B子ちゃんのこと。

B子ちゃんのこと。

   以前、私が指導させてもらっていた塾生の中で、最も勉強のできたB子ちゃんが
「今、ここで先生と話したことを10年後くらいに思い出す気がします」
 と、言ったことがあった。
  とても嬉しかった。
 私の塾の高校生クラスの半数は、県立高校でトップの四日市高校の生徒だから、B子ちゃんがどれほど優秀だったか推測してもらえると思う。教科内容でなくて、生きていく姿勢の話をしている時のことだ。
 難関大学の合格の門は固く閉じておかなければならない。優秀な生徒が門を叩いたときだけ開けるようにしないといけない。それが、みんなのためなのだ。いいかげんな人が車を設計したり、患者を診たら死人がでる。
 ところが、現実の教師たちは
「クラブと勉強の両立だ」
 とか、
「みんなで助け合い、みんなで合格だ!」
 と、現実には出来ないことを言う。それは、無理もない。教師はたいてい大学から、そのまま教員採用試験に合格して教師になる。社会で働いた経験がない。世間のことを知らない。
 どんなに賢い子たちでも、合格するための知識、勉強方法、生き方を先輩に尋ねたい。疑問が多い。優秀な理系女子のB子ちゃんでも同じことだった。ありのままを教えてくれる相手を求めていた。
 私の方も、そういう生徒を求めていた。合格するためのノウハウを教えても、
「私は先生の考え方に賛成できません」
 と、教師に教え込まれた助け合いの精神論を口にする子も多い。助け合いは尊いことだ。しかし、受験は孤独な戦いなんだよ。
 B子ちゃんのような存在は救いだった。
  B子ちゃんの志望校は「防衛医科大学」か「自治医大」だった。ご存知の方も多いと思うが授業料が必要ない。卒業後10年くらいは軍医とか指定の病院に勤務しなければならないけれど、そんなことは大したことではない。
 B子ちゃんの入塾申込書の「保護者欄」が、お母さんの名前だった。賢い子だったから直接的な表現はしなかったけれど、家庭的、経済的にめぐまれた子ではなかった。私は父親代わりだったかもしれない。
 ある日、コンビニに立ち寄ったら20年くらい前の塾生に出会ったことがあった。塾生の頃に素行が悪くて力づくで抑えつけた覚えがあった。すると、レジで
「まだ忘れていませんから」
 と、言った。一応、こちらは客なんだし、20年前のことだ。35歳くらいのはずなのに、コンビニのアルバイト。総合的に考えて、「やっぱり」と思ってしまった。他人を恨んで生きていくしかないらしい。
 B子ちゃんは、まったく違った。私は娘たちをシングルファーザーの家庭で育てることで、ひねくれないか心配して育てていた。B子ちゃんを見ていて救われた。
「厳しい環境でも、誰も恨まずまっすぐに生きている子もいるんだ・・・」 
 B子ちゃんは 高校に入学したときから、クラブ活動は諦めていた。生徒会も、文化祭や体育祭などのイベントも、恋愛も、何もかも捨てて勉強第一だったA子ちゃんを思い出させてくれた子だ。
「高校に行ったら彼氏をつくるんだ」
 とか
「ここら辺の店はダメ。靴は名古屋で買う」
 なんて子に囲まれていたはずだけれど、彼女にはそんな余裕はなかった。私はA子ちゃんを指導した経験があったから、そういう日本の宝のような子にだけ伝えることがある。
 それが、冒頭に書いた
「今、ここで先生と話したことを10年後くらいに思い出す気がします」
 というヤツだ。
 今も、C子ちゃんに同じことを伝えている。誰にでも言える話ではないので、ここには書かない。

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