私が上場企業の役員の地位を捨て、海外移住に踏み切った理由(4)危機感2 仕事がつまらない

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 まず、誤解無きよう書いておきますが、私の仕事は非常にやり甲斐のあるものでした。そして、私に本当に多くのことを与えてくれました。32歳で転職してからの10年間馬車馬のように働いた経験は、いまでも人生最大の財産だと思っています。しかし、30代も後半にさし掛かるにつれ、仕事が面白くなくなっていったのです。その理由は、



大概のことはできた、からです。

もっと正確に言えば、「本気でやれば」大概のことはできた、ということです。



 以前書いた通り、私がやっていたプロジェクト・マネジメントという仕事は非常に難度の高いものでした。常に、ソリューションの提供を求められ、自分ではプロマネ(PM)と呼んでいましたが、クライアントからは「コンサルさん」と言われることの方が多かったように思います。また、私は会社の要職にもありましたので、社内のマネジメントという、これまた非常に高度な仕事と常に対峙していました。


 それでも、「本気モード」のスイッチを自分に入れれば、概ね上手くやってのけることができました。しかし一方で、「本気モード」のスイッチを常に入れ続けることは簡単なことではなかったのです。むしろ、それは辛く厳しいことでした。更に、ビジネスのデジタル・インフラが充実するにつれ、どこでもいつでも仕事ができるようになると、24時間365日、逃げ場が無くなっていきました。そうすると、「本気モード」のスイッチを入れなければいけない時間が、どんどん長くなっていくのです。どんどん疲れ、疲弊し、消耗していきました。これをずっと続けるのはキツイな、と次第に思うようになっていったのです。


 一方で、仕事は残念ながら楽しいことばかりではない、ということも十分に知っていました。極端な話、90%辛くても10%のキラキラ輝く瞬間を体験することができれば、私は頑張れました。そして、その過程で多くのことを学ぶこともできました。しかし、次第にその10%の充実感も得られなくなっていったのです。



というのも、大体のことが読めるようになっていたのです。

語弊を恐れずに言えば、先が読めたのです。他人が考えることが大体分かったのです。



 社会に出ると、上司や先輩の背中を見ながら、時には上司に教えてもらい、時には先輩のスキルを盗んで、自分のスキルを上げていきます。また、クライアントとがっぷり四つに組んで、逃げずに付き合うことで強固な人間関係を築くことができます。そこから多くを学ぶことができます。考えてみて下さい、大卒であろうと高卒であろうと、社会に出て約20年間、ほぼ同じ環境でずっとこれを繰り返していれば、大体のことができるようになる方が普通だと思うのです。私は正直、何歳になっても上司に怒られている人を見て、不思議でなりませんでした。私たちの世代は、学校を卒業し約20年間もの間、上司と先輩の後を追いかけてきたのです。20年です。20年って途方もなく長い時間です。20年も年上の人たちと付き合っていれば、彼らがどういう思考回路で考え、どういう癖があり、何が好きで何が嫌いかなんて、理解できない方がおかしいと思うのです。ですから、私はこの章の冒頭で、「大概のことはできた」と書いたのです。相手が考えることが大体読めたからです。


 そうなると、仕事は楽になりますが、面白くなくなってきます。刺激が足りなくなります。新しい発見とか、あっと言わされることが極端に減っていきます。そして、仕事が面白くなっていきます。


 私は自他共に認める仕事人間です。ワーカホリックです。人生において仕事と向き合う時間の占める割合は非常に多く、仕事こそ自分に多くを与えてくれるものと信じています。実際に、私は仕事を通して、本当に本当に多くのことを学びました。そんな私にとって、「仕事がつまらない」というのは危機的な状況です。だから、辞めようと思いました。人生のターニング・ポイントと決めた40歳までに会社を辞めようと決めました。そして、これまで付き合ったことのないタイプの方々と仕事をしたいと思いました。まずは、外国人です。そして、それまで仕え学んできた「年上の方」からは卒業して、若くてセンスの良い「年下の人」から学ぼうと決心しました。これは本当です。後付けの理論ではありません。いつしか、年下から学ぶことに抵抗を感じなくなっていたのです。これは、Facebook等のソーシャルの力によるものかもしれませんし、実際に前職時代に年下の後輩・部下から「なるほど」と度々思わされた経験によるものかもしれません。



随分、長々としつこく書いてしまいました。

少し整理します。



徹底的に仕事と向きあうことで、いつしか仕事に充実感を覚えなくなった

(これをステージのクリアと呼ぶのか)

20年間背中を追ってきた年上から 年下へのシフトを思い立った

仕事は人生で最も大切なものの一つ

仕事から学び続けるために これまでとは全く異なる環境に自分を置きたい



そして決断したのが、MBA留学 → 海外移住だったのです



MBA留学のため日本を出た2012年8月時点で 当面は日本に帰るつもりはありませんでした。そして、これを書いている2017年4月、私はフィリピンのセブ島にいます。


次回へ続く。


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Keiji Aoki

現在、フィリピンのセブ島で英会話スクールを経営しています。海外生活、海外起業、セブ島情報、イギリス情報、セブ島留学等、お気軽にお問い合わせ下さい。 ブログ:セブ島で現地ビジネス(ホンネの話) http://cebuapprentice.com/ 英会話スクール:セブ英語倶楽部 http://ce

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