なくて


いかに、おもしろおかしく、

アンナを爆笑させ伝えるかにかけていたので


このときが、一番、

私の英語力は伸びに伸びました。


パーティーピーポーなご近所さんとお付き合いを大切に、

警備の人にチクられないよううまく騒ぎ、


ニュージーランドの子と

スイートな夜を過ごし。


中国人に囲まれ

激辛料理やさんに連れて行ってもらい、


アンティグワ(カリブ海に浮かぶ国)

のブラックの男の子にぞっこんになり、


88マグナムというピンクのお酒を飲みまくり

気づいたらベロベロで車椅子の上で。


ディズニーよりユニバーサルに行き。

自分用の杖を選んでもらい、

歩いていた闇の魔術師に呪いをかけられ・・


アンナとマナティーを見に行き

そこで彼女の一句


"They're so lazy just like you!"

「奴らはあんたと同じくらいめんどくさがりやん」



異国間で

寝取り寝取られ問題やら


21歳未満の中国籍の子が

料理酒所持で母国へ強制送還されたり

(アメリカでは21歳から飲めます)


おだやかじゃない事件もいくつかあったり、


ミッキーちゃんだらけの人工物に

疲れてしまい


人生初ちょいとした"うつ"っぽいのも

経験したりもありました。


でもそんなとき

どうやってフロリダライフを

おもしろおかしく、

満たされたものにするか

ずーっと英語を話していました。



(左側が初めて出会った日、右側は1年半後のお別れのとき。2人ともぷくぷく。)


フロリダで得た教訓の一つに


" Once in black, you never go back"

(一度ブラックピーポーにハマったら

ぬけられないわよ)


・・じゃなくて


"LIFE IS SHORT, EAT DESSERT FIRST"

(人生は短い、デザートはお先に!)


というのがあります。


最初みたとき、

そのまんまの意味で受け取り、

「そうかそうか」と

デザートを先に食べていたんですが


じゃなくて!


デザート=やりたいこと

を先伸ばしにせず、まず先に!


私にとって、

外国語を話すときにいちばんやりたいことは、

わたしと、わたしの周りの人が

爆笑していることだったんです。


とにかくウケたい!


笑っているときって、

不安も、余計な駆け引きもなく

無防備で手放しで笑えてますやんね。


こうして、

大事な大事なソウルメイトを

フロリダで見つけ、


大好きなチキン南蛮がある

日本に戻り、地元が寒かったので

南の島へ移住しました。


人口2万ちょいの島で、

外国人は4人と。

それでも外国語を話したい!


島に移住して2年が経ちますが

おかげさまで、英語を話さない日は無いです。


中国語もぼちぼち。

餃子の歴史はついこないだ、

地元の友達の結婚式の余興でやってきました。


ふふふ。


このストーリーを見た人が、

ほんのちょっと、にんまり笑える一日になっていて、


英語を頑張っている人が、教材を読み続けるんじゃなくて

ヒントを得て今の立ち位置から一皮ずるむけしますように!


長々とスクロールして

お読みいただき、テンキューッ!


谢谢大家!


オーマイブッダかんな


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そんな私が自分の人生で大切に思う5つの在り方がこちらです。

#LET'S CRACK PPL UP TOGETHER

カジュアル英語で世界中の人と笑いあう達成感を共に味わおう!

#AWESOME JUST THE WAY YOU ARE

あなたは、そのままのあなたが素晴らしい!

#GIVE A TOAST ANYWHERE ANYTIME

好きな人と好きな時に好きな場所でカンパイ!ができるライフスタイルで生きる。

#I'M COMING IF YOU'RE IN NEED

あなたが必要なとき、わたしはすぐに会いに行く!

#EAT DESSERT FIRST

人生は短い、デザートは先に食べて。人生でやりたいことは先にしよう。好きなことで自分の人生を生きる。


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かんなさんの文章、相変わらず最高です!

めっちゃ笑いましたー!!
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