世界196ヶ国60万人の中から、日本人唯一25人の中に選ばれた時の話

タイトルの通り、おおよそカジノで億万長者になる確率と似た確率で、ものすごい倍率を突破した時のお話です。でもこれは、私1人の話というよりは、応援してくださった方々全ての人たちのストーリーであると思っています。

オーストラリア政府の「世界最高の仕事」、ご存じでしょうか。2009年にクイーンズランド州にあるハミルトン島で「アイランドケアテイカー(島の管理人)」を世界的に募集をしたアレです。「楽しく暮らして半年で1000万」、世界最高の仕事、と言えばピンとくる方もいるかもしれません。それが、今年2013年、「州」からオーストラリア全土に募集を広げ、6つの職種でバージョンUPした「世界最高の仕事」が帰ってきました。オリンピックと同じ、4年に1度ですね(笑)

その情報をたまたま、友達からURL付きで「こんなの始まったよ~」と送ってくれて、「ふうん」くらいのキモチで見ていたら、目に飛び込んだのは「Chief funster(楽しい人代表)」という職種。ナニコレ?!ナニコレ?!と目が釘づけになりました。というのも、内容がオーストラリアのイベントやフェスティバル(のしかもVIP席で)出席、その内容を世界に発信していくというもの・・・もともとイベントが大好きで、いろいろと仕掛けていた経験があったのと、今までの芝居や映像などの「表現・発信」をしていたこともあり、ものすごく惹かれました。


「これ応募しよう。」と即思い、これっていったいなんなのだと詳しく調べていったら、仰天。その時点で世界各国から数十万の応募が来てるとのことでした。(課題は、30秒という短い枠で「なぜ自分が相応しいか」とビデオに撮り、提出するというものでした。)

「日本」というフィールドを超え、「世界」・・・しかも、その応募量が半端ない・・・


正直あきらめました。「これはさすがに厳しいだろう」と。


でも、なんとなくあきらめきれずに、応募日直前にそわそわしていました。

ですが、そわそわしているだけでした。

そして、応募日当日。


また別の知人から「これイイよ」とURLが送られてきました。

マイケルジャクソンの「On the line」という歌のyoutubeでした。それを聞いていてビックリ・・・自然と涙が流れました。マイケルは「やりたいこと、はじめてみないとなにも始まらないよ。人生ってそんなもんだよ。さあ、今だよ!今!」とマイケルが透き通る声で言っていました。

なんだかとても運命的なものを感じ、大急ぎで知人に撮影協力を依頼して、応募時間ギリギリに30秒のビデオを提出しました。(6職種すべてに応募は可能だったのですが、私は興味のあるチーフファンスターにしか応募しませんでした)


既に数十万のビデオ応募がきている、ということでしたから、これはもう「最初の3秒が勝負だな」と思いました。というより、3秒でピンとくるものでなければ、30秒見て頂けるものにはまずならないだとうな、と。ですので、私は3秒の間に審査員のネイティブ陣に「?」と思われるワードを敢えて入れました。それが、「Advertising Woman(広告女)」です。これは造語なのですが、事前に知人のネイティブにチェックを入れ、このワードが「?」と引っかかるかどうかを聞いたところ、「?」となるとのこと。これだ、と思いました。(申し遅れましたが、私は今広告会社に勤める5年目です。とはいえ、今月までで、来月からは新たな試みを始めます。)

日本人もたくさん応募しているだろうから、「あのJapaneseの子」とはならないだろう、でも「あのAdvertising womanと言っていた子」という覚え方はされるかな、とそれに賭けてみました。


とはいえ、宝くじのようなものだと思い、結果はあまり気にしないようにしていました。


そして発表当日・・・気にしないようにしていたにも関わらず、前日の夜不思議な夢を見ました。「congratulations」と書いてあるメールを受け取る、という夢です。


いやいやいや、まさかまさか、と思いながらも、
メールを確認すると・・・

「congratulations」

というタイトルが目に飛び込んできました。
こちらのメールです。
世界196カ国60万人のうちの、候補者25人に選ばれたよ、という奇跡的なメールでした。
そして、他6職種合わせて150人全てでも、日本人は私ただ1人でした。

夢かと思いましたし、何かの冗談かとも思いました。でも、友達の冗談にしては、手が込みすぎている作りだなぁと(笑)

数時間後、次のミッションに関する詳細が送られてきました。

【この2週間で】
・候補者に残ったということをとにかく拡散せよ
・社会的に影響力のある人(公人やセレブなど)の推薦を取れ

という、一般人の私には、嘘でしょとこれまた目を疑いたくなるような課題が突きつけられました。と同時に、これは本当に自分に起こった出来事なんだ、と再認識しました。

私は今までSNSメディアをあまり使っておらず、Facebookとかも1か月に1回更新すれば良い方、なくらい自由気ままな使い方をしておりました。

どうしよう・・・どうしよう・・・と慌てて、取り急ぎ姉2人にメール(姉2人はアメリカ、イギリスと離れた場所に住んでおります)をして、以前にURLでこの件を教えてくれた友達にも取り急ぎ連絡しました。
最初はもうホント「どうしよう、何をすれば?!」と頭が真っ白になったのですが、だんだんと、「これはまたとないチャンスだな!」と思い、自らいろいろと仕掛けて行こう、と思いました。
公人やセレブには、繋がりも何一つない自分ですが、もしかすると、知り合いの知り合いに繋がるかもしれない。
自分が出来ること、とにかくやれることをやってみよう。
そう思い、英語での公式Webサイトを作成・友達はYumiri Inoue 応援ページを作ってくれました。発表がきてのわずか1日で、自分の発信する場の基盤を整え、次の一手を考え始めました。そして、ちょうどそのタイミングで会社の同期たちもいろいろと一緒に手だてを考えてくれ、有志によるプロジェクトチームを結成。
とにかくいろんな人たちに会って、「自分が候補者に残っていること」「オーストラリアをアピールすること」、を精一杯発信することにしました。

それが、『Yumiri Hugs Australia 』です。
都内中心にとにかく行脚し、人々に伝えていく、その様子をFacebookを通じて配信し、さらに多くの人に伝えていく、そんな活動を始めました。草の根活動、というえば、本当にその通りかもしれません。

でも、それが一番私らしいな、と。


とにかくがむしゃらに行脚しまくりました。代々木公園・お台場・浅草・歌舞伎座・新橋・代官山・巣鴨・秋葉原・上野・スカイツリー・田無・原宿など、カンガルー姿やコアラ姿で動き回りました。また、富士山が世界遺産登録が決まった次の日には大至急で富士山にかけつけ、5合目でたくさんの国の方と交流したりもしました。わずか10日間ほどで2000人を超える人々と会いました。こんなペースで人と会うことは、今までの人生でもそうなかったことです。
友達が作ってくれたボードを持ちながら、今回の経緯を説明し、一緒に写真を撮ってもらい、という、、効率的には時間のかかる方法だったかもしれません。ですが、その途中途中には、本当に素晴らしい出会いに恵まれました。巣鴨では知らないおばあちゃんに「頑張ってね」とおせんべいを頂いたり、オーストラリアの花束を遠方から届けてくださった方もいました。応援クッキーや、今回の件で私が作ったウェールズくんというオリジナルキャラクターをモチーフにしたぬいぐるみまで作ってくれた方もいました。まったく知らない一個人の挑戦に、こんなにも温かいエールを送ってくださる人がいるのか、と。感動しながら、感謝しながらの活動の日々でした。
そして、そうした活動が徐々に口コミで広がり、応援ページで10日間ほどで2000人のいいね、と130万を越える閲覧数となりました。ネットのニュースで配信されるようになり(Yahooニュースにも取り上げて頂きました。)、ラジオ出演テレビ取材、と広がっていきました。
これは、間違いなく、1人の力ではなく、全ての方のご協力とご縁のおかげです。

そして、2週間後の5月8日。課題提出日。
私はこんな動画2本を先方に提出しました。
一つは、今までの行脚活動の集大成。(行脚しきれなかった箇所、世界各地の方々から応援写真も頂きました。)



→動画以外の結果報告ページはコチラ


そして、もう一つ。30秒の自己PRの長いバージョンを作っていいと言われていたので、私はクリエイティブチームと共に、オーストラリア広告とオリジナルアニメーションを作りました。



そして、運命の5月15日・・・


結果は、、、残念な結果になりました。
世界TOP3には入れませんでした。

でも、私は、一切の後悔をしていません。

後から聞いた話によると、中には世界的なセレブからの推薦状を取った候補者もいたり、1人で数百通以上の推薦状を勝ち取った人もいるみたいです。

ですが、私は私なりの戦い方をして本当に良かったな、と心からそう思いました。
報告したとき、応援してくださった皆さんのコメントを見て、本当にそう思えました。
結果をFacebookで報告するとき、実は少し怖いキモチもありました。
いままでたくさん応援してくださった方々の期待に沿えなかったこと。
ですが、私がこの報告をしたとき、たくさんの人が、、逆に「ありがとう」といった、コメントをくださいました。私のこの行動を見て、元気をもらった、等、本当にありがたすぎるコメントを多くもらいました。たぶん、この時ほど号泣したことは、私の人生で今までにないと思います。

私が、このストーリーをシェアしたい、と思ったのは、「私がこういう活動をした」ということではなく、「一個人の挑戦に、こんなにも温かい応援を、見返りのない声援を、送ってくださる人がこんなにもいるんだ」ということ「そんな温かい国なんだ」と、それをシェアしたいと思ったからです。


そして・・・

昨日、オーストラリア政府観光局の日本支部から、温かいメールを頂きました。

そこには、日本支部のみなさんも応援してくださってくれていた旨、そして、これからも何かしらの形で、関わっていってほしい旨、

そして、近い将来、

オーストラリアにご招待してくださる、と書いてありました。

この話は、まだ続きをお伝えできそうです。

全ての方に、感謝を込めて。

To be continued・・・


井上祐巳梨

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