「懲役40年って、本気で言ってんの?」〜新社会人に向けて、僕なりに伝えたい本当に大事なこと。〜

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どうも、ものかきの村田悠です。

4月ということで、新年度が始まりました。

新社会人に関する話題が飛び交う中、僕も何か言いたくなったので、ちょっと書いてみたいと思います。


最近、Twitterのトレンドワードに、新社会人の今後の人生を皮肉った「懲役40年」という表現が上がってきました。


こんな感じの図と一緒に、Tweetされていたと思います。


どうやらこの「懲役40年」という言葉は、社会人になって、会社で定年までずっと働き続けることを意味しているようです。図をみればわかるとおり、囚人と社会人の日常を比較して、「囚人よりもしんどい毎日をお前らはこれからずっと送らなきゃいけないけど、まあ頑張れよ」という皮肉を言っているみたいですね。


皆さんはこの表現、どう思われましたか?


なんだ、うまいこと言うな、なんて思う方もいるかもしれません。


しかし僕は、

「懲役40年って、本気で言ってんの?」


と、それはそれは、びっくりしました。


僕はものかきですから、普段は一方の意見に傾倒したり、むやみに白黒判断したりしないようにすることを心がけています。


しかしながら、この「懲役40年」という表現にはある種の衝撃を感じたので、以下のようなTweetをしました。



僕にとって、新社会人に向かって放たれた「懲役40年」という言葉は、世界の仕組みを考えるうえで、非常に重要な論点を含むものでした。


具体的には以下のふたつ。


⒈会社にいるだけで給与をもらえると信じている人がいる

⒉人生に不断の連続性があると信じている人がいる


という点です。


僕がびっくりしたのは、これら2つが、当たり前に自分の人生に与えられるものなんだと信じて疑わない人たちがいるという事実でした。


まず、「⒈会社にいるだけで給与をもらえると信じている人がいる」という点についてですが、会社は給与を永久に保証する組織ではありません。利益を出さなければ潰れてしまう、非常に不安定な存在です。だから、ある日突然、なくなることだってあるのです。

つい最近も、「てるみくらぶ」が派手に破産していましたが、会社は常に、なんらかの事情で消滅する危険性をはらんでいます。もちろん、個人よりはキャッシュも持っているはずだし、いくらかリスクが分散される可能性はあります。

しかし、それだけのことです。リスクは常にあります。もしも会社がなくなったとしても、それが想定外のことであってはいけないんです。それはいつでも起こりうることなのです。

ちなみに、以下のようなソースもあります。



1980~2009年に創設された企業の創設後経過年数ごとの生存率の平均値を示したものであるが、10年後には約3割の企業が、20年後には約5割の企業が撤退しており、新規企業は、絶えず市場に参入するが、創設後の淘汰もまた厳しいことがうかがわれる。(出典元:中小企業白書 2011 - 中小企業庁 - 経済産業省


いかがでしょうか。


ここで僕がはっきりと言いたいのは、間違っても、同じ会社のある状態が当たり前に40年も続くなんて思ってはいけないということです。そして、重ねて言いますが、会社はそこにいれば給与を永久に保証してくれる存在ではありません。だから、会社にいるだけで定年まで給与がもらえるなんて、完全なる幻想なんです。


次に、「⒉人生に不断の連続性があると信じている人がいる」という点についてですが、これはけっこう多くの人たちが信じている幻想なんじゃないかなと思っています。

でも、考えてみてください。明日あなたが生きているということを、いったい誰が保証してくれているんでしょうか?

突然の事故や、大規模な天災、身体を襲う病、心ない人による殺意。人生には、何が起こるかわかりません。だから、明日が当たり前にあると思っていること自体が、実はとんでもない幻想なのです。

人生に、不断の連続性など存在しません。40年もの間、平穏無事にあなたであり続けるという未来は、当たり前のことなどではなく、ほとんど非現実的なことなのです。


僕がこのように考えるようになったのは、昨年に義理の父を事故で亡くしたときからでした。人生というものは、何時なくなってしまうかもわからない、脆いものなのだと思い知りました。そのときに感じたことは、STORYS.JPの記事【突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。】にまとめています。

人生に不断の連続性を実現することは、とてつもない努力と幸運がなくては成し得ない大業なんです。どうか、誰にでも当たり前に与えられることだなんて思わないでください。


このように、世の中で当たり前だと思われていることほど、実はありえない幻想なんじゃないか、と僕は最近考えています。「懲役40年」の話題に付随して、僕は以下のようなこともTweetしました。



「懲役40年」という考え方と、日本の幸福度の低さは、けっこうリンクしていると思っています。


「世界で最も幸せな国ランキング」から、対象となった157カ国・地域中、日本が53位であることが判明した。(中略)アジアではシンガポール(22位/6.739)、タイ(33位/6.474)、台湾(35位/6.379)がトップ50入り。近隣国・地域では中国(83位/5.245)、香港(75位/5.458)、韓国(58位/5.835)という結果に。(出典元:「世界幸福度ランキング」日本の幸福度は高い?低い?


大学を出て、大企業に入ったり、公務員になれば、安定して幸せな生活を送ることができると、僕たちは信じ込まされてきました。貯金をして、年金を支払っていれば、老後は社会保障を受けながら悠々自適な生活をすることができると、僕たちは教わってきました。


しかしながら、実際には会社は安定とは真逆の組織であって、利益を出し続けるためには身を粉にして働かなくてはなりません。国の借金は膨らみ、社会保障もこれから先、正常に機能し続けるのかどうかもわかりません。安い給与で、毎日考えられないような時間外労働を強いられ、安定した幸せな生活なんてどこにもない。人生の悦びを削がれた冗長な日常が続く。結果、これまで信じてきたことが幻想であったと思い知り、未来に絶望して命を絶つ人さえ現れます。


不安定な未来に、本来ありもしない「安定」を夢見るように教育されてきたから、僕たちの幸福度は下がり続け、どんどん生きづらくなっているのではないでしょうか。


未来には不安しかなく、出口がどこにもない。それなのに、ありもしない安定のために人生を捧げなくてはならない。そんな矛盾を抱え込まされた僕たちの生きづらさが、「懲役40年」という次世代に向けた呪いの言葉を生み出してしまったのではないかと感じるのです。


この世界は、完全に不完全です。

はっきり言って、僕たちが過去に受けてきた教育は破綻しています。

安定なんてどこにもないし、人生だって、いつ終わるかわからない。


ここで、僕は思いました。


この際、未来の「安定」という完全性を求める幻想を、一切やめてみるのはどうだろう?

ありもしない未来のことばかり考える幻想から目を覚まし、もっと現実的になるときがやってきたのだと思うのです。


この世界の不完全性を受け入れ、人生の非連続性を受け入れる。

そして今こそ、現実的な幸福度をあげるために生きるべきだと感じています。


現実的な幸福度をあげるためにすべきこと——それは、いつ死んでも後悔しないように生きるということです。そのために何をすべきかといえば、自分が今いる環境や、仕事、人間関係など、あらゆる自分の人生を構成する要素を、ひとつひとつ手にとってまじまじと確かめてみることです。そして、それらがほんとうに自分にとって必要なものなのかどうかを、自問自答するのです。


もしも、何かを我慢したり、今死んだら後悔すると思うことをやっているのなら、そこから抜け出す方法を、もっと現実的になって考えるべきときがやってきているということなのかもしれません。我慢は、いつかそこから抜け出すためにするべきものであって、ずっと死ぬまで続けるものではありません。そして、我慢し続けているという状況は、清い忍耐などではなく、単なる思考停止であるということを忘れてはいけないと思うのです。


僕はまだ30年そこそこしか生きていないですし、なんらかの偉業を成し遂げたような人間ではないですから、決して偉そうなことはいえません。


ただ、ひとつだけ僕が体感していることは、40年間も懲役されるような、社会という名の檻なんて、どこにもないということです。そんなものは幻想です。


あるものはただひとつ、自分の心だけ。


現実は心の投影でしかないと、僕は思っています。


最近、三島由紀夫さんが死の直前まで探求していた「唯識(ゆいしき)」と呼ばれる仏教思想について調べているのですが、以下のような教えがあります。


「唯(た)だ識(しき)、すなわち心だけしか存在しない。自分の周りに展開するさまざまな現象は、すべて根本的心、すなわち阿頼耶識(あらやしき)から生じたもの、変化したものである。(中略)一切は、唯識所変(ゆいしきしょへん)である」「すべては心の中にある、心を離れてものは存在しない、心の外にはものはない。(中略)一切不離識(いっさいふりしき)、唯識無境(ゆいしきむきょう)」(出典元:唯識の思想|横山紘一 P12


すべては心の中にある。

心を離れてものは存在しない。

心の外にはものはない。


だから、現実的な幸福度をあげるためには、「安定」という完全性を求める幻想から目覚めて、この世界の不完全性と人生の非連続性を受け入れ、自分の心に素直になれる生き方を見つける必要があるのです。


自分の心の在り様を理解すること。


これは、宗教的な話とかは一切抜きにして、自分の心をありのままに受け入れるというライフハックであり、これからの不完全な未来を生き抜くうえで、とても現実的に必要な能力であると僕は感じています。


僕の場合、心の在り様をたどり、いきついた生き方は、ものを書くことでした。


もちろん、これが僕の終の生き方なのかどうかは、僕も含めて、誰にもわかりません。


重要なことは、自分自身が、今の生き方を現実的に幸福だと思えるかどうかです。


すべてはそこから始まるのだ、と。


僕はこの文章の結びを書きながら、自分の中に湧き出る、ある種の祝福を実感しています。それは、この文章を最後まで読んでくださる方々と出会えたのだという、僕の人生にとっての現実的な祝福です。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

一期一会のあなたにとって、良き気づきがありますように。


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村田悠(Haruka Murata)profile

三重県出身、立命館大学法学部卒。二十代後半から作家を目指して執筆活動を開始。現在、フリーランスライターを行いながら作家としての活動を行う。STORYS.JPに掲載した記事『突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。』が「話題のSTORY」に選出。STORYS.JP編集長の推薦によりYahoo!ニュースに掲載される。

公式HP: https://www.harukamurata.com/

Twitter: https://twitter.com/muratassu

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狭井 悠(村田悠)

「やれることはなんでもやる」人生から、「これしかできないことをやる」人生に切り替えてみた。33歳フリーランスライター。

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「やれることはなんでもやる」人生から、「これしかできないことをやる」人生に切り替えてみた。33歳フリーランスライター。

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