生き残っている予備校と塾は、何を考え、どう動いているのか。

生き残っている予備校と塾は、何を考え、どう動いているのか。

 生き残るビジネスというのは、理由は基本的にひとつしかない。つまり、「差別化」だ。「差別化」をさらに分けると、(1)他にはない新しさ (2)多くの人の役に立っている の2点しかない。

 今の時点で、新しさというとスマホが目につく。これは、新しいだけではなくて、多くの人の役に立っている。しかし、それもアマゾンのエコーのような音声認識の製品の登場で消える運命かもしれない。

  就職活動で50社に履歴書を送っても、面接さえできないと嘆く人が多いと聞いた。建前は別にして、明らかな学歴による区別がなされている。これは、日本に限ったことではない。多くの国が人材の選別に学歴を使う。

 もちろん、理由がある。例外がヤマほどあることは承知しているものの統計的に、経験的に、学歴が上位の子の方が下位の子のより勤勉で、頭がよくて、会社に貢献してくれると思われるからだ。

  私は自分のしていることに誇りを持っている。しかし、誰もがそれを支持してくれるわけではない。若い頃は、資格をとり多くの難関合格校の合格者を出し続ける自分の塾ではなくて、タレントが宣伝する塾を選ぶ人がいることが不思議だった。

 しかし、世の中は十人十色なのだ。私が考え、感じるような人は、むしろ少数派なのだ。だから、誰かが何を言おうと自分の信じるように進み続ければいいのだ。

どんなに良いことをしても、反対する人がいるのが普通の状態だから、絶望する必要はない。

  私は、名古屋の7つの大規模予備校、専門学校、塾で14年間勤務したから、経営者が何を考えているか分かるようになった。彼らは

「一般大衆はバカだから、アイドルを踊らせておけば集客できる」

 と、考えている。大学だって、芸能人を入学させたり、食堂やホールをきれいにすれば学生募集ができると知っている。さすがに、東大や京大レベルだと、そんな愚かなマネはしなけれど、私立大学は、皆さんの方が何をしているのか知ってみえるだろう。

 塾や予備校では、「10個以上の差別化」ができたら生き残れるという都市伝説のようなものがある。たとえば、当塾の場合、5個の新しさと、5個の役に立つことを制度化することを目標としている。

 これは、企業秘密なので、ここには書けない。しかし、塾設立から30年間、かならず毎年このチェックをしていたから生き残れたのだと思う。一つずつ明かすと、新しいことはSNSを他塾と異なる利用法をしていること。

 私も同じ経験をした。誰彼かまわず受け入れていた時は、トイレは糞だらけ、備品は盗まれ、机は落書きだらけ、月謝の踏み倒しも珍しくなかった。ところが、学力上位層が塾生の多くになったら、上記のようなことは皆無となった。

 統計的、経験的に、

「学力上位層は、基本的生活習慣や常識がある」

 ということに、異論のある人は多くないだろう。

 私は、英語講師でうまくいっている時も、理科・社会の勉強をして理科・社会クラスの準備をしていた。中学クラスがうまくいっている時も、高校生の数学の勉強をしていた。高校クラスを設置するための準備だ。

 うまくいっている時も、何もかもうまくいかない時も、できるだけ平常心で勉強し続けた。新しいPCを導入したり、ブログを書いたり、Youtube に投稿したり、通信生を募集したり、チャレンジを続けてきた。

 どんなにいいことをし、努力を続けていても、必ず支持されたり、うまく行く保証などない。そのことを忘れないようにしてきた。

 ケンくん(仮名)は、ある日、

「父が田んぼをひとつ売ると言っている」

 と言った。

「ぼくって、けっこう親不孝だよね」

 その言葉を聞いた時、私は自分の亡き父を思い出した。父は、私が29歳の時に家と塾の両方を新築する話がでた時に、自分の住んでいる土地と建物を担保にして連帯保証人になってくれた。

 もし、私が経営に失敗したら自分も土地も建物も失うリスクがあった。土地は200坪。融資を受けた額は利息も含めて一億円を超えていた。返済期間は20年だった。

 役立つことの一つは、中学生は5科目、高校生は英語と数学に対応できるために、科目ごとの講師を雇う必要がない。経費を劇的に落とせる。つまり、生徒の方は試験前でも、家庭学習中でも、写メで質問し放題。

 アマゾンのように無店舗販売だと、店を維持する経費が必要ないのと同じだから、支払ってもらう月謝も割安となる。競争したら、他塾より圧倒的に有利なのだ。多くの人に喜んでもらえたら儲かるに決まっている。

「これをやれば、旧帝に合格できます」

 なんて、耳障りの良いことをキャッチ・コピーにしているところは、金儲けを優先していることに間違いない。でも、本当に生き残るのは、儲けより生徒の喜ぶことに注力している塾だよね。

  ときどき、私が生徒と一緒に英検を受けたり京大二次試験を7回受けたことに対して、売名行為やらスタンド・プレーと中傷するメールが来る。ものごとを、そんな風にしか見れないからブラック・メールを送ったりできる人格になってしまったのだろう。

 塾講師だって、人間なのだから同じ仕事なら楽しい方がいいに決まっている。力作のプリントを帰りにゴミ箱に捨てていくような生徒を指導したい講師はいない。実際、今は私の塾の机は落書きもなければ、参考書や問題集が盗まれることもない。トイレにウンチがついていることはない。

 何をしたらいいのか。それは、塾生が教えてくれる。

「明日は理科のテストだから、理科を教えてほしい」

「中学校を卒業しても、教えてほしい」

 そう言われたら、とりあえずチャレンジする。そうやってきたから、いつも何かにチャレンジし続けることになった。

「あの子は生まれつき賢いから」

 とは、よく聞く話だ。でも、私から見ると勉強ができる子は覚悟が違う。ケンくんは、担任に説教されても内職をやめなかった。クラスの中に友達がいないとも言っていた。

 しかし、彼にとっては、そんなことはどうでもいいらしかった。自分の進学のために親が何を犠牲にしているのか知っていたから。

 クラブと称してテニスばかりしている子。演奏会の打ち上げだと、焼肉会に興じている子。彼女とデートしてばかりいる子。そんな子がケンくんと競争できるわけがなかった。

「先生とボクは違うから」

 とも、よく聞く言葉だ。そのとおり。私はキミのように適当な生徒が好きではない。ケンくんのような子が好きだ。必死に生きている子を助けたいのだ。

「中学生や高校生を指導するのに、英検1級は必要ないだろう!」

 と、言う人もいるが、そうだろうか。

「京大を受ける生徒なんて、1%もいないじゃないか?!」

 と、言う人もいた。

 そういう塾は「小学部」「中学部」しか持っていない。「高校部」を持っていても、東進衛星予備校」のように動画を見せるだけの塾が多い。40年前は画期的な指導法だった。地方には、高校生を指導できるような講師がほとんどいないので、

「地方にいながら、東京の講師の授業が受けられる」

 このキャッチ・フレーズは画期的だった。

 でも、まさか30年後にスマホが日本を席巻し、DVD授業が無料で日本どこでも見られるとは予想ができなかったのだろう。実際、東進衛星予備校ていどの授業は、Youtube でいくらも見られる。

 当たり前のことだけれど、レベルの高い生徒を確保できなかったら、その学校・予備校・塾は来年そこにないだろう。それくらい、少子化、不況の影響は大きい。存続を賭けて仕事をしているのだから、世間に広く知られている“神童”に来てもらう必要がある。

 それができない大学は、芸能人を入学させて話題を作ったり、著名人のCMを流す。

 やり始める前に

「それは、ムリ」

 だなんて、どうして決めつけるのだろう。やってみなければ分からない。

  私の塾生は、よく

「あの先生は、京大を落ちて同志社に行った。京大受験指導はムリ」

 とか言う。

 だから、私は50代で京大を受けて成績開示をするハメになった。信用してもらうためだ。

 バブルの頃の生徒数をもとに、地方の駅前に次々とビルを建てた河合塾、駿台、代ゼミなどの大規模塾は少子化、不況、時代の変遷についていけない。駅前ビルはいくら地方でも数億はかかる。だから、固定経費がかかる。なのに、生徒数が半分になったら、授業料を倍にしないと維持できない。

 でも、不況だから貧困家庭でなくても、そんな高額な授業料は払えない。講師のクビを切ろうにも大規模校には組合があるところが多くて、それも出来ない。結局、恐竜が滅びて小さな哺乳類が繁栄し始めたことと同じことが起きつつある。

 塾業界の人なら、三大予備校と言われた「代ゼミ」が7割の教室を閉鎖したのも驚きではない。長く残る塾というのは、時代の変化に関係ない松下村塾スタイルなのだ。そういう伝統的な指導法なら、100年でも続く。

 高く評価される学校、予備校、塾というのは、設備や機器ではなくて、人間ーつまり、誰か教えているかが全てなのだ。そこが理解できない人は、綺麗なホールで学校を選んでしまう。

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