大学生のPHS事情についての座談会の思い出

1996年。横浜の大学に通っていた僕はクラスで唯一PHSを所持していた。
クラスメイトからは「さすが東京の人は違う」などと煽てられ、最終的には「ベル打つから貸して」と、僕のPHSはみんなにいいように使われていた。特に電話してないのに、それなりの請求が毎月きていたが、PHSを持っているという優越感はなかなかのものだった。

夏。友達から「PHSに関する座談会に参加しない?」と誘われた。グループインタビューというやつで、1時間くらいディスカッションするだけで謝礼が1万円ももらえた。大学生にとってはこの上もない割りの良いバイト。二つ返事で座談会に参加することを伝えた。


座談会当日。指定された場所に集まったのは、僕を含めて5人の大学生。3人がN社、僕ともう一人がD社だった。その他、司会の方と関係者風の方がいた。

ディスカッションが始まった。「どんな時に利用しているか」や「どれくらい利用しているのか」「周囲の所有率は」などについてざっくばらんにディスカッションが繰り広げられた。

司会の方が「この中にはA社を使ってる方はいないんですねぇ」と振ったものだから、大学生達は一斉に「だって歩いているだけで伝播が切れる」「そうそう、電波悪すぎ」「CMすげー流れてるけど、そのお金でアンテナ作ればいいのにwww」などと話しだした。1時間のディスカッションの中で一番盛り上がった場面だった。


「ではこれくらいでディスカッションを終わります。今日はありがとうございました。」と司会の方が言い、大学生一人一人に謝礼の入った封筒を渡した。


封筒の中に明細みたいのも入ってた。主催社の欄にはA社の名前が書いてあった。


大学生5人は「あっ」という表情をし、司会の方の横にいた関係者らしき人と目を合わせないように、そそくさと会場を後にしました。

もらったお金で、その日発売だったスピッツの『渚』のシングルを渋谷のタワレコで買った。

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