2014年9月 帰省 妹の顔が分からない

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ナビで探し辿り着いた先には確かに仮設住宅があったが、住民の氏名一覧が掲載されている場所がうち所だけが空欄だった。仮設住宅脇にあった案内所で手紙を見せて確認した。確かにそこに住んでいると言う。

「もう逃げ道は残されていない。」ある作家の作品に書かれていた絞首刑の死への階段を1歩ずつ登るような足取りの重さと息苦しさを感じた。

夫の後を恐る恐る歩こうとすると「自分が先に歩け」と言いながら背中を押された。また夫の後ろに回ろうとする程に私には恐怖しかなかった。反論の余地はもう、残されていない。

自分の親が住んでいるだろう部屋の前に来た時、外に咲いている花とアルミサッシに貼ってあるシールの雰囲気で「ここで間違いない」と察してしまった。そう確信した自分の勘を恐ろしいと感じた。


戸には鍵がかかっていない。中に入ってみると部屋には誰もいないようだった。アコーディオンカーテンに手を伸ばして引いてみた。女の人が寝ていたが年齢不詳だ。部屋の中に干してある服や置いてある物も全て私より若い雰囲気だった。

色々な意味で怖くなって玄関の外で待ってる夫に

「人が寝ているんだけど、一緒に来て!」と言ったのだが

「自分で起こせ」と言われてしまった。


その人物に触れるのが怖かった。「触れる=汚れる・負ける」とか、そんな感じ。

アコーディオンカーテンを3.4回程度開け閉めして触れるかどうかを格闘していると、その人が目を開けた。

「どうしよう!目、開けたよ!」

「話せ。来たって言えよ!」

すると玄関とベッドの距離で会話が始まった。


「え?起き抜けで補聴器つけてないのに、何でこの人、会話してんの?」

しかも声量が私の耳では全く聞き取れない。全然意味が分からなかった。起きた顔をきちんと見てもやはり私より肌が若いし全体的に若いのだ。

「もしかして馬鹿だから災害支援金に手をつけて美容整形したのかも知れない。」

「でも何でこんなに妹に似てるのだろう?妹の顔写真を見せて『こんな風にしてください』

と言って整形したのかもしれない。それにしても美容整形の技術って凄いんだなぁ」




脳裏をかすめたのは高須クリニックのCMだった。

『YES! 高須クリニック!』





起き上がった人が居間らしいところに来て「痩せだんでねぇ?」と言って私の髪に触れてきた。

私はそれが母親だと思ったので、気持ち悪くて身構え後ずさりした。


「何で聞こえるの?耳治ったの?」

「耳?前から聞こえるよ。悪ぐないよ?」

「え???」

もしかして聞こえないふりをしていたの?でもおかしいなぁ。それにしても妹に似てるんだけど…

「もしかして妹なの?」

「んだよぉ。誰だが分がんねがっだなぁ。」

私も私で妹のことが分からなかったのだが、妹も妹で私のことが分からなかったらしい。

「どっがのボランティアのお姉さんが間違っで家に来て、どっがの聞ごえない人だと思い込んで話しでるんだと思っだ」…らしい。



数年前に妹から「埼玉県に住んでいる」と言うメールが来たことがあった。

その時に返信で「千葉と近いから会う?」聞いてみたが(正確には夫にそう聞いてみれば?と言われたのだが)

妹は「人と一緒に住んでいるからダメだと」言った。

「別に家に行く訳じゃないよ。東京とかでも良いんじゃない?」と言ったのだが

「あんまりメールしないで。面倒くさい。アドレス拒否する。」と言われてそれっきりだった。

妹とはいつもこんな感じだった。

メールアドレスを変えた妹が数年振りに一方的にメールをしてくる。送信者名が書いていないこともあり、誰なのか定かでないことが多い。それに対し返信してみるのだが、全く返信が無かったり、返信があっても2.3回のやり取りで返信が来なくなるか「もうメールしないで」と言われて終わるのだった。

感情的な文面のことも多く「死にたい」とか「ケータイを捨てて人間関係も全部捨てる」などと書かれていることも多かった。最初の頃はそれを真に受けて不安になったりもしていたが、後にそれでも妹は何だかんだ言って生きているので、振り回される自分が馬鹿らしくなった。

そうは言ってもやはり不安や不快ではあったが、できるだけ気にしないように自分の心の平穏を保つことを心掛けるようにしていた。




今回帰省する時に「埼玉県にはもう住んでいないだろう」と何となく思っていたが、わざわざここに来て親と同居しているとは夢にも思っていなかった。「妹がここに存在するはずがない」と言う思い込みで、現実を理解するのに時間がかかってしまった。

偶然仕事が休みだけど昼前に病院に行くらしい。その前に来た理由を話した。母親は相変わらずの人間性で

「あの人は今更変わらないよ。ダメだ。」と言っていた。

両親の数秘術鑑定の内容を見せたけど「渡さない方がいい」と言われて妹の結果を無くしてしまったことを話した。数字だけならスマホに写真があったのでその場で鑑定をした。

30分位で急いでしたが何か話す度に「合ってる。合ってる。」と妹は言っていた。


…会話の中で驚いたのは妹にとっては虐待よりも小学1年生の時に担任から受けた体罰の方が恐ろしいと記憶に刻まれていることだ。

「本当に?」自分たちが両親に虐待を受けたことを先に気がついて「トリイ・ヘイデンという人の本を読んだ方がいいよ」と言っていたことや、

母親が大船渡湾に車で入水自殺をしようとした時に妹を道連れにしようとしたことよりも、小学校の先生の記憶の方が???それは問題のすり替え?それとも真実?

私は妹が生まれる前から虐待を受けていた。妹が生まれた時は既に虐待の環境があったわけでやっぱり解釈が違うのだろうか。


…小学校6年の担任に「お姉さんはこんなに大人しいのに、妹は物凄く元気だよね。」と言われたこを思い出した。私たちは根本的に正反対だ。服装も持ち物も。それでも似ている所もある。パワーストーンが好きなところ。寝ている間に見た夢の話をするところ。

そして衝撃的だったのが妹もOO被害に遭っていたこと。妹から直接聞いたのではなく夫のお母さんから夫が聞いていたのだが、私はとても混乱していた。

高校を卒業してからも親元にいたり今もこうして親と住んでいる妹でさえ私と同じようにOO被害に悩んでいたなんて…。本人が自覚する・しないに関わらず立場が違ってもやはり虐待の爪痕は本人の心の深淵に影響を与えるのだ。

夫はそのことに関して「さすが姉妹!同じじゃねぇか!」と、さほど危機感も深刻さも持たずに笑いながら言っていた。




妹は母親が持っていた自殺論のことを知らなかった。

「今更別な本を読ませでもお母さんは変んねぇよ」と言っていた。










































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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織さんが次に書こうと思っていること

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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

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