2014年9月 帰省 序章

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虐待を受けた当事者が過去と向き合い自分自身を許していく過程です。児童虐待に対する理解やどなたかの人生の参考になれば幸いに思います。

2011年の東日本大震災被災地となる以前も時々、東北方面に行くことはあった。学生の時に住んでいた青森県や岩手県内陸部にはよく行っていた。

時々帰りに沿岸を通り遠目に高田松原を眺めては

「いつか高田松原にも行きたい」と思いつつ…それを叶える前に高田松原は津波により美しい景観を失った。

なぜ「いつか…」と思っていたのか?虐待の記憶を思い出した2000年以降、東北方面に行こうとするだけで私は著しく体調を崩すようになった。

地元の岩手県大船渡市に行こうとしなくても、東北へ行こうとするだけで虐待されている夢を頻繁に見たり不安に苛まれるようになる。

例えば出発日に仕事の時は平気でも帰宅後に荷物を準備していると熱が38度まで上がったりすることもあった。

また生理が狂うことも多くあった。仮に2日前に終わったとしてもまた来てしまうのだ。

2011年は被災1か月後の4月に地元を訪れている。12年・13年に関しては多分、帰省していないと思う。



2014年9月10日

出発する前に散々したことは、良いイメージ(あまり持てなかったが)も悪いイメージもどちらも肯定することだ。

例えば怒りに任せて鉄拳を振るうとしよう。その鉄拳を1発振るっても、長年延々とされ続けてきた虐待に対する復讐になり得るか?

鉄拳の数が5発でも10発だとしても…自分が6歳以下から見方によっては18歳以降もずっと続いていた精神的虐待に対する全ての恨みや報復をそんなもので返すことができるか?

そして何より人として低レベルな人たちと肩を並べる必要が本当にあるのか?

もしどうしても胸ぐらを掴みたくなったら…今も仮設住宅に母親が大切にしていた自殺論 があるとしたら、目の前で自殺論をめちゃくちゃに破り捨てる位のことはしてもいいのではないだろうか?

出発する3日位前から寝ていると全身に力が入り両手を握りしめて目が覚めるようになっていた。

そんな自分の力み過ぎな状況に対し「今回は許すことを意識しなくては」と強く思っていた。


前日も休みだった夫が一人で出かけて買って来たものはお守りだった。

2つ買ってきてどっちも自分のものだと言っていたが、明らかに私のであるはずの龍のお守りをもらった。(※私の干支は辰年です)

当日は仕事を終え帰宅しお風呂に入り荷物を準備してから、マイ新月の白ワインとオリーブを少量だけ空腹に流し込んだ。

とても気持ちが悪くなり物理的に体温が上昇している様だった。

持ち物はできるだけ少なくしようと思った。

どんな風に話を切り出したらいいのか、または怒りの感情で自分を支配されないように両親と妹(どこにいるか知らないけど)を分析した結果をコピーして持って行こうとした。しかし妹の分析結果だけ間違って消してしまっていた。


ばあちゃんにだけはお土産を買った。


何度も考えてみたが両親には何も買いたいとは思えなかった。形だけとか建前とか何とでも取り繕えたかも知れない。しかしそんなことに何の意味があるのだろうか?

今回の目的は何かの終わりではなく、新しいスタート地点に立つための行動だと意識して、複雑な感情を抱えたままそのどれも否定せずに臨もうと考えていた。




※震災前の高田松原の写真です。とても懐かしいです。



当日は車中泊で翌日の夜に仮設住宅へ行くつもりだった。途中寄り道をして時間的にそのまま宿泊を予約していた所へ行った。心の中では永遠に仮設に行く時間は来なければ良いと思っていた。

夫が予約した激安の宿泊先は外観を一目見て老人ホームを改装したものだと気がついた。

高校の時にナースになりたい友達に誘われて介護施設のボランティアをした経験と、

聞こえなくなってから2か所の介護施設の仕事(当時は身体障害者手帳の基準に該当しない立場で、すぐ辞めさせられたのだが)の経験がある。受付の間取りと部屋のドアの広さや取っ手の作りで、すぐに分かってしまった。

部屋に入ると「ここで何人のおじいちゃんやおばあちゃんが人生の最期を過ごしあの世に旅立ったのだろう」と、いたたまれない思いになった。

高齢化社会の時代において介護施設を改装し宿泊先として提供する現実を抱えた建物の経営に関しても「やばいなぁ」と思った。

今回の目的は今までの自分を殺すようなものであり、まさに「死の旅路」だった。

部屋にも建物にもとても馴染めない私に夫は「神経質」だと言ったが、多くの見知らぬ魂が彷徨ってる場所に違和感しか抱けなかった。

夕飯時も部屋に戻ってからも「自分で家に連絡すれば?!」と言われたけど怖くてできなかった。

出発する前に連絡は取っていない。聞こえなくて電話できないと言うこともあるのだが、待ち構えられるのがとても嫌なのだ。

「お願いだからお金払うから電話してよ」と言ってみたのだが

「面倒くさい。どうにかしろ」と言われてしまった。

言い訳かも知れないが今回がタイミングであればアポを取らずともどちらかが居るだろうとも思っていた。


前日の運転中おもむろに神田明神の交通安全のお守りに何か願い事を始めた夫の姿を思い出した。

「何やってるの?」

「…お願い」

「交通安全のお守りに?」

「うん」

確認しなくても祈ってる内容は充分に予測がつくことだった。




































































































































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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織さんが次に書こうと思っていること

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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

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