元ひきこもりの猫人間が芸人目指して慶應大学に入った話 逆転合格編

前話: 元ひきこもりの猫人間が芸人目指して慶應大学に入った話 無職編

「早慶に入れば、アイドルと海にいけるよ。」






どうしようもなくくすぶっていた引きこもりのころ、私は札幌のとある書店の参考書コーナーにいた。といっても受験勉強をせずに半年すぎていた私はもはや真面目に勉強する気なんてなく、どうにかして逆転合格ができる方法がないか考え、参考書コーナーの片隅にある合格体験記を貪るように眺めていた。このころ私はネットで見かけた半年で京大に合格した人のブログや、和田秀樹の受験計画マニュアルを読み、参考書だけで独学で勉強すれば半年で東大にいけるのではないかという妄想を信じきっていた。ビリギャルでも同様であるが、だいたい東大早慶に合格した人というのはもともと私立のトップ進学校出身であることがほとんどである。彼らはもともとの頭がいいし、中学受験という名の思考訓練によって受験に必要な体力や思考力がすでに構築されているから、たとえ偏差値30であっても短期間で大学受験に合格することが可能なのである。そもそも東大に毎年50人も合格するような中高一貫校で学年最下位であったとして、それが田舎の進学校の高校生には何の参考にもならないのだ。おそらくその最下位の人は田舎の進学校では、ダントツトップを取れる可能性が高い。そもそも人間はひとそれぞれが異なるものである。誰にでも通じる受験攻略法などは存在しない。私は書店で見つけたとある合格体験記に興味を抱いた。その本の作者は学年最下位から半年で東大に入ったのだという。しかし、案の定彼のプロフィールを見ると、九州のトップ進学校から現役で国立医学部に入っているという。自分とはあまりにかけ離れたバックヤードに、あくまで参考程度に本を開き体験記を眺めた。確かにこの本の作者は頭がいいのだろう。私のような凡人にもわかるように平易な言葉で受験勉強法が書かれているし、あくまで自分のことを平凡な人間と呼び、誰にでも通じるような受験勉強法を書いたと記述されている。何よりその受験体験記のラフさが私には刺さった。「東大でなくても、早慶に入れば評価はたいして変わらないし、圧倒的にコスパがいい。自分は東大に入って国民的アイドルと海に行ったが、早慶の友達も一緒だった。だから早慶を目指すのも賢い選択だ」、と。受験体験記にあるような血の滲むような努力や堅苦しい計画の立て方などはそこには書かれていない。受験に使う参考書も中学生が用いるような簡単なものばかりで、東大受験も賄えると書かれている。私はこの作者の話をもっと聞きたいと思い、プロフィールの欄に乗せられていた連絡先にメールをし、東京で家庭教師をしてもらうことになった。決して安い金額ではなかったが(いや、むしろ破格の高さであった。予備校に通う方が安いぐらいの金額だったかもしれない。)、得られるものは多かった。金を通した関係であり、あくまで生徒と教師の関係性であったが、私にはとても刺激的な経験であった。東京に来てはじめて自分の味方になってくれる人に出会えた気がした。



初回の授業日、新宿駅交番前で私は家庭教師を待っていた。初めて見る東京の人混みの中、田舎から出てきた私は田舎のスーパーで買った服に身を包み、とても汚らしい格好をしていたように思う。そこにさっそうと現れたのは整った顔立ちのスーツに身をまとった家庭教師であった。彼に声をかけれれ、軽く自己紹介をした。彼は大学を卒業し、誰もが憧れる有名企業のエリートサラリーマンだった。私が憧れる業界で働いているということで、もっとその話を聞きたかったが、家庭教師の時間は決まっているのでさっそく参考書を買いに二人で書店に向かった。指定された通りセンター試験の過去問といくつかの参考書を書い、そのまま喫茶店に入った。喫茶店の代金を支払ってくれたことが、当時の東京で誰も頼る人がいなかった私にはとても嬉しかった。喫茶店で言われたようにセンター試験の過去問を解くと、そこそこの点数が取れた。半年ぶりに勉強するにしては上出来で、本番の試験よりなぜかいい点数が取れていた。家庭教師も思ったより悪くない点数だと言い、これからどのように勉強すればいいかを教えてくれた。私はその日から彼に言われたように中学生レベルの簡単な英語と数学の参考書をただひたすらにやり込んだ。やり方としてこうだ。


数学編


1、 問題は解かない。問題文を読み、まずは解答と照らし合わせる。

2、 解答を読んでもわからない個所があれば、印をつけ、後で家庭教師に聞くなり、自分で調べて理解するようにする。

3、 このようにしてまずは参考書をできるだけ早く1周する。どんなに遅くても1周目は3日以内。

4、2周目は問題文を読み、5分考えて解答が思い浮かばなかったら、すぐに解答を見る。解答を見ないで解答が思い浮かべば◎、解答を見て理解できれば◯、理解できなければ✖️をつける。

5、4を繰り返し、すぐに思い浮かぶようになった問題は、実際に紙に解答を書いてみる。しかし、すぐにかけないようであればすぐに解答を見る。

6、このようにとにかく参考書を何周も回すことを最優先に考えて、すべてがすぐに解答を思いつく状態になれば、後は定期的に見直すぐらいでOK、別の参考書に取り組む。とにかく解答例を暗記することを最優先に考えるので(いわゆる和田秀樹的な暗記数学をもっと効率的にしたもの)、参考書はできるだけ薄く簡単なものにする。多くの参考書に取り組むより一冊を何周もやりこむ方が実はずっと効率的なのである。



英語編


1、英語の勉強では絶対にペンを持たない。ひたすらに長文や例文を音読することが大前提。参考書は英文の下に日本語訳が書かれているものを選び、まずは日本語文を眺める。

2、日本語をきちんと理解したら、英文を眺める。英文を要素分解し(この時点では私は鉛筆を用いた。あくまでスラッシュを入れるためであり、英文を書いて時間をロスすることはない。)、日本語と照らし合わせて文法的に理解できればOK。

3、参考書についている英文のネイティブ発音を聞いてみる。その際に英文と日本文を眺め、理解に努める。

4、ネイティブ発音に合わせて、自分でも発音してみる。

5、長文1つがだいたい15文ぐらいで構成されている参考書を用いているので、長文一つを読み終えるのにそんなに時間はかからない。とにかく英文を理解した上で発音することが重要である。

6、10~20回ほど理解して音読することを続けると、長文をすらすらと読めるようになる。これを毎日繰り返す。1週間も経てばつっかえることなく、覚えた英文を読むことが可能になる。

7、参考書を選ぶポイントとしてはとにかく平易な英文で書かれた薄いものを選ぶこと。そして英語のネイティブ発音が記録されているCD付きのもので、日本語訳が英文の下に書かれているものだとやりやすいだろう。英文を分解したスラッシュがついているとなお良い。私は中学生向けの英語の長文が12文ほど乗った参考書を3日間ただひたすらに音読し続けた。それだけでは当然語彙力も文法力も身に付かないが、これはあくまで英語に慣れることを目的にしているからだ。英語に慣れるというのはなおざりにされがちだが、英文読解においては実際最も重要な要素の一つである。英語ネイティブはなにも難しい語彙や文法を初めから知っていたわけではない。英語に慣れていたからこそ、英語を理解することができ、結果的に様々な英文が理解できるようになったのだ。もし英語が不得意な高校生が、勉強を始めるにあたり、単語帳をひたすらめくったり、文法問題を解いたりしているのなら、今すぐやめてほしい。そのようなことをしても、英文が読めるようには一向にならない。文法問題や単語問題はできるようになるかもしれないが、英語問題の大半は長文読解が占めている。長文読解ができるようになるには、英文を読めるようになるしかないのだ。逆に英文が読めれば、文法問題や単語も必然的にできるようになる。なぜなら英文を理解するためには単語や文法を理解する必要があるからだ。卵が先か鶏か先かという話に近いが、運転をするのには細かい交通ルールを覚えるより先に、運転に慣れるほうがずっと大切なことを考えれば、わかるだろう。細かい交通ルールは試験直前に覚えても、全然遅くはない。



私は山手線のとある駅近くの古びた学生寮で一日中英文の音読に明け暮れた。数学もそこそこやってはいたが、まずは英語が最優先と思い取り組んだ。なぜなら、日本の大学は英語の配点が異常に高いからだ。数学を回避しても受けられる上位大学は無数にあるが、英語を回避して受けられる大学はほとんどない。文系も理系も英語さえできれば、そこそこの学歴を簡単に手にすることができる。帰国子女であれば東大でさえ、一般受験で入る必要はない。英語という本来的には頭の良さなんて関係のない語学が日本の大学入試では異常に重視されているのだ。英語圏で育ってさえいれば、かなりのアドバンテージで日本の大学を受けることができるだろう。


私はこの時、一橋大学と早稲田大学を志望校に設定していた。早稲田の近くの学生寮を選んだのは強い早稲田への憧れであったし、金銭的な事由がなければ、早稲田一本で目指したかった。理由としては著名人を多数輩出している自由な校風への憧れもあったが、なんとなく入れそうだという思いが強かった。早稲田と並ぶ私学の雄である慶應は庶民には届かない敷居の高いイメージがあり、受験しようという気持ちすらなかった。お金持ちが多そうで馴染めなそうだし、あまり田舎出身の私が憧れる要素はなかった。ただ慶應の中でもSFCだけは興味があった。SFCはネットで叩かれているように慶應にしては偏差値も低く、英語と数学だけで入れるコスパの良さがあった。変人が集まるちょっとずれた人たちがいるという話もよく耳にしていたので、私のような変わり者でも馴染めるかもしれない。また、理系にも文系にも興味があったため文理どちらも学べるという独特のカリュキュラムも良さげに見えた。私は東大や京大の総合人間学部に強い憧れがあったのだが、その理由の一つに入ってから文理を選べるという点があり、その点二校に比べて一段と入りやすいSFCは大変魅力的にも見えたのだ。実際のところ、当時SFCにカリュキュラムなどというものはほとんどなく、ある意味大変自由であった。反面、自由というよりは崩壊に近く、どの分野でも学べるが、それは非常に浅いものであり、講義では各分野のガイダンスをなぞるだけと言ったほうがいい。深く学ぶためには研究室に入ったり独学で学ぶ必要がある。いずれにせよ、大学とは自分が能動的動かなければ何も学べない。大学はただの箱にすぎない。その箱を生かすも殺すも自分次第である。といってもSFCの場合は何かを学ぶというより、何かを学ぶきっかけ作りと捉えたほうが入学後のギャップは少ないだろう。もちろんこれは私の一主観であるし、SFCで深く学問を究め、専門分野を作った人間がたくさんいることは事実である。自分次第だから、大学に過度な期待はするなよ、という話である。ただ工学部でロボットを作りたいとか明確な目標がある人は、初めから工学部やデザイン学部に行ったほうがいいと思うよ、とアドバイスはしたい。(基本的にSFCの人は(OBや教員を含む)SFC大好き人間なので、進路相談しても全て鵜呑みにするのはおすすめしない。変人は自分のことを変人だとは思っていないのだ。ちなみになんだかんだ言って私もSFCが好きだし、母校に選んで良かったと思っている。)



THE リアルビリギャル式慶應合格マニュアル






私はビリギャルは軽く本屋で立ち読みしたくらいの知識しかないので、詳しくは知らない。しかし、有村架純がSPECの頃から好きなので、映画の予告編は何度か見たことがある。私はビリでもないし、ギャルでもないし、聖徳太子を「せいとくたいこ」と読むこともなかったが、ビリギャルより底辺から大学受験に合格したのではないかと思う。そもそもビリギャルが合格したのは総合政策学部であるが、ここを受けるのに日本史は関係ない。うる覚えだが、確かビリギャルは日本史が必要な文学部を受けて、落ちた結果SFCに入ったということだった。SFCなら聖徳太子を「せいとくたいこ」と読もうが、福沢諭吉を知らなかろうが、合格することができる。SFCは大きく分けて一般入試とAO入試の二種類の受験方式があるが、一般入試では英語・小論文、数学・小論文、英語・数学・小論文の3通りの選択方式が選べる。ビリギャルがもし英語の偏差値がもともと高く、なおかつ進学校出身で思考力もそこそこに長けていれば、英語・小論文の入試形態を選択した場合、ほとんど受験勉強をすることなく合格することも可能だろう。もちろん、実際受験勉強を並大抵ではない努力でしたのだから、そのこと自体読者に感動を与えたことはまぎれもない事実だ。ただ、底辺からの逆転合格体験記として捉えた場合は、誰しもが鵜呑みにすることはできないと思う。ギャルが慶應入ったっていうこと自体は絵になるけど、実際SFCはそこそこギャルもいる。私は本格的に受験勉強を始めたのは浪人(ニート)二年目の秋である。実際の受験勉強期間は6か月ほど。しかも、基本的には国立を目指していたので、SFCを受けようと思ったのは願書提出日の2日前、願書を提出したのは出願締め切り日当日である。それからも第一志望は早稲田大学であったので、SFCに向けた勉強はほとんどしていなかったし、過去問も一切手をつけられなかった。私が入学した2012年のSFCの入試問題は例年位比べかなり簡単だったこともあるが、英語に関して言えば9割近く正答したように思う。ただSFCは小論の比重が高く、英語では点差が広がらないため、小論文で決まると言っていい。といっても小論に向けた勉強は、環境情報学部の場合、特に無意味と言っていいだろう。結局のところ、大学受験に受かったか落ちたかに確たる差はない。受かったからって威張るのはただの勘違いであるし、落ちたからって悲観することはない。大学がどこかで人生は決まらない。大学受験、就職試験、様々な他者に決められる選択と、自分で決める選択の末、人間は各々の道を歩んでいる。自分で決めたように見えて誰かに決められていたり、またその逆もあるだろう。必要以上に悩んだところで、皆生活はたいして変わらない。朝起きて、飯食って、寝る。その間に何があるか、どのようになりたいか、そのためには何が必要で、何をすべきか、それを考える思考訓練がある種大学受験の役割である。誰かに言われて受動的に大学受験をしたところで、得るものは少ない。どのように勉強すれば最短でかつ効率よく合格できるか。しっかりと自分の能力を見極め、計画を立て、実行することができれば、受験勉強は9割型成功している。あとは合格という結果を得るためにコンディションを整え、受験当日発揮することが重要であるが、ここにはかなり運の要素も入ってくる。特に東大受験層のような受験エリートとは違い、底辺からの逆転合格を目指す層には必然的に知識の漏れがある。この知識の漏れと当日の入試問題の相性によっては、どっちに転ぶかわからない運ゲーになってしまう可能性も高い。そういう漏れを無くし、運ゲーにしないためには地道な努力と時間が必要なのは言うまでもない。一夜漬けのテクニックでどうこうできるほど、甘くはない。ただ勉強を一切してこなかったニートでも、引きこもりがちの浪人生でも、偏差値30の高校生であっても、人生行き詰ってしまったと感じているフリーターでも、平等に逆転できる方法があるとすれば、それは大学受験ではなかろうか。彼らがAO入試で慶應に合格するのは難しいが(AO入試こそ自身の人間性や能力、家柄、経済力、そのすべてを試されている平等ではない入試形態だと感じる。SFCはAO入試を初めて導入した大学であるが、果たして成功しているのかといえば甚だ疑問である。もちろんAO出身者に社会的成功者は多い。学内でも目立っている。もともとのポテンシャルや能力において、やはり一般入試組とは相当な違いがあることも多い。ただ平等な入試形態かといえば、そうではない。なんとか塾やなんとかだ塾からの合格者が多いことや、主観的要素がふんだんに入った入試であることは否めない。何かしらの芸能活動をしていれば、格段と合格率が上がっているようにも思うが、これは私の主観である。そもそも大学受験が平等でなければならないなんてルールはないから、別に良いのだけれど。)、一般入試であれば合格する可能性はある。そういう意味で今の日本で底辺から最も簡単に、わかりやすく、誰にでも(学歴が幅を利かすのはそんな長い間ではないことは置いといて)平等に与えられているチャンスが大学受験だ。



缶コーヒーと早稲田への道




家庭教師との出会いから2か月も経った頃、私は自らで考えながら効率の良い受験勉強法を考え、実践し始めていた。集中力も切れ始め、そんな長期間の受験勉強もできなくなっており、高田馬場の街を徘徊しながら図書館やマックなどで場所を変えながら勉強をしていた。だんだんと家庭教師に払う金が惜しくなり、家庭教師を終わりにしていただくことにした。最後の指導日には私の古びた学生寮に招き、指導をしてもらったのだが、なんとなく居心地の悪そうな彼の顔を見て私は少し寂しい気持ちになった。東京に知人のいない私にとって、心の支え的な存在であった彼であるが、結局のところ私と彼は金で繋がっている関係にすぎず、エリートサラリーマンにとって無職の男などはただの疎ましい存在であったのかもしれない。ただ最後にどうしても聞きたかった質問を投げかけてみた。


ねこた
今日までありがとうございました。突然、やめることになり申し訳ありません。
家庭教師
いやいや大丈夫だよ。受験、頑張ってね。
ねこた
ところで一つ質問があるんですけど。
家庭教師
ん?なんだい?
ねこた
本に書いていたアイドルって誰ですか?
家庭教師
はははwそれは言えないなwただ大学に入れば楽しいことしかないからね。君もきっとアイドルと海にいけるよ。
ねこた
ほんとですか!がんばります。本当にありがとうございました。



実際、大学に入ってアイドルと海に行くなんてことはなかった。結局のところこれも人次第なのだろう。行ける人はなにも東大に入らなくともアイドルとデートできるだろうし、楽しいことしかない人生が待っている。何かのせい、何かのおかげと思っている人は、たまたまの出来事を近しい出来事に結びつけて考えているのかもしれない。ただ大学受験においてモチベーションというのはかなり重要な要素である。もし大学受験を考えている高校生がこれを見ているのであれば、人に馬鹿にされるくらいの夢と期待を抱きながら、大学を目指してもいいかもしれない。そのくらいしないとモチベーションは続かない。よく言われることだが、大学受験は短距離走ではなくマラソンなのだ。そして性欲は時に大きな動機付けになる。誰かと付き合いたい、異性にもてたい、そういう邪な心こそジェットエンジンを奮い立たせる燃料となる。


家庭教師もいなくなり、完全に孤立無援、ある意味自由な身となった私は新宿図書館のホームレスにまぎれながら、参考書をひたすらに音読する日々であった。ちなみに受験勉強のテクニックとして、音読はかなり効果的な勉強法である。ただ実際に声を出すと自宅でしか勉強できないため、オススメしない。音読はなにも実際に声に出す必要はなく、頭の中で黙読するだけでも十分効果がある。その際も音読する時と同様に、淀みなく、つっかえることなく読めるかどうかを常にチェックする必要がある。こうして大量の英文を音読し、理解してかつ、音読できる英文のストックを用意しておく。こうすることで暗記数学におけるパターンのように、英文のパターンが出来上がる。実際単語がわからない、文法が分からないという問題に直面しても、このパターンが豊富にあれば、当てはめて対応することが可能となる。もちろん数学とは異なり語学であるので、ある程度のパターンをストックできればあとは地道に語彙力を高めるため暗記をしたり、文法を覚える作業を同時並行的にする必要はある。


一応受験勉強はしているが模試でも思うような結果は出ず、センター試験まで一ヶ月を切っていた。私は再び堕落した引きこもり時代のようにだらだらと1日を過ごしていた。それでもどうにか集中できるように工夫はしていた。ただ正直言って、ランニングハイのような圧倒的な瞬発力と集中を発揮することは最後までなかったように思う。本来であれば、受験生は周囲が見えなくなるくらいの集中力を発揮する時期を持つ必要がある。それは部活で頑張った経験や、なにかにハマった経験があれば、ある程度誰にでも可能なものだ。早稲田への道という有名な合格体験記がある。中学時代にネトゲにハマった青年が半年間の受験勉強で早稲田に合格する体験を2chに綴った。それは大きな反響を呼び、本にまとめられた。私は高校時代にこの体験記を取り上げた新聞記事を読み、大いに勇気付けられた。と同時に彼のように何かにハマった経験がないと、受験勉強を乗り切ることは難しいとも感じていた。私が高田馬場に住んでいた当時、この体験記の著者は同地で塾を経営しており、ある日ネットでその塾のホームページを見つけ、訪ねたことがあった。あいにくその日は彼に会うことはできなかったが、後日高田馬場の路上で待ち合わせをし、お会いすることができた。そこで本来であればお金を払って受ける講義を受けることとなり、帰りには缶コーヒをおごっていただいた。


早稲田への道の人
缶コーヒーおごってあげるよ
え?いいんですか!
早稲田への道の人
こういうのがさ、後々思い出になるじゃん
(・・・・かっこいい)
早稲田への道の人
じゃあな!



あまり覚えてはいないのだが、とにかく缶コーヒーは暖かかった。少しキザな感じもしたが、自分から動くと誰か助けてくれる人もいる。そこには見返りやメリットなどは関係ない。東京に来て少し人のありがたみや親切心を理解できるようになった。そういう意味でこの半年間は、本当の意味での勉強期間であった。受験勉強というのは勉強を通じて教科書だけではなく、いろいろな人間や社会についても考えたり、勉強することになるのだと私は思う。そして何より引きこもっていた頃よりはるかに、生きがいと充実感を感じるのだ。人間は何か一つの目標に向けて努力することで、輝いて見えるのではないだろうか。たとえ人になんと言われようとも、どんなに見た目がかっこ悪く、どんなにみずぼらしくとも、努力する人はかっこいいのだ。世の中の大半の受験生は家族や、友人の支えがあって、日々精神的安定剤を供給しながら、大学受験を迎える。けれども、すべての人がそうではない。孤独に、がむしゃらになって、いつ倒れてもおかしくない精神状況の中、受験当日を迎えるものもいる。誰かは見ているというが、実際見えなければ、誰も見ていないかもしれない。ただ誰しも言うなれば孤独である。みんな本質的には同じなのだ。受験は当日、自分一人で、問題に立ち向かわなければならない。いわば究極の個人プレーである。受験は団体戦ですなんて言葉が世間一般ではまかり通っているが、それはある意味で正しく、ある種のまやかしとも言える。誰しもが団体で戦えるわけではない。ある団体ができれば、そこからハブれるものもいる。社会は社会に属しているもに対しては寛容であるが、その社会的集団からはみ出したものに対しては「いないもの」として扱うほどに冷たい。大学受験は、そういうはみ出し者にもう一度社会という団体に入れてあげますよ、というチャンスをくれているのだ。ただそのあとにどう生きるかは、完全なる自己責任である。受験生にとっては夢を見たほうがいいが、はっきり言ってしまえば、学歴にそれほどの価値はない。世の中には面白いくらいに学歴で人を判断する人間が多いが、それが自分の幸せや境遇に関係することはさほど多くはないだろう。学歴はツールであって、それ以上の何物でもない。どのような思いで、どのように工夫して、何を考えて、何をしたくて大学に入ったか。受験勉強にこそ、その価値がある。AO入試であってもそれは変わらない。


そしてついに大学受験当日を迎える。














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