輸血拒否の教団信者として亡くなったある外国人妊婦の話

「輸血しなければあなたは死にますよ」

「ソレデモ、ユケツハ、シナイデクダサイ」

「本当に危ない状態なんですよ」

「ダイジョブ」

「出血が多すぎるから、本当に今すぐ輸血しないと、死んじゃいますよ、あなたもこの状況が分かるでしょ」

「ワカリマス、デモ、ワタシハ、ダイジョブ、ユケツハシナイデクダサイ、カミサマ、カナシム」

それがきっと彼女の最期の言葉だったのだろう。遺されたのは、日本人の夫と二人の幼い子供たちだった。

今から6年前に川崎市のある病院で起きた外国人妊婦の輸血拒否死亡事件。

その信者が外国人であったためか、それとも緊急搬送後に、亡くなったためか、マスコミによる報道も一切なかった。

彼女は流産に伴う大量出血のため、冷たい手術台の上で、一人静かに息を引き取ったのだ。

「輸血拒否」を信条とする教団、それは言わずと知れた「エホバの証人」である。

本部は米国ニューヨークにあり、世界150ヶ国以上にまたがって、信者数は700万人にものぼる巨大教団だ。

宗教法人としての正式な登録名称は、「ものみの塔聖書冊子協会」、創設者は米国人実業家「チャールズ・T・ラッセル」である。

彼については、バプテスト派キリスト教徒であり、ピラミッド信奉者、さらにはフリーメーソンメンバーだった、という怪しげなバックグラウンドがある。

独自の聖書解釈により、初期クリスチャンたちの守っていたであろう教えと、神の裁きが伴う全世界の終わりという終末思想を説いた。

彼の持つその類まれな演説能力とカリスマ性により、1800年代後半に米国全土にその教えは瞬く間に広がっていった。

最初は富裕層を中心に、後には貧困層を中心に、その教えは現世に救いを求める人々の心に浸透していったのだ。

また信者たちも、家から家に一軒ずつノックして伝道するスタイル、親族や友人たちに伝えていく、いわゆる非公式な伝道スタイルにより、たくさんの信徒たちを見出していった。

この教団の最大の特徴は、こうして熱心な信者たち各人が、教団の発行する「ものみの塔」や「目ざめよ」誌を頒布して教えを広めていくことにある。

そして、本部には信者たちからの多額の寄付が集められていくのである。

信者たちの中には、マイケルジャクソン、プリンス、セリーヌディオン、セリーナウィリアムズなどがいた。

米国では輸血拒否の信条よりも真面目で純粋な信徒たちが多い、というイメージでかなり知られた教団である。

しかし昨今は、教団が長年隠してきた数千件に及ぶであろう児童への性的虐待事件が明るみに出てきたことにより、強烈な批難を弁護士たちやマスコミ各社から受けている。

彼女はそんな巨大で奇妙な教団の名もない信者の一人だった。だが、彼女は当時、他の信者たちとはほとんど交友を持っていなかった。また定期的に開かれる集会にも一年ぐらいずっと参加してはいなかったのだ。

理由は、信者以外のいわゆる世間一般の人と隠れて交際し、妊娠をしていたからなのかもしれない。

彼女のその行為は、教団の教理においては神の教えに背く大罪であり、もしもそれが明らかになれば除籍処分を受けるような最大の違反行為でもあった。いわゆる破門に値する罪を彼女は人知れず、ずっと一人で背負っていたのである。

それだけ神に背いてはいても、彼女の心の奥底には「輸血は絶対にしてはイケない許されざる重罪行為」という強い信条があったのだ。もしもその罪を犯せば、世界の終わりが来た時に、自分は神により真っ先に処罰され、死に処される、ときっと本気で思い込んでいたのかもしれない。

この彼女のように、ほとんどの信者たちは、エホバという神がもたらす世界の終わりと、輸血が許しの余地のない許されざる大罪である、という信条を本気で信じ込んでいるのである。

だから、現実社会のリアル感よりも、その神の迫り来る裁きと、罪を犯したことによる神の怒りのリアル感のほうがより一層、真に迫っているのだ。

輸血拒否の信条についても、信者たちにとっては、一切疑いようがないものとなっている。たとえ病院の医師たちが必死に本人に説得しようとしてもだ。

其れ程までに彼らの信条は根強い。

一般の人から見れば、その信仰は狂気であっても、彼らにとってはその信条を守ることこそが美徳であり、救いなのである。

そして、私はこの教団において、輸血拒否を貫く信者たちのために、医師たちに輸血無しの手術を依頼するという役割についていた。

いわゆる輸血拒否信者たちのサポーターである。

教団内ではそれらの者たちは「医療機関連絡委員会の医療委員」と呼ばれ、たいていは、世間の人間に対峙しても、弁が立つ者、長年の長老経験者や、地元の有力長老たちが任命されていた。

そして、期せずして当時の私は、この名も無き外国人妊婦信者の死の目撃証人となったのである。

おそらく今後も、教団内の誰一人として「彼女の死」を語ることはないであろう。

だから、私は彼女の死を語る唯一の語り部として、ここにその記録を残すこととする。








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